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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

感染せよ‼︎ 【『本当によい教育を実現するための覚書』は実現可能か】 

『本当によい教育を実現するための覚書』を拝読しました。

個別指導塾で働く著者が様々な著名人の教育思想を取り入れて、よりよい教育の場を目指すための一冊。

現状の様々な問題点を抽出し、情念をぶつけた文章が現代日本が陥っている深刻な状況を際立たせます。


この問題を打破するために著者が掲げていることを簡単にまとめると「新たな学びの場が必要だ」ということです。

著者が提案する場はとても魅力的です。
こんな場所があれば子供達はのびのびと成長していくことでしょう。

ただ問題点もあります。
問題点を明確にすることで「よりよい教育の場」を目指すための助力になることを願っております。
そして『本当によい教育を実現するための覚書』とこれから記す文章を併読することで、多くの人々が現状の酷さを把握するとともに、今我々に何が必要で何を捨てていくべきかが明確になれば、僕としてはこの上ない喜びです。


では本書の問題点は何か。

それは、「場所が本当に必要なのか」ということです。


著書は本書で協力者を募っており、特に場所を提供してくれる人を募集しています。

著者が人生の指導者、助言者として挙げている宮台真司先生の考え方を借りて反論すると、教室が固定されてしまうことでいじめが発生してしまいます。つまり著者が作りたい場所が池袋辺りに一箇所しか無いという状況自体が、いじめという新たな問題を発生させてしまう可能性があります。

アイドルファンでもある著者には「古参が老害化する」という言い回しでも伝わるかもしれません。


当然これに対し、「現状の満員電車状態のクラス制度とはまったく別種であるためいじめは発生しにくい」という反論もあるでしょう。ただこの一点だけで反対しているわけではありません。

ここで強調したいのは「場所は限定的じゃない方が教育に良いのではないか」ということです。

また、著者が掲げる場は法律の問題をクリアできるのかも疑問で、本書では触れられていませんでした。


著者が目指す学びの場はとても理想的ですが、行きたい子が池袋まで行かなければならないということなど限定的であることを考えると、「よりよい教育を実現するため」にはもっと効果的で魅力的で実現可能な方法があるのではないか、と感じました。

キーワードは著者も挙げている「感染」です。

これは宮台用語で、意味は「スゴイ人に出会い思わず思考や言動を真似してしまうこと」です。
自発性ではなく内発性を刺激できる人物とも説明できます。
自らの利益のために行動する人ではなく、自己を犠牲にしてまで他人のために思わず行動してしまう、そんな人にさせてしまう人物です。


何が言いたいかと言うと、場ではなく著者自身が感染させまくる場として存在すればいいのではないか、という提案です。


場所を限定するのではなく、著者が行く先々で学童保育や学習塾を道場破りしていくのです。
そして近くの市民センターなどでワークショップを開催するのです。
「お前らあんなところにいても無駄どころか害悪でしかねえんだぜ」と。
「俺がもっとおもしろいものを見せてやる」と。

著者に感染した子供達や大人達は考えを改め、家庭や学校での振る舞いが変わっていくでしょう。


そうして著者はまた新たな場所へ去って行くわけです。



これは著者だけへの提言ではなく、すべての大人達への提言でもあります。
自らがスゴイ人物となって子供達の内発性(利他性)を刺激しまくるしか道はありません。


本書により現状認識を深め惨状を知り、著者の情念(本を作ってしまうということがどれだけパワーがいることでしょうか!!)を受け取り、共に「よりよい教育を実現するため」に必要なことが何かを模索していく。
この本はそのために必要な本です。

多くの人々が感染者として覚醒できますように。


ちろうのレイブル日記(『本当によい教育を実現するための覚書』申し込みフォーム)
http://d.hatena.ne.jp/routi/touch/20161222/p1#p1
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私立恵比寿中学主演ドラマ『甲殻不動戦記ロボサン』に描かれているアイドルの寓意 

エビ中主演のドラマ『甲殻不動戦記ロボサン』は今見るべきドラマだ。

公式サイト 甲殻不動戦記ロボサン


以下ネタバレを含む内容のため了承の上お進みください。



ストーリーを軽く。

昔宇宙生物に襲来され滅亡の危機を迎えた地球。そこに突如現れたロボットにより危機を脱し、役目を終えたかのようにロボットは活動を停止しそれ以降動くことは無かった。
そこを遊び場に集まる学校や年齢も違う中学生8人。そして次なる危機に備え孤独にロボットの研究を積み重ねてきた男。
ついに出現した敵性ロボット。地球滅亡の危機を迎えた時、少女たち8人には別の危機が訪れる。



この物語を見て僕は、「ロボサンはアイドルそのものじゃないか」と思った。

いくら研究を重ねても不明だった動力源は、どうやら少女たちの感情の高まりらしい。
これは操縦席を持たないロボットマンガであるジョージ秋山『ザ・ムーン』や、それへのオマージュとして作られた『ぼくらの』を思い浮かべる。

些細な事で仲が良かった女の子二人(柏木ひなたと中山莉子が演じる)がギクシャクし始める。
そこで柏木ひなたが演じるちーちゃんが叫ぶとロボットが起動する。
その時、目の光が両目合わせて6つ。胸の光が1つ。合計7つ光る。
もしかしたら7人以上の想いが統一されると動くのか。
それが「5円玉を探す」という理由なのがおもしろい。

この設定は『ザ・ムーン』と同じだ。同じ想いで祈らないとザ・ムーンは動かない。

その後「5円玉を探す動き」と「ロボットの動き」がリンクしている描写が続く。
つまり中山莉子のために一丸となって動き回ることで実は世界を救っていた、ということだ。
ちなみに止めを刺すのは中山莉子演じる工藤ちゃんだった。


■ ロボットという装飾


これはつまりアイドルのことなのではないか。

女の子達が集まり、誰かのために一丸となる。
外部から用意された巨大な力(アイドルで言えば楽曲や衣装や事務所など)を獲得する。
本人たちは世界を救うつもりなんかなく、ただガムシャラに自分たちがやるべきことをやっているだけなのに、実は多くの人々を救っていた。

ロボサンのストーリーを追うと、アイドルのストーリーとぴったり重なることがわかる。


このドラマを見れば我々は感動せざるを得ないだろう。
もちろんそれはアイドルに救われていることに貫かれているからだ。

それはつまり、このドラマを見ればこの世界がどうなっているかわかるということだ。
些細に見えることが実は世界とつながっている。

僕たちの乗っているロボットを動かせるかどうかは僕たち次第だ。


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拝啓 佐々木敦規様 (桃神祭を終えて) 

拝啓 佐々木敦規様


晴天が続きますがいかがお過ごしですか?

桃神祭の演出お疲れ様でした。

僕は一日目は現地参戦、二日目はLV参戦でした。

一日目は大変楽しませていただきました。日本の祭りが全部集まったかのような演出は大変素晴らしく、まさにももクロだからこそあれほどまで雑多で愉快で狂乱で統一感のあるステージになったのだと思います。

特に円周のステージを徐々に踊り子がおおっていくところなどは身震いがするほどかっこよかったです。

普通じゃ見れない各地のお祭りの融合。素晴らしいです。

ちなみに、僕の地元は青森なんですが、弘前市の夏祭り「ねぷた」を移動車に使っていただけたのが大変嬉しかったです。

実際はより立体的な「ねぶた」の方を使って欲しかったですが、倍以上の労力が掛かるであろうことを考えると仕方ないとは思いますが。

むしろ平面のねぷただからこそももクロちゃんが乗って移動できたのだとしたら良かったということでしょう。


夏菜子ちゃんが最後に「ももクロはわかんない」と言いました。

アニメ『キルラキル』で、生命体と繊維の結合体である二人の主人公は「わたしたちはわけがわからないだろ!」と叫びます。

わけがわからないから強いんだ、と。

故安西信一氏も著書に「わけのわからなさの秘密」とつけています。

9月に出る予定の「アイドル感染拡大」というももクロ評論誌のまえがきでも「再びももクロのわからなさに突入するための本」であることを記しました。

今回は「祭り」というテーマが決まっていたのでとてもわかりやすくなってしまいましたが、ももクロ本来のすごさ、わけのわからなさが体感できるライブを楽しみにしています。


2日目は通り雨があり、僕としては2日目こそがわけのわからない極致になるのではないか、と期待しながらLVに参加しました。

安全への配慮から一時間遅れでのスタートとなり、開演直後に雨が上がり、LVで見ている限りは大きなミスなど無いように思えました。

ただそこが残念でした。

もちろんスタッフさんは最高の仕事をするので機材トラブルには迅速に対応するでしょうし、佐々木さんも演出家として何を削って何を入れるかなどただちに計算してその時点でできる最高のものを目指したことでしょう。

ももクロちゃんも期待に応えるために最高のパフォーマンスをしたはずです。

でもだからこそ僕は物足りなかったのです。

手がかりになったのは、氣志團万博2013のエビ中の豪雨でのパフォーマンスと、東京タワーで『オレンジノート』の途中で音楽が止まってしまった時のももクロの動画です。

なぜこのふたつがいつまでも人々の心に残るのか。

機材トラブルに巻き込まれてパフォーマンスとしては失敗でしょう。

ですがトラブルをカバーしようと必死になっている姿にこそ人々は胸を撃たれたはずです。

特に最近のももクロは二日間の公演が基本となっており、しかも両日同じ内容です。

もちろん一日だけじゃ見れない人が多く出てしまうための対処でしょう。

でも今回の桃神祭のように、快晴と雨天というまったく違う顔を見せた会場ですので、全然違う公演を見たかったです。

具体的に言います。

二日目の序盤、れにちゃんのヘッドセットの調子が悪く音声が小さくなってしまいました。

れにちゃんはそこでマイクのトラブルに負けじとより大きな声で歌ってくれました。

最近安定してきたれにちゃんの音程はそこでは少し崩れたような気がします。

ですがそのれにちゃんの姿を見て涙腺がゆるみました。

完璧なパフォーマンスはいらないんです。

彼女たちが「伝えたい ただ伝えたい」と、「何千回でも言ってやる この熱い情熱取って出す」と、その姿勢だけでもう十分なのです。

音程を外さず、きれいな歌声で、みんな揃ったハーモニーなどはただの飾りだと思うんです。

なので、これはもう決してありえない願望でしかないですが、もしあの日時間を遅らせずにスタートしていたらな、と思います。

大雨の中スタートし、1時間経ってようやく晴れる。

その時の晴れ間はとてつもなく美しいものだったと思うのです。

しかもそこで『月虹』が歌われていたとしたら、まさに伝説と化していたでしょう。

もちろんこれは現地にも行っていないファンのわがままな意見でしかありませんが、もし大雨の中のももクロを見れたとしたら、氣志團万博のエビ中を上回るステージになっていた気がします。


二日目は急遽セットリストを変えて削った曲や新たに入れた曲もあったそうですね。

これらはぜひいずれ語っていただきたいです。

僕は『ツヨクツヨク』辺りを新たに入れたんじゃないかなと読んでいるのですがいかがでしょう。
(追記:どうやら三宅アナの言い方で勘違いしてましたが、元々一日目にやらない曲を二日目にやっただけの話らしいです)

そう考えると雨の中の『ツヨクツヨク』を見たかったな、などとしつこく思うのでした。

ぜひ二日目の裏側を映像に残して欲しいです。

30分ぐらいの特典映像にしましょう!

そろそろももクロちゃんのスーパーヒロインなところを見せて欲しいです。


『スラムダンク』で素人桜木花道は、10日間で2万本のジャンプシュートを練習するシーンがあります。

それがラストで花開くわけですが、ももクロちゃんにはこの「誰にも知られていない2万本シュート練習」がいっぱいあるんだろうなと想像させてくれます。

それは決してミスをしないところであったり、ダンスフォーメーションは毎回変わってしまうところなどからも感じ取れるのですが、実際どれぐらいすごいのかはダンス経験や舞台経験が無いのでいまいちつかめません。

なのでぜひ今回の二日目の裏側を映像化していただきたいのです。

このままももクロがブーム化して薄まってしまうのか、それともブームにとどまらず実際に凄い人たちだからこそみんなに愛されているのか、その判断を下される重要な時期だと思います。

ですので何卒熟考のほどよろしくお願いいたします。



毎日暑い日が続きますがくれぐれも体調を崩されないようにご自愛くださいませ。

敬具


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『アイドル感染拡大 ももいろクローバーZ論』について。あといろいろやるももクロって。 

突如「q」が延々タイピングされる事態になりましてこの世の終わりかと思いましたがなんとか復帰できました。
よかったよかった。
評論同人誌の編集作業が序盤の大詰めという時にかなり焦りました。

序盤の大詰めってつまり大詰めじゃないのでは?


■ ももクロ論壇第三弾について

さて、9月中に刊行を目指している『アイドル感染拡大 ももいろクローバーZ論』について進捗を。
進捗ってしんちょくって読めなくないですか?ちょく、って。
絶対ドヤ顔で言ってるはず。「進捗」。


今回も執筆陣はバラエティに富んでいて、平成ノブシコブシの徳井さんもそうですし、舞台演劇の評論家をなさっている中西さんにもご参加いただきました。
過去2作に寄稿してくださった方々も参加してくださいます。
ありがたいことです。

表紙のデザインや中身のデザインについても協力してくださる方がいて、ほんと助かります。
僕ひとりでは何もできませんからね。

こう言った、いろんな人たちが関わっていき、その中心にももクロがいる、というのが本という物体により浮かび上がってくる。これがひとつの狙いです。

執筆陣にはひとつだけお願いをしました。

「原稿の中にももクロという単語を1回以上出すこと」

いきなり航空機と戦闘機の違いなどを書かれても困るので、ももクロ論壇として最低限のルールを決めました。
もともと第三弾はいろんなアイドルのことを書こうと思ってたんですが、それが一時頓挫しました。
再始動の時に考えが少し変わり、いろんなアイドルについて書くが、結局ももクロについて言及されているかのような本を目指そうと思い至りました。

刊行記念にはももクロカヴァーアイドルをいっぱい呼んでライブしたいなぁ、とかも考えましたけどね。
第三弾5冊ぐらいで手を打って出てくれないかなぁ(誰も出ないよ)。


原稿についての細かいお願いはいろいろあるんですけどね。締切日とか。
締切日をまったく守らない人がいるので、これは第三弾刊行記念トークイベントで話すことにしよう。そうしよう。


第三弾の内容について軽く触れると、いろんなアイドルについても言及されてるので、今のアイドルブームに興味のある方はぜひお読みいただきたいです。
「ももクロが一番」なんてありきたりな内容ではありませんので。
ただももクロ関連の読み物として一番おもしろい本を目指しました。
そして本棚に置きたい、手元に置いておきたい本を目指しました。
デザインもスーパーかっこよくなる予定です!
ですよねデザインチームのみなさん!


ということで9月中に刊行できればな、と思っている第三弾。
トークイベントは刊行に合わせるか、10月11月ぐらいにするかまだ決めてませんが、そんな感じです。
また新宿ロフトプラスワンでできればいいなぁ。


「世界が感情を取り戻す」も「イルミナーレ」も読んでる方はもちろん、読んでいない方にも大変読みやすいものを作ります!
お願いします!

もし「あ、ちょっと欲しいかなぁ」という方は下にある「拍手ボタン」を押していただけると大変励みになります。
ご協力よろしくお願いします。


■ ももクロのアナログ感

サンテ目薬のCMを見ましたけど、やっぱももクロってCGバリバリよりも特撮ものの方が合ってる気がする。
お金も時間もかかって大変なんでしょうけど、今後のCMシリーズに大変期待しています。

ももクロってどこかしら現実感が無いと思ってるんですよ。
ライブにも行ってますが、ももクロってほんとに実在すんの?って感覚もあって不思議です。

CGじゃなく、特撮ものの「そこに物体がある感じ」というのがとても大事だと思うんです。
『サンタさん』のPVが魅力的で『GOUNN』のPVが何度も見れないのは、そこにいる感じがしないからです。
これはエビ中のPVにも言えることで、エビ中のPV作品は基本的に実際にある場所で撮影されています。
学校とか土手とか。
これらについてはももクロ論壇第三弾で触れますのでぜひお読みいただきたいです。

ももクロはファンタジーと言われますが、ふわふわした感じのももクロに実在しないCGとか人間じゃない感じとかを重ねてもももクロ自身の魅力が半減するだけなんだと思います。

そういったもろもろを含めて、今度の日産の桃神祭というのを大変期待しています。
お祭りというのは日常があっての非日常ですからね。
新興宗教のように非日常に没入する行為ではないのです。


■ オーケンが井上陽水から聞いたことと、いろんなことに挑むももクロ

『バナナ塾』のキャンプ回を見てたら日村さんが井上陽水さんの『心もよう』を歌っていて、「昔の歌って時間が短いし、歌詞が耳に入りやすいし、音が少ないし、それでも印象が強くてすごいな」と思っていました。

陽水さん(本名はあきみって読むんだっけ?)は『少年時代』なども有名です。
傘がない』などの曲が好きだったオーケンは路線変更した井上陽水に納得が行かずファンをやめたそうです。
(エッセイにファンをやめたと書いてたか覚えて無いけど、「結局売れ線の曲書いてくのかよとがっかりした」みたいな感じで書いてました)

オーケンがプロになって井上陽水と対談する機会に恵まれた時に、なぜあの時路線変更したんですか?と質問したそうです。
その時陽水さんは「君も僕ぐらいの年になったらわかるよ」と答えたそうです。

オーケンはそれを聞いて、天才はいろんなジャンルの曲を書けるから書いたのであって、特に路線を変えたとかじゃないんだ、と気付いたと言います。

これはももクロのファンになってからよく思い出すエピソードです。
ももクロはひとつの場所にとどまらず、様々なジャンルに挑みます。
その度に「ももクロも変わっちゃったな」と離れることが無かったのは、このオーケンのエピソードがあったからです。
他にもできるジャンルがあっただけで、本質は何も変わっていない。

ファンをやめる理由探しをしている人は、こういった路線変更をきっかけに「前とは違うから」と言い訳しやすいのでしょう。
でも僕は、ももクロを追う時間や熱量が以前より減ったからすぐにファンを辞めなければならない、とは思っていません。
好きならずっとファンを自称すればいいだけだと思ってます。
実際テレビでももクロのCM流れたら「この子たち好きだわー」と思う人たちだって大勢いると思います。
この人たちはライブに来たりグッズを買ったりしませんが、ファンだと思います。
好きならファンでいいじゃん。
ももクロちゃんたちが「こういうことしない人はファンと認めません」なんて一回でも言いましたか?
ももクロちゃん自身が何も線引きをしてないのに、ファンが勝手にファンの線引きするのってなんか変だと思います。

これらについても同人誌である提言をしてますのでぜひお読みください!
結局宣伝するんだ!
編集長だからな!
「編集長」というのも僕が勝手に名乗ってるだけだぞ!!



■ スジナシ劇場版 ライブという一回性の奇跡


先日『スジナシ劇場版』を見てきました。
元々さほど興味はなく、「スジナシ」自体もちょろっと見たことある程度だったのですが、夏菜子ちゃん推しで演劇好きの友人に誘われまして行ってきました。

見て良かった。

見る前まで大惨事を予想していたのですが、台本も何もない状況でよくあれだけの物語を紡げたな、と感心しました。
もちろんそれには鶴瓶さんのお力が多大にあってのことですが、それに呼応する夏菜子ちゃんが素晴らしかった。

そこにはももクロのリーダーでイメージカラーが赤の百田夏菜子ではなく、19歳から20歳になる寸前の少女の姿がありました。
ももクロとしてでない時って、夏菜子ちゃんってこんな表情で、こんなしゃべり方なんだろうなぁ、と思いました。

菅野美穂さんとか二階堂ふみさんのように、変幻自在に人柄を演じ分けるような女優ではないでしょう。
でも百田夏菜子という人物がそのまま画面の中にいる、というだけで全員に魅力が伝わるような女優になればいいなぁ、と感じました。


物語は幼少期に父親と離れ離れになり、その父親を探している19歳の少女と、そこのホテルのフロントマン、という設定になりました。
20歳になる前に父親に会ってみたい少女。
実はフロントマンは少女の父親の弟であり、少女の父親はこのホテルに滞在しているということを告げます。

その告白に驚き、本当に会いたいのかわからなくなってしまう少女はぽろぽろと涙をこぼします。
それまでとんちんかんな受け答えでギャグ回のような空気感だったのが、会いたいのか会いたくないのかどっちなんだと迫る鶴瓶さんと、それを受けて涙を流す夏菜子ちゃんによってガラリと雰囲気が変わりました。

父親に会いたいのか。それとも、「父親を探している」という行為を楽しんでいたのか。
目的を達成するのではなく、目的を持つことが目的化してしまっていた少女は自身に混乱します。

映像化されたらぜひ多くの人に見てもらいたいですね。

そしてこれを見て僕は、普段ももクロのリーダーという演技を必死て演じてきたのかも知れないな、と思いました。
自身が何度も言ってるように、リーダーに向いてないしリーダーという役目が嫌で嫌でしょうがなかったそうですが、それでもみんなからももクロのリーダーとして認められた背景には、我々が想像もできないぐらいの努力と苦悩があったはずです。

鶴瓶さんが言ってたように、演技をするのが好きというのが伝わってきました。もし好きだったら、もしリーダーという重責を少しの時間だけでも下ろすことができるのなら、ぜひこれからも女優業をがんばって欲しいです。
様々な女を演じ分ける必要はありません。
百田夏菜子が演じる女性が物語の中に存在する。
それだけでその物語が輝き出すような、そんな女優になって欲しいです。


                  (百田夏菜子さんの誕生日に)
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『トランセンデンセス』の統合失調症っぽさと『渇き。』のファンタジーさについて 

『トランセンデンス』と『渇き。』を見ました。

『トランセンデンス』は『インセプション』や『ダークナイト』などの監督を務めたクリストファー・ノーラン製作総指揮。
『渇き。』は『告白』の中島哲也監督。

以下ネタバレを含むので了承の上お進みください。



■ 『トランセンデンス』の人工知能と人間の曖昧さについて


『トランセンデンス』は天才学者の脳をデジタル化してネットに接続したよ、というお話。
楳図かずお『わたしは真悟』も機械が意志を持つという部分では似ています。
こちらは小学生二人が工業用ロボットに様々なデータをインプットします。
この二人が離れ離れになることとなり、最後に子供はどうやってできるのかを工業用ロボットに質問しました。
333カラトビウツレ
という回答があり東京タワーのてっぺんからヘリコプターに飛び移った二人。この瞬間に奇跡が起き、工業用ロボットに意識が芽生えました。
結末はぜひ原作をお読みくださいませ。大傑作です。

さて『トランセンデンス』ですが、とても不思議な描かれ方をしています。
それは、本当に天才学者の脳がデジタル化できていたのか曖昧に描かれているからです。

見ようによっては、序盤の展開はただ学者である妻の思い込みのようにも受け取れます。
ジョニー・デップ演じるウィル。同じぐらい頭が良い妻エヴリン。
ウィルの脳(魂)がデータ化されネットに接続されたようにももちろん見えます。
ですが、天才エヴリンが超高機能AIの開発に成功しただけにも見えます。

ウィルが開発した高機能AIである「PINN」は人間とジョークを交えつつ会話できるレベルなのですが、ウィルが乗り移ったとされるAIと初対面した親友に対し「PINN」と同じセリフを言います。

ここも「結局PINNのコピーでしかない」とも読み取れるし、「以前したPINNとの会話を覚えてるから紛れもなくウィルなのだ」とも読み取れます。


『メメント』では記憶の曖昧さ。
『プレステージ』では自己の存在の曖昧さ。
『インセプション』では夢と現実の曖昧さ。
『ダークナイト』では善と悪の曖昧さ。
このようにクリストファー・ノーラン監督は常に曖昧さをキーワードにしてきました。

はたしてウィルはデータ化され蘇ったのでしょうか。
それともウィルを渇望した最愛の妻が生み出した人工知能が世界を混乱に導いただけなのでしょうか。



■ 『渇き。』の幻想感

『告白』が大変素晴らしかったので『渇き。』も期待して見ました。

結論から言うと、少年少女売買春の手引きをした美少女と、それを探す父親の話をファンタジー要素を盛り込んで描いただけの映画でした。
オープニングが70年代刑事もの探偵ものドラマっぽいというのを見ても、中島監督は単純におしゃれな映画を作りたかったんだろうな、という感じでした。

『嫌われ松子の一生』で主演を務めた中谷美紀がかなり良いところを持っていっちゃいます。
妻夫木くん(なんか妻夫木くんって言いたくなりますね。IWGP)も良い役どころです。


ただ小松菜奈が大人たちを狂わす美少女に思えないんですよね。
もちろんかわいいし演技もうまいんだと思います(演技のうまい下手がよくわからない僕です)。
きっと二階堂ふみならこの役を完璧に演じきったと思いますが、「二階堂ふみ」という役者にいろんな情報が乗っかかり過ぎちゃって、「天使か悪魔かわからない行方不明中の美少女」という役がぶれちゃう気がします。


この加奈子という役は、汚れても汚れない天使性が無ければならないんですよ。
『渇き。』の加奈子はただのかわいい極悪人なだけで、映画として別におもしろくもなんともありません。
ただおしゃれ好きな人たちが食いつきそうなアイテムを散りばめただけの映画です。

『渇き。』とか『悪人』とか『凶悪』とか、二文字系映画に出て来る悪人のつまらなさよ。
悪人ってもっと普通で、その辺にいるような、自分が悪人と思ったこともないような、わかりにくくて、わかりやすい、すごく良い人たちのことなんだ。


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ももクロ論壇第三弾『アイドル感染拡大』進捗とか 

執筆期間も残すところあとわずかです。
その後は校正やらデザインやら表紙作成やらいろいろ詰めていきます。
校正以外は僕が横からあーだこーだ口出しするだけですが。

今回は表紙に女の子の写真を使いたくてモデルさんを起用しようと考えてます。
過去2作とはまた全然違う見た目になります。
撮影がまだなのでどうなるかわかりませんし、そもそもカメラマンさんにお願いして表紙撮影するとかも初だし、ほんといろいろ未知数ですよ。

モデルさんと事務所の方は快く引き受けてくださったのであとは晴れになるのを祈るのみ!
絶対おもしろい本になります!
これは僕が全部一人でやってて、原稿も僕のしか載ってないんだとしたらこんなに強く断言できませんけど、僕以外にいろんな人ががんばってるんで強く言えます。
すごい本になりますよ、これは。


毎日ももクロのことばっかり考えてるんですけど、原稿に書きたい事はだいぶ固まったのでそこに書かないことをブログに書こうかなと。


ある意見が目に入りました。

「D'の純情で、好きなことは苦しくたって努力と感じない、って逆じゃないか?好きなことは努力しても苦しくないじゃない?」
とのこと。

僕はもちろんそのままの歌詞で正解だと思ってます。
というのも、ももクロちゃん自身はこれまでの努力を努力だと思ってないと感じるからです。

ももクロちゃんはただ好きなこと、目指してることのためにがんばってるだけで、「今努力してるな」とはみじんも思ってないんじゃないかなって。

だからどんなに苦しいことでも「今努力してるんだ」とは考えてもいないと思ってます。

これが「好きなことは努力しても苦しく感じない」というのは自分が努力をしていると自覚してる前提ですよね。
しかもあれだけのパフォーマンスを多くの人達の前で披露するんですから、血のにじむような練習を繰り返しているのでしょう。
想像を絶するほど苦しいはずです。

だから僕は、苦しく感じないんじゃなく努力と感じない、の方がももクロだな、と思うんですよね。



あと、よく夏菜子ちゃんが太陽に例えられますが、僕はむしろ天手力男だと思ってるんですよね。

夏菜子ちゃんが太陽なんじゃなく、太陽を呼ぶ存在なんじゃないかなと。
だからバトルアンドロマンスであの曲があるのは象徴的だなと思っているわけです。

クイックジャパンの撮影で国立にいた時も、夏菜子ちゃんが太陽を望んだら晴れたというエピソードがあります。
この暗い世界に太陽を引きずり出すのが夏菜子ちゃんでありももクロでありアイドルであり我々である、という感じになればいいなぁ。



あと改めてももクロってメンバーカラーが決まってて良かったなぁ、と思いました。
色で認識されるからももクロってこともわかるし、メンバー同士でも識別しやすいですし。


さて、原稿執筆せねば。
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『百瀬、こっちを向いて。』に描かれる永遠にこっちを見ない百瀬から嘘社会のくだらなさを知れ 

『百瀬、こっちを向いて。』を鑑賞しました。

原作を読んでたんですが内容はほぼ忘れてました。乙一作品が好きなんですか映像化は期待はずれのものが多く、今作の映画もあかりん目当てで見に行きました。

以下ネタバレを含みますのでぜひ映画をご覧になってからお読みください。


まず映画についてですけどつまんなかったです。
学生時代の思い出と現在が交互に進行していくんですが、そこにメリハリも無くだらだらと進んでいく感じです。
ただ早見あかりが登場すると画面が一気に開けていきました。
これは映画というよりも早見あかりのPVなんですね。

撮影は彼女が18歳の時だと聞きましたが、10代で学生役を演じる映画で主演を取れてとても良かったと思います。

映画を見ればわかりますが、生足を写し出すカットや胸元を写すカットが多く、女子校生がとても性的に描かれています。
ですが早見あかりの存在感が女性的でありつつ、それでも決していやらしくない百瀬という女の子を表現していました。

原作の百瀬がどんな女の子だったか忘れましたが、乙一が描く女の子ってみんな魅力的なんですよね。すごくかわいい。特にサブカル好きにはたまらないものがある(笑)。
でも内面描写などで構築していくものであり、決して映像化はできない部分だと思うので、原作の百瀬と早見あかり版百瀬は全然別だと思います。
そもそも身長が違うでしょうし。

ですが原作を忠実に描くことが善とは思いませんし、あかりんとしての魅力を全面に押し出したこの映画は、あかりん初主演映画として大成功だと思います。

とにかくこの映画は早見あかりを見てれば良い映画です。
逆に言うとそれ以外見所がありません。


ただ一点ものすごく寓意的な場面があります。
この一点が無ければ映画として何も引き締まらず弛緩したまま感動も無く終わっていたでしょう。

それは百瀬の家庭を描いたシーンです。

学園生活は白くモヤがかかったような印象で現実感がありません。
それゆえにあかりんがとても美しく見えるのですが、会話もつまらないし言動もちぐはぐなので、その嘘っぽさにとてもイライラしてきます。
例えば百瀬が黒縁メガネの男の子に放課後一緒に帰るよう命令するのですが、「屋上で待ち合わせ」と告げるのです。
普通帰るなら下駄箱でいいじゃないですか。しかも二人は恋人同士だと周囲に思い込ませる使命があるわけで、下駄箱の方が好都合なはずです。
でも屋上のキレイなカットを撮るためだけの口実です。

このように学園生活は嘘でまみれています。

ですが家に帰った百瀬は違います。
薄いモヤは消え去り、妹や弟の面倒をし働かない父親や夜勤の母親の代わりに家事全般をこなす生活感あふれる少女が描かれます。
どうやら貧しい生活のようですが、学校にいる時よりも笑顔です。

つまり、そもそも学園生活は嘘まみれなんです。
だからモヤがかかって現実感が無いんですね。

この家庭での百瀬のシーンのおかげで映画全体が引き締まりました。


黒縁メガネの男の子はその後百瀬に惚れている事に気付き、振り向いてくれない百瀬と付き合えないままです。
その後小説家になり初恋を描いた小説を出版します。
でも彼はその初恋をフィクションと言うんですね。嘘だと言うんです。

一方百瀬は好きな先輩から縁を切られる手紙をもらい現実を突きつけられます。
愛は無くても金がある令嬢と、貧乏でもただ好きなだけの女子校生とでは、令嬢の方を選ぶのだ、と。
そこで百瀬は嘘の空間に生きることに気付いてもいない黒縁メガネの告白もあっさり断り、振り返ることもなく前を向き続けます。
この時あかりんは大号泣だったそうですが、この顔を映画に残さなかったのは監督の英断だったと思います。百瀬は前を向き続けるのです。

その後初恋を小説にしつつも「フィクションです」と言い切る男は、令嬢の思惑に十数年経ってようやく気付く鈍感さを見せ、いまだに結婚できずにいる。

男が十数年ぶりに故郷に戻り歩いていると百瀬と思われる女性とすれ違います。
男は百瀬だと気付くんですが、百瀬は振り返りもせず通り過ぎていく。
これがこの男の圧倒的な鈍感さでもあり、女子高校生時代の百瀬が失恋しこの男に振り返らなかった(つまり嘘ではなく現実を見続けた)力強さでもあります。


この映画は見ててもつまらないです。
ですが、早見あかりの不思議な存在感を美しく描き、現実を直視せず嘘にひたっている男のくだらなさを描き出した作品です。
あかりんの事を少しでも知ってる方は見るべきです。
そしてぼんやりとモヤがかかり、優しく温かく、そして何も得られない嘘社会ではなく、絶望し断念し現実を直視した百瀬の美しさから学びを得るべきなのです。


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8時間が1,000年に感じさせることと懲役が1,000年であるということの違い 

まるでSFのような哲学的命題が登場した。
まずはこちらをお読みください。


<参照:8時間が1000年に。薬の服用で脳の感覚を狂わせ、受刑者に懲役1000年を


タイトルにあるように、8時間を1,000年に感じさせる薬が開発されるそうだ。

ここには社会的な問題と哲学的な問題がある。

社会的な問題とは、「8時間の刑期で被害者や遺族は納得できるか」というもの。
これは話し合いやすい。
感覚的に、8時間しか経過していない相手を許す事はできないだろう。
例えば、3人殺した犯人が実際に50年刑務所に入れられ、50歳を取ったのと(つまり遺族や被害者も50年経過しているのと)、30人殺して懲役1,000年を受けた犯人が8時間だけじっとしているだけで釈放されてしまうのを見ているのとでは、受け手に大きな違いがある。

そしてそもそもの問題として、本当に受刑者が1,000年間を体感しているのか判断することができない。
遺族も同時に1,000年薬を服用すればいいかも知れませんが。



さて哲学的な問題について。

みんな1時間を1時間として体感しているのだろうか。
僕は1分が1分と感じているけど、この1分はあなたの1分と同じ長さだろうか。
時計の秒針が1周すると1分だが、この1周の速度も僕とあなたとでは感じ方が違う。
僕が言う1分は、あなたの感覚では30秒ぐらいなのかも知れない。
(つまり僕の方がゆったり生きていると言えるのかも知れない)


薬を服用し8時間が1,000年と感じられる受刑者。
でももしこの受刑者が、1時間を1分程度にしか感じないような人物だったとしたらどうだろう。
1時間経過したと思ったら60時間経過しているような奴だ。
そんな奴に遅くする薬を打ったところでどうなんだろう。
本来の「刑期1,000年」というのは時間的にも、受刑者の体感的にも達成されることがない。


強引にまとめると、どうやら時間というのはみんなが決めて納得できるものさしが必要らしい。
地球が一回転すると1日、という具合に。
この速度が人によって24時間だったり12時間だったりするわけだけど(時間の流れる速さの体感が違うので)、例えそうだとしても日が昇り沈んでまた昇るまでの間を1日と決めた。


だからこの薬による「体感時間刑期1,000年」というのは実際に実行されるのかは疑問だ。

漫画みたいに、最初の1時間2時間程度でみるみるしわくちゃになり白髪になって老衰死してしまう、というオチがあるのかも知れない。
1,000年生きた事が無い我々にはとてつもなく長いという想像しかできない。
1,000年の眠りから覚めた受刑者(つまり8時間後)は、悪い夢だったとしか感じないのかも知れない。


手塚治虫『火の鳥』未来編では宇宙意思となった主人公が何億年も次の宇宙を待ち続ける。
そう考えると8時間で1,000年を体感できるというのはもしかしたら刑罰というよりももっと深い新たな発見なのかも知れない。

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