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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

島田紳助と暴力団批判について 

島田紳助がどうなろうと知ったこっちゃねぇが、暴力団がいけないものと捉えてるままでは何も問題は解決しない。


暴力団が存在するということは、暴力団を必要とする者たちが存在するということだ。


例えば「車」。

自動車事故は後を絶たず、いつまでも人を殺し続けるでしょう。
でも自動車を必要とする者も今後ずっと存在し続ける。
なので車は無くなりません。


暴力団も同じです。

必要とする人がいるからいつまでも無くならない。


「車」の利点は何か。
わかりやすいのは移動手段ですよね。
他にも所有することがステータスになる、という90年代的な考え方もあるでしょうけど、今回は単純に考えるために「移動手段」でいきます。

「車」を無くすためには、移動手段を新たに提供するしかない。

事故が無く、個人で所有でき、維持費も大してかからず、高速で移動できる物が作られれば「車」は存在しなくてもよくなります。


暴力団はどうか。

暴力団を必要とする人は誰でしょう。

それは警察に頼れない人でトラブルを抱えてる人です。
すなわち、現状の法規制では対応してもらえない人ですね。


警察に対応してもらえない。
警察に通報すると自分が不利になる。
法律では刑罰が軽すぎると感じる。

様々な理由で暴力団を利用するだろう。


つまり、警察や法律が変わらない限りは暴力団は存在し続けるということだ。


暴力団を無くそうとがんばってる人がいる。

暴力団に対し、「いなくなれ」と叫んだところで何も解決しない。

こういう人たちは社会がどういう風に成り立ってるのか何も見えていないのだろう。

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amazonとYouTubeの新機能について 

日記の更新が空いてしまいました。

帰ってきたら寝る生活。

ツイッターは相変わらず発言してるので、良かったらフォローしてください。


ツイッターはメモのような機能もあって、発言したことで自身の思考が段々深まる場合がある。

最近連載中の「民度を上げるにはどうすればいいのか」というのも、ツイッターのつぶやきから発展してます。



最近では、amazonとYouTubeのおすすめ機能について発言しました。

「この商品をチェックした人は、こういう商品もチェックしてます」という機能がある。
そこで我々は趣味を渡り歩き、新たな出会い、当たり外れが少ない出会いを迎える。
そしてついつい買わされてしまうわけですけども、これと逆の機能はどうか。


つまり、「この商品をチェックした人は、こういう商品を全然チェックしません」というような。
動画も同じく。


そうすることで、生きてて絶対に出会うはずがない動画や商品と巡り会えるわけだ。

つまりは人生の縮図です。

人生というのは理不尽で操作不能です。

だからこそ楽しい。

このamazonやYouTubeの逆おすすめ機能も似た性質を持つ。

興味が無いどころか、存在すら知らないような商品や動画を知ることができる。

趣味の共同体内では「乙一が好きだったらジョジョ読んでみれば」などの、似たものを勧められる。
逆おすすめ機能では「KARAのプロモ好きだったら屋久島の環境の仕組みを見てみれば?」とか、「ヱヴァンゲリヲンの可動フィギアが好きだったら江戸川乱歩の緑衣の鬼がおすすめです」とか表示されます。


全然知らない共同体にアクセス可能になることで、見識が深まる。


僕はランダム性というのを大事にしていて、音楽を聞く時もランダム再生することで、曲のつながりが予測不能になる。

でもランダム性は楽しい。

なぜなら奇跡を感じられるからです。


人生とは奇跡だ。

勝手知ったる共同体の徒歩移動ではなく、未知なる世界へ跳躍して共同体を渡り歩くことで、この世界は豊潤なものと感じられるだろう。

今すぐその殻をぶち破れ。

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発ガン率上昇は絶対原発事故のせいにならない 

多くの人が被曝していると思われる。

それがいつ発現するかわからない。

30年後に発ガン率が上昇するかもしれないし、半年後に奇形児がたくさん生まれるかもしれない。


でもそれを科学的に証明できんのか。

きっと今はやってるものと関連付けて、絶対原発事故のせいとは言わないだろう。

例えばスマートフォン。

最近携帯電話の通話による人体への影響が発表されたが、きっと携帯電話のせいにして、発ガンリスクや奇形児発生を発表するだろう。


それに日本人の多くはもともとガンで死ぬ。
ガンでの死亡率が少し上がりました、ぐらいの発表しかしない可能性もある。
10万人増えたとしても数%でしょ、きっと。

5%上がったとしても「たった5か」ぐらいしか国民は認識できない。

パーセントは母数が大きければ大きいほど数字が大きくなるのは当然の話なんですけど。
「たった5」の方に目が行く。


だからつまり何が言いたいかと言うと、忘れないようにしよう、ってことです。

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震災のジレンマ 

日本は震災のジレンマに陥っている。


1)政府は重大な予測を手にしているとしよう。
2)発表し、国民に知らせることで被害が最小で済む。
3)だがもしその予測が外れた場合、国民から最大限の非難が来る。
4)その非難により、先の選挙で大敗が予測される。


果たして政府は重大な予測を発表できるだろうか。

できない。
なぜなら政府は選挙で勝つことが動機付けられている。
選挙で勝つことで国を良い方向に向かわせられる(と思い込んでいる)政府にとって、選挙で負けることは許されません。

だけど、重大な予測を発表しないことで国民の多くを失うことは、選挙も何も無い。国そのものが無くなる可能性があるので、選挙にこだわるのは馬鹿げてます。

でも国民からの非難を恐れて予測を発表できない。


これが「震災のジレンマ」です。


大事なのは、政府が重大な予測を外したとしても、国民が非難しないことです。

非難せず「外れた。良かった」と政府をたたえることで、政府は重大予測発表の動機付けを得られます。
そして予測が当たった時は、国民の被害も最小で済む。


何が言いたいかというと、国民は馬鹿だってことです。
計画停電に翻弄され、結果計画停電が中止された時に「なんで中止したんだ!!」などと怒り出す馬鹿さを持ってる限り、政府は重大な予測を発表できない。


国民の教育をしてこなかった政府の怠慢が、政府自身の首を絞めている。
結果日本は滅びてしまった。
愚かしいことだ。

勉強しよう。勉強勉強。

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『ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ』と囚人のジレンマ 

映画『ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ』がテレビでやってるので見る。

映画にする必要無いじゃん。
テレビの2時間スペシャルで済む。
こういうのが映画を衰退させるのです。

まぁいいですけどね。


『ライアーゲーム』はゲーム理論がベースになっている。
ナッシュ均衡やパレート最適など、ゲーム理論の基本が用いられる。
ゲーム理論の基本は「自分が一番得をする行動を取る」というものと、「敵も自身が一番得をする行動を取ると考える」というもの。

有名な「囚人のジレンマ」というのはナッシュ均衡とパレート最適のジレンマをマトリクス化したもの。
(何書いてっかわかんないでしょうね。説明しますね)

ナッシュ均衡というのは、均衡状態になることです。ちょうど良い状態。
自分がどのような行動を取ろうと、自分の利益が増えない場合を指します。

パレート最適とは、誰かを犠牲にしなければ利益が生まれない状態を指します。


ここで「囚人のジレンマ」について考えましょう。

2人が捕まった。
別々の取調室で自供を促している。

・2人とも黙秘したらどちらも懲役2年
・相手が黙秘してもう片方が自白したら、自白した方が懲役1年。相手は15年。
・2人とも自白したらどちらも懲役10年。
・2人は相談できず、お互いの状況を知らされている。

この場合、二人にとって一番良い状況はお互いを信じて黙秘することだ。
懲役2年で済む。

だが個人で考えると、一番良いのは相手を裏切って自白して懲役1年を狙うのが一番良い。

でも二人がそれを狙うと、お互い自白し合ってしまい、結局どちらも懲役10年になってしまう。

片方が15年という最悪の事態は免れるが、どちらも2年という一番良い結末にはならない。

これが「囚人のジレンマ」です。


自分の最悪状態を避けようとするために勝利を逃す。
『ライアーゲーム』はまさにこの構図。
天才詐欺師の秋山は、相手の行動の裏をかく。
「ゲーム理論」に則って行動する敵に対し、自分が損をするような行動を取ったり。
あとは用意されたゲームの穴を見つけたりね。


結局は用意されたシステムを壊すしか勝つ見込みは無いって話ですね。

神崎ナオは人を信じ続ける役柄として配置されている。
「囚人のジレンマ」で言えば、相手を信じて黙秘し合う関係性ですね。
そうすることで被害は最小で済むのだ、という考え方です。
でも「ジレンマ」ですから、それはあり得ない。

そこでナオは窮地に陥り、秋山が助ける、という繰り返しですね。


何度も言いますけど、なんでこれを映画にしたのか。
映画らしい映像表現は無いですからね。
映画館で見てたら飽きただろうなぁ。


どうでもいいけど、関めぐみって怖いと思った。

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恩のインセンティブ 

『超ヤバい経済学』にはインセンティブという言葉が出てくる。

インセンティブとは、報酬とか動機付け、というような意味。
モチベーションが内発性なのに対し、インセンティブは外部から与えられるものを指すようです。


人はインセンティブにより動く。
例え良いことだとしても、自分へのインセンティブが少ない場合は人は動かない。
これが『超ヤバい経済学』の骨子です。


「恩」ってどうでしょう。

恩を与え合うことで社会は回ります。
社会学では、「互酬性」が大事だと考えます。
すなわち、受けた恩をどこに返すか。
親から受けた恩を、そのまま親に返すことも大事です。
でも親から受けた恩を、我が子に与えることで、社会は回る。

恩を与える対象はいいでしょう。
では、与える「量」はどうでしょうか。


受けた恩と与えた恩。

ここでインセンティブの齟齬が生じます。
「人は、受けた恩よりも与えた恩の方が大きいと感じる」

誰かから1000円もらったとします。
また、別の誰かに1000円あげたとします。

同じ1000円の移動ですが、あげた時の方が大きく感じる。
もらう時は増えてるのに対し、あげる時は損失が出ているからです。


この考えで行くと、ゆくゆくは社会は崩壊します。

なぜなら、みんながみんな「自分がしたことに対するインセンティブが少ない」と感じるからです。
報われないとなると、誰も恩を与えたくなくなります。

「恩」は「貨幣」と一緒で、自分ができないことをしてもらうためのツールという一面があります。
女の子紹介するから、代わりにイヤな奴をぶちのめしてくれよ、みたいな。

多くの恩を与えることで、人は幸福になります。

でも与えた恩の割に、自分への見返りは少ないと感じる。
段々与える気が失せていくでしょう。



なんですけど、そうはならない。
そう、社会は崩壊しない。

なぜなら、人は「恩」を得るために行動しているわけではないからだ。
すごい人物。宮台風に言うと「人に感染を引き起こさせる人物」というのは、恩のために生きない。
自分の損失になるにも関わらず、人のために身を削って動く人物がいる。
恩を得たいわけでも、賞賛されたいわけでもなく、自分がやりたいからやってる。
そして多くの人は、そういう人にこそ惹かれ、多くの恩と賞賛を与えます。


社会がダメになればなるほど、人は輝く。

輝ける人になるには、恩を求めてはいけない。

一般の人に理解不能な行動こそが、社会を回る。

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水嶋ヒロが生まれる確率の計算方法 

声優の平野綾が出てた番組で、題名忘れましたけども、確率を算出するようなのがありました。

ある出来事が起こったのは、どれぐらいの確率で起こったのか、というようなのを計算する番組。


その番組で、水嶋ヒロが生まれる確率をやってた。
10年に一人の逸材と言われてますが、どれぐらいの確率ですか、という質問に対して、いろいろ計算してた。


帰国子女の日本人男性が何分の1。
高校サッカーで決勝まで行った人が何分の1。
ミリオン歌手を奥さんに持つ人が何分の1。

という具合に全部計算して、結果生物が誕生するよりも低い確率で水嶋ヒロが出現した、ということに。

100ガイ分の1とか。


当然ですけど、この計算法はあり得ません。
そもそも水嶋ヒロが生まれてる時点で、生物が誕生するよりも低い確率で生まれる、なんてあり得ないわけです。


まず、全部の分母を掛けちゃダメでしょ。
じゃあ僕の出現した確率で例えましょうか。

僕は男性です。
2分の1ですね。
血液型がO型です。
まぁ4分の1です。
さらに、さまぁ~ず好きです。
さらに、『紀子の食卓』好きです。
さらに、浮遊する実存と輪廻する初期設定の管理人です。
さらに、13年ほど前に青森から上京してます。
さらに、本とかマンガを1000冊以上所有してます。
さらに、iPhone 3GSユーザーです。
さらに、ジョジョ好きです。
さらに、ジョルノ・ジョバァーナ好きです。
さらに、ジョジョ4部も好きです。

と言う具合に、全部の分母を掛け算していくと、当然宇宙を越えます。
まず、すべての要因に被りがある。
ここを考慮しなければなりません。
この番組のやり方では、要因を挙げれば挙げるほど、確率は低くなります。
そんなことあり得ません。
言ってしまうと、水嶋ヒロが生まれる確率と、僕が生まれる確率は同じです。
60億分の1ぐらいですよ。


ギャグで計算してるんだったらいいんですけどね。
なんか計算の仕方が雑です。

雑なものにうるさい僕です。

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善悪の議論 

大抵の人は自分が正しいと思って生きている。
それが社会です。

善きことと思って物事を成す。
それが誰に被害を及ぼし、害悪になっているかもわからない。
わからないまま、善き行動と信じて信念に従います。


でも、どうやら多くの人は、自分の信念に反するものは、すべていけないもの、排すべきものと思っているようです。

自分の考えが絶対的に正しく、それに反する考えは徹底的に批判する。

でも社会学を学ぶ者やこのサイトを見ているあなたは、それが間違いであることを知っている。

物事は、何が正しくて何が間違っているかはわかりません。
あるのは、視点・視座・視野の違いです。

何を見ているのか。どこから見ているのか。どの範囲まで見ているのか。

議論の多くが空転するのは、視点・視座・視野の違いが共有されてないからです。
町内会レベルの話をしているところに、宇宙規模の問題を出されても話にならないのと同じです。


質の高い議論にするためにも、
1、自分の考えが絶対ではないことを自覚する
2、視点・視座・視野を共有する
この2点を意識しましょう。

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叙述トリックによる崩壊 

我孫子武丸「さよならのためだけに」を読了。
離婚するために共闘する夫婦のお話。
すらすら読めました。

我孫子武丸と言えば「8の殺人」や「0の殺人」。「人形はこたつで推理する」などコミカルな推理小説があり、スーパーファミコンの「かまいたちの夜」のシナリオで有名ですね。

そして「殺戮にいたる病」や「弥勒の掌」などもミステリファンには評価が高いです。


僕は「殺戮にいたる病」で衝撃を受けました。
初めて叙述トリックに接触した。
(叙述トリックで重要なのは「読む前に叙述トリックであることが伏せられている」ということです。何も知らないで叙述トリックに出会うからこそ衝撃度がでかい。よく「叙述トリックとしてオチが読める」みたいに評価する人がいますけど、そりゃあ叙述トリックって知りながら読んだらオチ読めるものだってあるだろ)

叙述トリックについては以前書いたことがありますけど、もう一度説明します。
叙述トリックというのは、作中人物は何の違和感も無いのに、読者だけが騙されていた、というものです。
例えば、晶と健二というカップルがいたとします。
でもラスト、この二人が実はゲイカップルだったと判明する。
読者の先入観で晶が女性で健二が男性だと思い込んで作品を読み進めているので、最後に衝撃が来ます。


「殺戮にいたる病」を読んだのが中学生の時だったんですけど、読後混乱に陥りました。
意味がわからない。
どういう事態になっているのか。
その時の衝撃が忘れられません。
世界が崩壊するような感覚。
自分が信じていたものがすべて崩れ落ちる感覚。
それを求めている。

「さよならのためだけに」は全然叙述トリックじゃなかったんですけど、心のどこかで期待してました。
崩壊させて欲しい。
世界が崩壊する感覚をもう一度味わいたいです。

中学生の時に読んだ「殺戮にいたる病」の衝撃が、いまだに僕の人生観に影響しています。

世界は、崩壊する。いともたやすく。

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脱「脱ゆとり教育」 

「脱ゆとり教育」というのを掲げているらしい。

当サイトで何度か取り上げましたが、僕は「ゆとり教育」賛成派です。
「ゆとり教育=授業時間削減」としか考えられないバカ自身がゆとり教育を受けていないことからも、すでに論証可能でしょう。


「ゆとり教育」というのは、詰め込み教育を否定しているんじゃなく、詰め込み教育が未来を見せる力を失ったことを見直そう、というものです。

昭和時代。勉強してがんばれば将来成功する、という図式が見えました。
でも今はいくら勉強してがんばっても将来どうなるかわからない。
どうなるかわからないものに時間を費やす奴はバカを見る、というような風潮になります。

そういう子供にいくら詰め込み教育をしても反発しかない。


だから、子供に何をしたいか決定させ(もしそれが自分に合わないと気付き再決定させるのも含め)、それに対してサポートしていくという「ゆとり教育」が良い。
減らした授業時間を将来のために使う。
これが「ゆとり教育」です。

なのに読解力が皆無なバカは、授業時間を減らすだけだとしか思っておらず、さらに自分たちが詰め込み教育で現在の地位を築いたものだから、それが絶対的に正しいと思い込んでいます。


街頭インタビューを受けてる母親がゆとり教育に対し、「えー、そんなことも習ってないの? っていうことが多くなった」と言ってました。
バカか。
だったらあなたが子供に教えればいいだけじゃないか。

学校の先生にすべてを預けないのが「ゆとり教育」です。
そして「ゆとり教育」の失敗は、優秀な先生が育ってないことにあります。
そしてそれはそのまま、現在の「脱ゆとり教育」の失敗にもつながる。
優秀な人材が育ってない以上、現代の教育、今の子供を良い方向に導くのは難しいでしょう。

優秀な人材を育てるための「ゆとり教育」すら短絡的に失敗だと叫ぶような人しかいない社会なんですからね。


とりあえずなれるから学校の先生になった、という人が生まれ続ける以上は、快方には向かいません。

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