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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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認識力の振幅と自殺願望 [2008年09月15日(月)] 

生きてて楽しいと思う人と、生きていたくないと思う人がいます。

生きていたくないと思う人にこそ社会学を知って欲しいんですが、こういう人に限って心理学や精神医学に走りがちで、結果「自分はぬちゃぬちゃ障害なんだ……。死のう……」と洗脳されてしまいます。
社会学のすすめは次の機会に書くとして、今回は「認識」について書こうと思います。


例え話をします。

りんごの味とみそラーメンの味を知っている人がいるとします。
他は食べた事がありません。

それとは別に、りんごやラーメンはもちろん、いろんなものを食べた事がある人がいるとしましょう。

二人に、「ワニって鶏肉みたいな味なんだって」と言います。
ワニも鶏肉も食べた事が無い人は、何を言われてるのかさっぱりわからない。
一方、もう別の人は、ワニは食べた事無いけど、鶏肉は食べた事あるので想像しやすい。


端的に言うと、「生きててもつまんない」と思う人は前者で、「生きてて楽しい」と思う人は後者なんじゃないか、という事です。

当然、どちらにもニヒリストは存在して、きっと「りんごうまいよ。だからそれが何? 意味無いじゃん」と言うでしょう。
まずいりんご食べた時に、「ほらな、やっぱりりんごだってまずいんだ。期待しなくて良かった」と、期待ハズレを先取りする利口さを持っているからです。

これはここでは割愛します。
ニヒリストは好きじゃないので、割礼とか去勢とかして欲しいです。


これほどわかりやすい話も無いけど、りんご味とラーメン味しか知らないなら、他の食べ物を食べてみるしかありません。

いろいろ食べ、知識を増やす。
自分の中に基準ができると共に、想像力の上限も増えます。
「もしかしたらミラクルフルーツってパパイヤの味なんじゃね?」
そして実際に食べる機会が訪れ、いざ食べてみると全然違う味なんです。
「すげー、ミラクルフルーツってミラクルフルーツ味だ!! しかもすっぱい物食べても甘く感じる!!」

期待ハズレに見舞われたのに、それをポジティブに変換できる。


「認識」ってこういう事なんじゃないかなぁ、と思っております。

赤ちゃんって日々成長すると言われていますよね。
すべてが新鮮で、学習の対象だからでしょう。

僕自身、物事を 1% も理解してないと思っていますが、その分知らないものに接すると驚きます。
しかも先人が「○○学」とかカテゴリ分けして開拓してくれてたりもします。


知り合いに、趣味がキャバクラ通いとゲームという男がいます。
本も読まず、映画も見ない。
当然、本を読むのが偉いとも、映画を見るのが偉いとも言いません。
ただ、さっきの食べ物の例え話を挙げたように、いろいろな事を知っているほど、キャバクラやゲームを深く理解できると思うんですね。


漫画は「ドラゴンボール」だけじゃない。
「ドラゴンボール」しか知らない場合、強い敵を倒し、さらに強い敵を倒す、というのを繰り返し、最強が決まらない事がおもしろいとしか思えません。
でも漫画もいっぱい種類があります。

僕は、社会学的に見る場合もあれば、哲学的に見る場合もあります。
当然感じるままに受け取る場合もあります。

狭量な人ほど、「これはこうしなければならない」と思っています。
バナナを食べるものとしか認識してない人には、女の子にバナナを咥えさせるとか、凍ったバナナで釘を打とうとか思いもしないでしょう。



と、ここまで日本語で書いてきました。
日本語しか知らないし。

日本語が読める人を前提として書かれているし、もちろん眼が見える人や、ネット環境にある人を前提として書いています。
そして、上記の文字列を読み解ける人を前提としています。

りんごもラーメンも知らない人には、そもそも話が通じない。
(例えですからね。くどく言いますけど)


現象学の領域なんだろうか。言語学? よくわかりませんけど、大前提として人と人は会話が成立しません。
たまたま偶然かみ合っているように見えるだけです。


「そこのコップ取って」と言い、「ほい」とコップを渡される。

成功パターンを学習し、次の機会にまた「コップ取って」と言う。
すると言われた人がコップを持ってどっかに行ってしまった。
失敗パターンで学習し、「そこの」を言わないのがいけないのか、「取って」を「持ってって」に聞き間違えたのか、いろいろ考える。

また次の機会に、「そこのコップ取って」とはっきり言う。すると「ほい」とロープを渡される。
ここで学習し、「これロープ。最後の文字しか合ってねぇし。せめてコッツァぐらいにしろよ。コッツァはねぇか」とつっこみを入れ、笑いがうまれたら、「今のはボケだ」と学習できる。
でもここでも更に「じゃあ死にます」と自殺されたら。

我々はこのような世界を生きている。
りんごかと思ってかじったら虹があふれてくるような世界。
サイコロを振ったら7が出るような世界。
愛してる人に「愛してるよ」と言うと、「あたしも愛してるよ」となぜかたまたま偶然返って来るような、そんな世界を生きている。
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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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