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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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中高生からの社会学「規制は人々を幸福に導くのか」 [2009年01月15日(木)] 

■ ルールの必要性と過剰適用の危険性について考える

みんなも「なんで校則ってあるんだろう」とか「校則をやぶる事って本当に悪い事なんだろうか」って考えた事があると思う。
僕が小学生のころに思ってたのは、「なんでろうかを走っちゃいけないんだろう」って事。
たしかにろうかを走って他の人とぶつかったらケガをする。
じゃあぶつからなかったら走って良いんじゃないか。
そんな事を考えていた。

・ケガをしないように行動する
・他人に迷惑をかけない

と教えるべきところを「ろうかは走らない」と教える。
それにより、どのような利点があり、どのように誘導されがちか。そんな事を考えていきたいと思います。

「中学生・高校生から考える社会学」第6回は「規制」についてです。

■ ルールって本当に必要?

ルールにはいろいろな種類がある。
法律や校則など「文章になっているもの」。
親や先輩から無言にしつけられる「文章になっていないもの」。

また、別の分け方もあります。
「大きな共同体に参加した時に従うルール」と「小さな共同体に参加した時に従うルール」です。
例えば、「全校生徒の前で急に裸にならない」とか、「家のトイレの扉は必ず閉める」とかです。

文章にされてるかされていないか、参入する共同体が大きいか小さいかに関係無く、ルールができた理由が存在します。
何かあったからルールができた。

ルールに従うという事は、その共同体に参加すると表明した事と同じ意味になります。
つまり項題にある「ルールは必要か」という問いに対しては、「その共同体に参加するのならば必要」という答えになります。

なので、ルールが気に入らないのであれば、その共同体を抜けるか、そのルールを変えるように働きかける必要があります。

本テキストでは「ルールは必要」という前提で進めていきたいと思います。
ですが、当然のように「ルール」にも様々な問題が発生します。

■ ルールが決められた意図を見抜こう

家族・学校・アニメのファンコミュニティ・日本人など、それぞれの共同体に参加するためにはルールに従う必要がある、と前項で書きました。

でもみんなも感じた事があるように、「そのルールで喜ぶヤツいるか?」ってものがあるます。
ルールだから従わざるを得ないけど、実際は多くの者が不利益をこうむっているようなルール。

わかりやすい例を出すために、「文章化されておらず」「小さな共同体」で決められたルールを考えてみましょう。

「学校の不良リーダーにお金を差し出さなければ殴られる」というルールがあるとします。
このルールは、不良リーダー以外の生徒に不利なものです。
お金を差し出すのが好きか、殴られるのが好きな人はあまりいません。
当然このルールは、ルールを決めた不良リーダーと不良グループだけが利益を得られるルールです。

このようなわかりやすい「変なルール」は批判しやすいでしょう。
多くの者が被害に遭っている、という点からも批判しやすい。

だけど、法律のような「文章化されていて」「大きな共同体」に向けられたルールはなかなか批判が起こりにくいという問題があります。
なぜなら「文章が複雑過ぎて、何を縛っているルールなのか読み解けない」という点と、「共同体が大きいので、誰の利益か、誰の不利益かがなかなか見通せない」という点があるからです。

この2点も問題をわかりやすくすると、次のようになります。

・ルールの意図を見抜き、不備なところを読み解ける技術を身に付けられるか
・誰の不利益か、どのぐらいの範囲で不利益か、どのぐらいの期間で不利益かを、常に話し合えるか

1点目は、ルール作成者の好きにさせないという事。
2点目は、絶対的なルールというのは成立が不可能という事。
これらを踏まえておく事が大切です。

もう少し掘り下げて書いてみます。


・ルールの意図を見抜き、不備なところを読み解ける技術を身に付けられるか

これは、「ルールを見抜けなくさせるルール」が作られるという大問題が常につきまといます。
それにともなって、「ルールの不備を発見できても発言できなくさせるルール」が作られる問題もあります。

なので、すべての人の発言する権利を侵害するようなルールは絶対に成立させてはなりません。
そしてそのためにも、ルールを決める人が何を意図しているか見抜く能力を養わなければならない。

当然「ルール解析能力を育たなくさせるようなルール」についても敏感でいる必要があります。

・誰の不利益か、どのぐらいの範囲で不利益か、どのぐらいの期間で不利益かを、常に話し合えるか

前述の通り、全部の人が納得できるルールというのは成立する事が不可能です。
なぜなら、そもそも「全部の人」が誰を指しているかが決められないからです。
国による文化の違いもあれば、個人的な好き嫌いもあります。
それに、10年後の幸福を目指して今を犠牲にする人もいれば、今楽しければ10年後どうなってもいいという人もいます。

なので、いつでも発言ができる環境を守り続け、その時に何を優先するべきか常に検討し合う事が大切です。

■ 規制される事が逆に人々の平穏を脅かす?

多くの人はルールに従わない人が悪く、ルールに従ってれば安全だ、と考えます。
ここにも問題があります。
それは「ルールに従わない者は悪だ」と思い込みやすいという点です。

ここでは「大麻」を例に考えてみます。

日本では大麻を所持したり栽培する事が違法とされています。
ですがオランダでは合法だし、他の国でも日本ほど厳しく取り締まらないところがあります。

ではオランダ人は日本人より悪い人達なんでしょうか。
当然そんな事はありませんね。
その共同体のルールに従っているだけです。

ですがルールで縛れば縛るほど、また別の問題が出てきます。
それは、規制される事で更に深部へ、更に巧妙化する、という事です。

ルールで縛って規制したつもりが、犯罪が複雑化・巧妙化し、誰が何をやってるかわからなくなる、という問題が出ます。

規制が厳しくない時は犯罪に深く染まらずに救えたかもしれないのに、規制を厳しくしたせいで取り返しのつかない事になりかねない。
具体的に書くと、不良がたむろする場所がわかってる時は、そこに行けば悪いヤツがいるから注意しやすかったのに、不良が集まる場所を規制してしまうと、不良がどこにいるのかわからなくなってしまう、というような事です。

つまり、集まる場を規制して無くしたからと言って、それは表面上の事でしかなく、本質的な解決にはならない、という事です。
この事からも、ルールを決める事が人々の平和に結び付くというわけではない、とわかります。

さらに、過剰な規制により人々の目に見えないようになると、「どこかでうまい事やってるんじゃないか」という疑心暗鬼におおわれます。
表面上だけがきれいになったせいで、見えない部分に対する不安が増大する。
その不安がますますルールの厳罰化へと駆り立てます。


まとめます。

僕たちは、ルールが決められそうになったら、常にどんなメリットやデメリットがあるか、特にデメリットについて議論する必要があります。
そして、議論しても正解が出る事はありえないから無駄だ、と思い込まない事も大事です。
そのためにも、ルールに賛同する人の人数や割合などの数値、甘い言葉にだまされてはいけません。
「規制を学ぶための発言や議論の場を規制」するようなやり方をも批判できるぐらい成長する必要があります。
なんでもかんでも規制する事がみんなの幸せになるわけでも無い、という事を自覚しながら、ルールを決めたり廃止したり話し合わなければならないのです。
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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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