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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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「ネズミの相談」の教訓は何を失わせるのか [2009年02月16日(月)] 

■ 「ネズミの相談」の教訓は何を失わせるのか

イソップ童話に「ネズミの相談」というお話があります。

ネズミを襲う猫に困ったネズミ達。
どうにかならないものかと、ネズミ達は猫対策を考えます。
あるネズミが名案を思いつきました。

「猫の首輪に鈴をつけて、どこにいるかわかるようにすればいいんじゃないか」

それは良いと、ネズミ達は賛同しました。
ですがネズミ達は「じゃあ一体誰が猫に鈴をつけるんだ」と再び悩む事になりました。

このお話の教訓は、できない事を言っても意味無いょ、って事です。


「多面的に見るイソップ寓話」第5回は「ネズミの相談」について考えたいと思います。

■ 自分の能力を知る事と限界を知る事

「ネズミの相談」の教訓通り、自分ができない事を提案すべきでは無いでしょう。
ですが、自分の能力を低く見積もって、本当は実行できる提案をしないのももったいない。

結論から先に言うと、「ネズミの相談」の教訓に学ばず、どんな提案でもすべきだ、と思っています。
なぜなら、「強気な提案」を無謀だと排除し、「弱気な提案」だけを受け入れるような体制では頭打ちになるからです。

強気か弱気か関係無く、いろいろな提案を出す事で、広く深い視野を得られるかもしれない。
本テキストのタイトルでもある「多面的に見る」というのも、いろいろな考えをごちゃまぜにして、何が良いところか悪いところかを明らかにしたり、更なる思考に到る可能性も見据えています。

「ネズミの相談」では、(1) ネコに鈴を付けようという提案が出て、(2) 実行できるネズミがいないから無駄だ、という流れになりました。

だけど、(2)の時に「ネコに鈴を付けられるネズミ」が現れるかも知れない。
(2)がどんな展開になるのかもわからないのに、最初から「犠牲は仕方無い。できるだけ逃げよう」などとあきらめ、解決にもならない提案をしてちゃあ、鈴を付けるという名案は生まれない。

島本和彦作「逆境ナイン」の主人公である不屈闘志も同じ事を言います。
以下抜粋


確かに『井の中の蛙大海を知らず』そういう言葉があります。
確かに蛙は大海を知らなかったかも知れない…
だが通用しなかったとは言ってない!!
大海を知らなかった蛙の中にも
十分に大海に通用したやつはいたはずだ!
それがそんな言葉のトリックにひっかかって
どれだけの才能が潰されてきたことか!!
歴史の白いページを俺たちが切り開いて来ているのだ!!
先人の腰の抜けた言動に惑わされるな!!!


本テキストが無駄になるほど的確に表現された名言です。
ネズミがネコに鈴を付けられないと勝手に決めつけ、実行できたらネズミ達が安全に生活できるのにそれを実行させない。
そんなのは教訓でもなんでもない。
それはただの精神的呪縛だ。

■ ネコに鈴を付けるのは誰か

「多面的に見るイソップ寓話」では、様々な学問とイソップ童話を照らし合わせて多様な解釈に到達しようと試みます。
社会学や哲学や経済学やゲーム理論などに近付け、その場合はどのような影響があるかなどを思考実験する。

当然僕はそれぞれの専門的知識は持ち合わせていないので、「こんな見方もできる」ぐらいのレベルでしか提示できません。
だけどすべてに共通するのは「どうすればより良き世界になるか」という問い掛けです。

ネコが襲ってくる。ネズミはなす術が無い。ではどうするか。

ネズミが「ネコの首輪に鈴を付けよう」と提案しましたが、ネズミの力では実効が出来ない。
その場合、ひとつ上の権力を頼る、という案があります。
他に、報酬を支払って実行してもらう、という案があります。
また、ネズミ同士でゲーム理論的な状況を作らせる、という案もあります。
さらには、そもそもこんな事を考えなくてもネコが突然いなくなる、という可能性だってある。

それぞれについて考えてみます。

■ ネコ退治のために国家権力を呼び出す

トラブルが起きた場合、国家権力に通報して解決する方法があります。
「ネズミの相談」で例えるなら、保健所に連絡してネコを駆除してもらう、というような感じでしょうか。
確かに解決してます。
ですが違うやり方もあったんじゃないか、という想いもあります。
ネコもネズミも傷付かないやり方が。

早い話が、いきなり上位手段を用いると、取り返しのつかない事態を招くかもしれない、という事です。
話し合いで解決できたかもしれないし、ネコの飼い主が対処してくれたかも知れない。
でもネコを殺しちゃったらネズミの問題は解決しますが、また新たな問題が噴出するでしょう。
ネコの駆除と同時にネズミの駆除も行われる、というような状況などです。
他に、ネコを失った飼い主の悲しみは誰が癒すか。ネコがいなくなりネズミが増えた家に対して家主がどのような対策を講じるか、などなど。

ネコがいなくなったけど家主がネズミを全滅させるような手段に出たとしたら、ネズミの望むべき結果にはなりません。

問題を無くせば全て解決する、という考え方は危険です。
新たな問題が出てくる事も考えられるし、自分がいる場自体が崩壊するかも知れないからです。

■ ネズミが用心棒を雇うには

ネズミはネコに鈴を付ける事ができない。
でも犬ならできるかも。
たぬきならできるかも。
別のネコならできるかもしれません。

自分のできない事を、誰か別の人に頼む。
前項では警察や法律などの上位権力に直接アクセスする事について書きました。

本項では、人に頼むにはどうすればいいか、という事について考えたいと思います。

ネズミの持ってない能力、ネコに勝てる能力を持つ者に頼る。
この時、その人に報酬を与える、という方法があります。
当然この報酬は、金銭やエサなどの物質だけに限らず、笑顔や情報なども含まれます。
その人が望んでいるものを与え、代わりに自分のして欲しい事をやってもらう。

人の良い犬(犬の良い犬、だとなんの事だかさっぱりわかりません)がネズミに、「エサをくれればネコから守ってやる」と持ちかけてきました。
無理をしてかき集めれば、犬が要求する食べ物を渡せます。
これで問題解決。
ですが、ネコによる被害が減りネズミが増える事で犬の要求は上がります。
ネズミが多いんだからネコから守る報酬も多くなるべきだと。
なかなか犬のエサも見つからず、いつしかネズミ同士でエサの奪い合いになります。
エサを渡さないと犬に守ってもらえません。
事態は最悪の結果に。
ネズミ同士が殺し合いを始めたのです。
犬は何も損してません。
怖いですね、社会って。

誰かに頼る場合、期待値と報酬の齟齬が問題になる場合があります。
噛み砕いて言うと(「齟齬」とかけてみました)、して欲しいことをしてもらえなかったり、見返りが少ないと思ってしまったりする事がある。
それぞれ思う価値は等価じゃないからです。

同じ能力を持つ者同士だと、大体の価値基準はおたがいに納得しやすい。
でも問題を解決するには、いろいろな能力を持つさまざまな人と関わらなければなりません。
だから価値に対して納得がいかなくなる場合がある。

簡単に言うと、お金大好きな人に対して、愛情あふれる笑顔で応えても無駄になる、って事です。

自分のして欲しい事を他人に頼む、というのはいろいろ問題が生じますね。

■ ゲーム理論によるネズミのジレンマとは何か

困ったネズミは、なんとかネコに鈴を付けられないかと悩みます。

ネズミのAチームとBチームは、このままではどうにもならないと、ある提案をします。

どちらかのチームが全員でネコに挑もう。
その時、そのチームは半数に減る事が予想される。
だが、このまま何もしなければAチームもBチームも10分の1に減ってしまう。
また、AチームとBチームが協力する事で、どちらかが10分の7になり、別のチームが10分の5になります。でもどっちのチームがそうなるかは予想できません。

ネズミたちはどうするでしょう。
とりあえず挑まなければかなり減ってしまう。
相手チームに任せたいところだけど、全体を考えると同時に攻めた方が良い。
でも自分のチームが多く生き残るとは限らない。

どうしますかね。

やはりここは、自分のチームが相手チームより少なくなってしまうとしても、全体で攻撃した方が良いでしょうね。
なぜなら、ネズミが半分減った事を理由に、相手チームに対して有利に物事を進められるかも知れないからです。
犠牲者が多いから養えとか。
また、相手チームよりも人数が多くなった場合は、武力弾圧もできます。

ここでもやはり、前項に出てきたような「相手の期待に応える」というのが大事になってきます。
別の条件を加えないとゲーム理論のジレンマに陥る可能性があります。
双方の落としどころを決めるのは大事な事です。

それは外交問題でも一緒。
相手の望むものを与える事で自国に有利になるような外交をする。
ウィン×ウィン関係という事ですね。

■ 次の瞬間に何が起こるかわからない宇宙に生きる

いろいろな考え方をしてきました。
どうもネズミが救われるのは難しいようですね。
でも何もしないよりは何かした方が良い気がします。

当然、何かしたせいで、何もしなかった場合よりも悪い結果が導かれる可能性は十分にあります。

でも「何かする」という事と「何もしない」という事は同じ意味です。
何もしないという選択をした、と言えば良いでしょうか。
どのような場合でも、「別の選択をしなかった」という事実が発生します。

未来はどうなるかわからない。
望んだ結果にならない事なんか頻繁に起こります。

でもやはり、行動を起こした先に何が見えるか、それを楽しみたい。
何もしないで解決しても楽しくない。何もしないで何も解決しないのも楽しくない。
自分が幸福になるのはもちろん、自分が不幸になる瞬間も目撃する。
ネコの犠牲になった事が、次のネズミに何か伝えるかもしれない。

ネズミがネコに鈴をつけるという不可能な提案が出たとしても、相談自体が否定される事はあってはならない。
相談する事も挑む事も無駄と思えない社会を。
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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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