実存浮遊
映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。
2010.04.11 Sun. 06:41 :edit
不幸洗脳社会から幸福許容社会へ
物事というのはその人の性格が反映されやすい。
何が好きで何が嫌いなのか。
出来事に対してどんな反応をするのか。
いつもはリベラリスト(自由主義)を掲げていても、いざ別のこととなると批判的になったりする。
(ざっくり言うと、自由主義者は自由を破壊しようとする者に対してのみ反論する。どんな愚行をも容認するのが自由主義。でも「他人の自由を壊す自由」は認めない)
その「あること」というのはつまり「性」に対してだ。
性に対しての話題は、その人の本性があらわれやすい。
普段の生活では好き嫌いを抑えて人間関係を構築できても、性となると好き嫌いがはっきりするものだ。
そしてどうやら、自分の性癖とほかの人の性癖が合致してないと気が済まない人が多いようなのです。
好きな人以外とセックスする人を嫌悪したり、自分がやりたいと思わない変態プレイをしている人を嫌悪したり、性的サービス提供者を嫌悪したり。
読書家やサッカーファン。つり好きなど、自分と違う趣味の人に対し嫌悪する人は少ないというのに、これが性的な趣味となると途端に批判的になる。
AV女優の認知度はかなり上がってきたと思うが、それでもAV女優になることを快く思わない人が多いであろう。
風俗嬢となるとさらに多いだろう。
少し想像力を高めてみよう。
サッカーが大嫌いな人が大勢住んでいる村があるとする。
サッカーボールで遊んでいると「そんなことしてるとろくな大人にならない」と親に叱られる。
サッカーの試合もモザイクがかかっていて、ますます子供はモザイクの向こうを見たがります。
サッカーがうまい人は他の人から変態扱いされる。
サッカーに興味がある人は精神的に病んでいると思われている。
サッカー選手になると、もう村には戻れません。
それにサッカー選手になっても、どこか負い目を感じながら生きていくことになります。
サッカーを嫌悪する人の言い分としては、「好きでもない人と汗をかきながら肌と肌がぶつかり合うなんて、変態のすることだ。しかも相手を打ちのめそうとする気持ちは大人になると殺人の敷居が下がる。ボールを蹴ることをなんとも思わない人は、やがて動物さえも蹴るという統計が出ている。サッカー選手の寿命は短く、引退後は精神病になって終わりだ」ということらしいです。
この村にサッカーが大好きな少年がいました。
名前はそうですね。「王空ズガガ」にしますか。
ズガガ少年はサッカーが大好きで、ボールの扱いもうまいです。
サッカーをやってるので身体能力も高いし、サッカーを通じてチームワークの大切さや敵チームに敬意を持って戦うことの素晴らしさも学んでいます。
でも村の風習とは全然違うので「自分はおかしいんだろうか」といつも不安になってます。
サッカーはこんなに楽しく素晴らしいし、他の国ではスーパースターの扱いを受けているのに、この村では人として扱ってもらえない。
このような悩みを抱えています。
大人から「精神が病んでるからサッカーに興味持つんだ」と言われ、実際学校にも行く気が失せてきました。
サッカーが好きな自分に嫌悪感を抱くようになり、やがてサッカーをやめてしまいました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
「性」というのはこのような状況にあります。
セックスが大好きというと変な目で見られる。
セックスが嫌いな人は別に嫌いのままでいいのに、なぜかセックス好きな人を批判します。
セックスワーカー業界の人は「この業界はメンタルヘルス系が多い」と口にするそうです。
統計的にはそうでもないのに、「うちの業界はメンヘルが多い」と口にする。
実際はすべての業種でメンヘル系の割合を調べて、セックスワーカー業界と照らし合わせないとわからない。
でも世間からの負い目なのか、メンヘル系が多いと思い込んでいる。
不幸になると思っている人が多い社会では、当然不幸になるに決まってる。
周りが不幸にしていくからです。
こんな社会では「風俗嬢になると不幸になる」というのが現実となります。
王空ズガガ少年の例を見てもわかります。
周りがサッカー嫌いだと、サッカーを好きである自分自身に嫌悪していく。
不幸になるって洗脳するようなシステムができてれば、そりゃあ不幸になるでしょう。
つまり許容度で社会を幸福にするか不幸にするか決まる。
認める人が増えれば社会は幸福になります。
なぜなら不幸と感じる人が減るからです。
なんてわかりやすい解決策なんでしょうか。
「他人が気持ちよさそうにしているのをねたむ」
こんな人こそが批判されるべきです。
喜んでいる人に対し、「それは演技だ」「実際は嫌がってる」「真実の幸福が別にある」などと言うような人って精神病んでるに決まってるじゃないですかぁー
喜んでいる人を見ても一緒に喜べないって、絶対不幸になるよねぇー
(あえて同じ形式で批判してみる)
実際に体験もしてないのに批判するような奴らの言う事に耳を傾ける必要はありません。
自分の好きなものを追究していけばいい。
他人に洗脳されてわざわざ不幸になる必要はまったくない。
何が好きで何が嫌いなのか。
出来事に対してどんな反応をするのか。
いつもはリベラリスト(自由主義)を掲げていても、いざ別のこととなると批判的になったりする。
(ざっくり言うと、自由主義者は自由を破壊しようとする者に対してのみ反論する。どんな愚行をも容認するのが自由主義。でも「他人の自由を壊す自由」は認めない)
その「あること」というのはつまり「性」に対してだ。
性に対しての話題は、その人の本性があらわれやすい。
普段の生活では好き嫌いを抑えて人間関係を構築できても、性となると好き嫌いがはっきりするものだ。
そしてどうやら、自分の性癖とほかの人の性癖が合致してないと気が済まない人が多いようなのです。
好きな人以外とセックスする人を嫌悪したり、自分がやりたいと思わない変態プレイをしている人を嫌悪したり、性的サービス提供者を嫌悪したり。
読書家やサッカーファン。つり好きなど、自分と違う趣味の人に対し嫌悪する人は少ないというのに、これが性的な趣味となると途端に批判的になる。
AV女優の認知度はかなり上がってきたと思うが、それでもAV女優になることを快く思わない人が多いであろう。
風俗嬢となるとさらに多いだろう。
少し想像力を高めてみよう。
サッカーが大嫌いな人が大勢住んでいる村があるとする。
サッカーボールで遊んでいると「そんなことしてるとろくな大人にならない」と親に叱られる。
サッカーの試合もモザイクがかかっていて、ますます子供はモザイクの向こうを見たがります。
サッカーがうまい人は他の人から変態扱いされる。
サッカーに興味がある人は精神的に病んでいると思われている。
サッカー選手になると、もう村には戻れません。
それにサッカー選手になっても、どこか負い目を感じながら生きていくことになります。
サッカーを嫌悪する人の言い分としては、「好きでもない人と汗をかきながら肌と肌がぶつかり合うなんて、変態のすることだ。しかも相手を打ちのめそうとする気持ちは大人になると殺人の敷居が下がる。ボールを蹴ることをなんとも思わない人は、やがて動物さえも蹴るという統計が出ている。サッカー選手の寿命は短く、引退後は精神病になって終わりだ」ということらしいです。
この村にサッカーが大好きな少年がいました。
名前はそうですね。「王空ズガガ」にしますか。
ズガガ少年はサッカーが大好きで、ボールの扱いもうまいです。
サッカーをやってるので身体能力も高いし、サッカーを通じてチームワークの大切さや敵チームに敬意を持って戦うことの素晴らしさも学んでいます。
でも村の風習とは全然違うので「自分はおかしいんだろうか」といつも不安になってます。
サッカーはこんなに楽しく素晴らしいし、他の国ではスーパースターの扱いを受けているのに、この村では人として扱ってもらえない。
このような悩みを抱えています。
大人から「精神が病んでるからサッカーに興味持つんだ」と言われ、実際学校にも行く気が失せてきました。
サッカーが好きな自分に嫌悪感を抱くようになり、やがてサッカーをやめてしまいました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
「性」というのはこのような状況にあります。
セックスが大好きというと変な目で見られる。
セックスが嫌いな人は別に嫌いのままでいいのに、なぜかセックス好きな人を批判します。
セックスワーカー業界の人は「この業界はメンタルヘルス系が多い」と口にするそうです。
統計的にはそうでもないのに、「うちの業界はメンヘルが多い」と口にする。
実際はすべての業種でメンヘル系の割合を調べて、セックスワーカー業界と照らし合わせないとわからない。
でも世間からの負い目なのか、メンヘル系が多いと思い込んでいる。
不幸になると思っている人が多い社会では、当然不幸になるに決まってる。
周りが不幸にしていくからです。
こんな社会では「風俗嬢になると不幸になる」というのが現実となります。
王空ズガガ少年の例を見てもわかります。
周りがサッカー嫌いだと、サッカーを好きである自分自身に嫌悪していく。
不幸になるって洗脳するようなシステムができてれば、そりゃあ不幸になるでしょう。
つまり許容度で社会を幸福にするか不幸にするか決まる。
認める人が増えれば社会は幸福になります。
なぜなら不幸と感じる人が減るからです。
なんてわかりやすい解決策なんでしょうか。
「他人が気持ちよさそうにしているのをねたむ」
こんな人こそが批判されるべきです。
喜んでいる人に対し、「それは演技だ」「実際は嫌がってる」「真実の幸福が別にある」などと言うような人って精神病んでるに決まってるじゃないですかぁー
喜んでいる人を見ても一緒に喜べないって、絶対不幸になるよねぇー
(あえて同じ形式で批判してみる)
実際に体験もしてないのに批判するような奴らの言う事に耳を傾ける必要はありません。
自分の好きなものを追究していけばいい。
他人に洗脳されてわざわざ不幸になる必要はまったくない。
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