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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

映画『奇妙なサーカス』の残酷で美しい世界 

■ 映画『奇妙なサーカス』に不確かさの空中ブランコを体験する


園子温監督の『奇妙なサーカス』を見た。

数年ぶりに見たんだけど、全然印象が違う。
高橋真唯の演技の素晴らしさは今回見てもそう思ったけども、ストーリーに対して当時とは違った印象を受ける。


以下、『奇妙なサーカス』のネタバレを含む内容のため、ご了承の上お進みください。




■ わたしとは誰か


『奇妙なサーカス』は複雑な構成になっている。
小学生の女の子みつこ(園監督作品には「みつこ」が頻繁に登場する。この一連のつながりを考察するのもおもしろそうだ)は、両親のセックスを目撃する。

やがて父親に犯されたみつこは、自分がみつこなのか、父親とセックスしている母親(宮崎ますみ)なのか、判別ができなくなる。
母親を失った後、みつこは完全に母親と同化する。
父親とセックスして快感を得ているのは母親だからだ。


すると場面が切り替わり、これがすべて小説であることが明かされる。

この女性小説家(宮崎ますみ)は、自らの体験談を小説にしているのか。

それとも我が娘のことを小説にしているのか。

狂人は誰か。


女性小説家のもとに若い編集者がやってくる。
いしだ壱成が演じている。


この若い編集者が言うには、この小説家は気が狂っていて、娘を階段から突き落としたことすら覚えていないと。
小説化し、自分がみつこ、つまり被害者であるかのような書き方をして自らを救っている。

実は若い編集者は胸をそぎ落としたみつこだった。
編集者として近付き、母親に復讐するのだった。
夢か現実かわからない。
我が娘にチェーンソーで手足を切断されそうになるところで物語は終了する。



はたして、この物語の主人公は誰なのだろうか。
みつことは誰のことを指すのか。


■ 奇妙で残酷で美しいサーカスのごとき世界を生きよ


普通の少女みつこは父親に犯されることにより、世界の色が一変する。

純白を象徴するかのような白い情景は、血のような赤一色に染まる。

犯されているのが自分ではなく母親であると思い込むことで、みつこはなんとか生きていくが、母親の激しい嫉妬と叱責。その後の母親の死の果てに、みつこは魂を失う。
なぜなら母親とみつこは同化しているからだ。


飛び降り自殺を謀るも一命を取り留めたみつこは、車椅子生活を余儀なくされる。


車椅子生活という嘘を演じる女流作家。
彼女は近親相姦の果てのみつこなのか。
それともみつこを自殺に追い込んだ狂った母親なのか。
それとも妄想癖の女優作家なのか。


作中ではどれが現実かは言明されない。
ただ、象徴的に金属をきしませて回転し続ける観覧車が要所要所で映し出されるだけだ。

きしむ金属音が少女に生きづらさを刻印する。

観覧車とは繰り返すことの表現だろう。
どのゴンドラがメインか、なんて存在しない。
例えばジェットコースターは先頭と最後尾が存在するので、先頭は先頭の、最後尾は最後尾のドラマが存在する。

でも観覧車はどのゴンドラも同じように頂点と最下層を経験する。

どのみつこが現実のみつこかなんてわからない。

しかもその観覧車は金属を鳴り響かせ、この世界の苦しさを刻み続けるのだ。


それでも。
それでもこの世界は美しい。

サーカス小屋のきらびやかなデザイン。
サーカス小屋のすべての観客が優雅に宮崎ますみのギロチンを見守る。

サーカス小屋から抜け出せない観客=我々は、この奇妙で残酷で美しい空中ブランコを、ただ眺めるよりほか無いのだ。
舞台上に呼ばれるその時まで。

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テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画