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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

凡作『ヒミズ』は現実に勝てない 

■ 映画は震災を超えられない 凡作『ヒミズ』を読み解く

映画『ヒミズ』を見てきました。

結論から言うと、園監督の中で一番の駄作だと思います。


『恋の罪』を見て僕は、「過去の園作品をコラージュ的に用いて、しかもそれを否定した構図になっており、自身の過去作を乗り越えるための決意表明だ」と受け取りました。

なのでその次の作品である『ヒミズ』には、過去作と決別した新たな園作品が描かれると思っていました。

『紀子の食卓』的モチーフが貫かれている『自殺サークル』。続編『紀子の食卓』。そして『愛のむきだし』
さらに2010年公開の『冷たい熱帯魚』に至るまで描かれた「洗脳で幸福な社会は訪れるか」という問題への否定とも受け取れる『恋の罪』での「わからん」という回答。


「その先を見せてくれる」
否が応にも『ヒミズ』への期待はふくらみました。

そして『恋の罪』鑑賞後、「園監督の大傑作になるか、むかつくほどの駄作になるかのどちらかだろう」、と予測しました。


結果本当に駄作になってしまったことが残念でなりません。


■ 漫画版『ヒミズ』との対比


映画の感想を始める前に、まず原作のマンガ『ヒミズ』の内容に触れましょう。
原作と対比させることで見えてくることもあるでしょう。


厭世的な中学生男子「住田」。
「不道徳の時間」と副題が付いている漫画版は、大筋では映画と同じだ。
ろくでもない父親と、別の男を作って家を出ていく母親。
主人公はひとりボート屋で暮らす。

住田には時々一つ目の怪物が見える。
出てくるシーンは様々だが、おそらく死の象徴、絶望の記号として描いているのではないだろうか。

様々な人物が登場するが、物語が進むにつれ、ひとりひとり物語に出なくなっていく。
住田が世界に人を必要としていないようにも受け取れるし、不道徳(つまり共同体的ではない)ということを表しているようにも受け取れる。


父親を殺し、自首をするよりも社会のために自分の命を使おうと、悪い奴を探して殺すことを生き甲斐とする。

だがいくら探しても悪い奴など見つからず、父親殺しの自分が一番悪い奴なんだと気付き、自殺をして物語は終わる。


では映画版『ヒミズ』はどうか。

映画では怪物が出てこない。
その代わり大きな変更点として、3月11日の震災以降の物語、として描かれている。
震災を乗り越え強く生きていこうと説く教師に対して、「普通サイコー!!」と叫ぶ住田。

エキセントリックな同級生少女「茶沢」。
住田にちょっかいを出し、怒ったら石を一個ポケットに入れ、いっぱいになったら住田に投げつけるからね、と宣言する。

家では母親が茶沢のための首吊り装置を作っている。
「早く自殺しろよ」
住田同様、茶沢も居場所がない存在なのだ。


父親殺しをして、悪い奴探しのために街を徘徊する住田。
悪い奴を殺せず帰ってくると、住田が残したメッセージに気付き問い詰めてくる茶沢。
父親を殺したんじゃないか。
自首しないで社会のために誰か殺そうとしてるんじゃないか。

そこで茶沢は住田に、自首をして出所したら結婚しようと提案する。


原作のように、夜中に家を出て隠していた拳銃を取り出す。

だがラストが違う。
住田は自殺などせず生き残る。
茶沢とともに走り出し希望を獲得して終わる。


■ 園作品に登場した人物がふたたび『ヒミズ』に召喚されたのは何故か


まず、2時間以上あるこの物語を、少しもゆるむ事なく惹きつけた力強さは素直に褒めたいです。

上映中ずっと息がつまるような体験でした。
前作『恋の罪』ではチャプターで分かれてたので、その都度息がつけました。
他の園作品も同様に、途中途中で息をつく暇、「息するのも忘れるぐらい引き込まれた」と気付く瞬間がありました。


でも今作は息つく暇もない。
結果、同じような映像を延々と見続けるような錯覚に陥る。


あと僕は演技力について見る目が無いので、この若い二人が賞を取ったことには何も言えません。
なんで取ったのかわからないからです。
『紀子の食卓』で魅せた吉高由里子、吹石一恵、つぐみの3人の方がすごいと思います。


園監督の映画に出た人たちが大勢『ヒミズ』に出てきます。

『紀子の食卓』で良い父親を演じようとして紀子に見限られる役として光石研が出てるのだが、『ヒミズ』では一転ろくでもない父親を演じている。


『恋の罪』では様々な過去作のコラージュが見られた。
『愛のむきだし』で馬乗りになってコリント書をそらんじる満島ひかりと、『恋の罪』で同じように馬乗りになって詩をそらんじる神楽坂恵、というように。

(詳しくはこちら 映画『恋の罪』の過去作コラージュから園子温監督の決意表明を受け取る


だから『ヒミズ』では、以前の作品で登場した役柄を読み解くことで新たな発見があるのでは、と思ったが、まったくそんな事はありませんでした。

吹越満と神楽坂恵はテントを張って暮らすホームレス夫婦役だ。
そこには『冷たい熱帯魚』で夫婦役を演じていた以上の意味はまったく込められていない。

吉高由里子は『紀子の食卓』の「ユカらしさ」を微塵も感じさせない、ただの窪塚の彼女役。

でんでんは消費者金融の社長。
そこには『冷たい熱帯魚』で魅せたギラギラとした凶暴性は微塵もない。
ただのヤクザだ。


過去作の俳優を出して茶化すだけの映画なんだろうか。


僕が『恋の罪』で震えたような衝撃はまったくなかった。
繰り返す。
『恋の罪』では、園ファンであればあるほど、過去作の似たシーンの洪水に飲まれる。
だが、過去のシーンとは微妙にずらされている構図に震える。
過去作を否定し、「上昇」しようとする構図。
すなわち、コリント書を叫ぶ満島ひかりは下を見続けるのに対し、神楽坂恵は馬乗りになった男に叫び続けるが、やがて顔を上げてこちらをにらみつける構図であるし、空を見上げながら死ぬ吹越満に対し、軽く微笑みながら決して死なない神楽坂恵である。


だが『ヒミズ』では多くの関連俳優を散りばめておきながら、メッセージ性は皆無。

それは『冷たい熱帯魚』で悪人を演じた渡辺哲が、マンガでは住田の同級生「夜野」をただの好々爺として演じさせている、という点でもわかる。


そもそも吹越満と神楽坂恵の役名が、田村圭太に田村圭子だ。
最初から本気で俳優を配置していないのだ。


■ 震災後という現実は映画を無化する


そして原作との相違点である、

1) 怪物が出ない
2) 登場人物が減っていかない
3) 異常性欲者が出ない
4) 震災後である

という4つ。


映画版『ヒミズ』は、漫画版に描かれているような絶望は一切無い。
主人公はただひとり震災後に無気力になっているようにしか見えない。
漫画版ではこれでもかと言うほどに絶望が描かれていた。

漫画版に登場する怪物の不穏さが、映画版の「震災後」という絶望に勝っている。
漫画版の方が息苦しく、映画版の方が現在のこの日本の状況を見てもわかるように、「ただただ平板」だ。
おそらく園子温監督も、『ヒミズ』公開時にこんな腑抜けた日本のままだなんて想像してもいなかったのではないか。

例え今が震災の大混乱のさなかだとしても、映画版『ヒミズ』が傑作になることは無いが。


映画版『ヒミズ』は、震災をモチーフにしつつ、まったく震災らしさが描かれていない。
そこに気持ち悪さを感じるし、あえて園ファンとして発言するなら、そこが園子温なりの皮肉なのかもしれない。


でも『ヒミズ』に期待して映画を見に行った僕としては、「園子温は震災には勝てなかった。現実をぶち壊すほどの映画なんてもう誰も描けないんだ。映画は現実を超えない」という絶望しかありません。



漫画版では、序盤に登場する人物は後半誰も出なくなる。
茶沢だけが希望のように住田に寄り添うが、それすら社会に引き止める効果が無く、住田は自殺して社会を去る。


映画版では逆で、序盤登場する人物はラストまで登場する。
住田は幸福なのだ。
幸福な共同体に囲まれ、茶沢にプロポーズされ、「住田がんばれ!!」と叫んで社会に留まる。


社会学的に見ればこの展開は正しい。
社会を捨て去ろうとしている者に対し、社会に留まって欲しいならば、共同体の一員であることを刻みつけることだ。


だがしかし。
こんな映画是枝監督にでも撮らせときゃあいいんだ。

僕が見たいのは園子温なんです。

『ちゃんと伝える』などまだまだ未見なのも多いので、正確に園監督を読み解いてるとは思っていないです。

だけど、こんな凡百なメッセージを見せられても魂は全然動かない。

俳優に叫ばせれば魂の咆哮だ、なんて記号はいらないんです。



映画では走ることを神聖視しているかのような住田。でもラストはただ「住田がんばれ!!」と叫んで走って終わり。

住田に対して怒る代わりに小石を拾う茶沢。ラストは池に向かってたまった石を投げるだけ。


なんだろう。
わかりやすいからイライラするんだろうか。メッセージが「がんばれ」だからイライラするのか。
違うな。
ただつまんないからイライラしてるんだろう。

映画版『ヒミズ』を見るよりは、漫画版『ヒミズ』を見た方が良いです。

漫画版『ヒミズ』見るより、『ぼくらの』という漫画を読んだ方が、より多くの絶望と希望を体験することができます。


だが、まだ園ファンを自称する僕としては、震災とともにかつての園テイストをすべてぶち壊した記念碑として『ヒミズ』は作られた、とまだ深読みしましょう。


園子温監督の次回作に大きな期待を寄せ、『ヒミズ』を酷評させていただく。

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テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画