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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

『オアシス』『シークレット・サンシャイン』のキリスト教批判 

■ 映画『オアシス』が描く社会からの隔絶と世界への調べ


韓国映画『オアシス』を見ました。

刑務所を出所してすぐの居場所が無い男と、脳麻痺でうまく身体を動かせない女。


ふたりはあらかじめ社会から隔絶されている。

前科者で社会とうまく折り合いがつかない男と、身体障害者ということをダシに親類から疎まれる女。

ただ、女は割れた鏡の光が蝶に変化する感受性を持つ。
世界の素晴らしさに気づける存在です。

男はこの女の魅力に気づけるただ一人の存在。

女はオアシスの絵に写る枝の影を怖がる。
その恐怖を取り除いてくれるただひとりの存在がこの男です。


女は誰ともコミュニケーションが取れず、男とだけ健常者の女性と同じように振る舞える。

男も社会に生きておらず、誰ともコミュニケーションが取れません。


ただ女のために枝の影を取り除きます。


最初は何もせずただじっと佇むだけだった女だが、男との出会いを経てラスト、身なりを整え部屋を静かに掃除する姿が映し出される。
とても感動的なラストです。


男には家族が呼んだ神父が語りかけるが一向に改心しない。

キリスト教を批判している構図は他の韓国映画にも見られる。

『シークレット・サンシャイン』です。


■ 映画『シークレット・サンシャイン』が描くキリスト教批判


『シークレット・サンシャイン』でも男と女が出ます。

死んだ夫の故郷に引っ越して来た子連れの母親。
その母親に惹かれる男。


ふとしたことから我が子が誘拐され、挙句の果てに殺されてしまう。

生きる糧を失った母親。

近所のおばさんに宗教に勧誘される。
子供が殺されたことに対しても意味を与えてくれる存在としてのキリスト教。
徐々に救われていく母親。

我が子を殺した犯人も赦すことを近い面会へと向かう。

するとこの犯人も神の声を聴きすでに赦されていると言うではないか。

そこで母親の底が抜ける。
我が子を殺された自分が赦されるのはわかる。
でも我が子を殺した犯人も同等に神から赦しを得ているのはどういうことなのか。



魂を救うのはキリスト教ではない、ということを描いています。


キリスト教には「隣人愛」というものがある。
自らに石を投げる者こそを愛せ、というようなものです。
でも主人公の女は我が子を殺した男を赦すことはできない。
その後神父を姦淫に誘うも未遂に終わる。



知らずにこの2作を見たのですが、同じ映画監督だったんですね。

『オアシス』の方こそを特に見ていただきたいですね。

日本映画はクソみたいなのに、韓国映画はなぜ豊潤なんでしょう。
確かに中にはくだらない恋愛映画もあるんでしょう。
でも韓国映画は見るに耐え、多くの日本映画は見るに耐えない。


日本人のメンタリティの弱さは日本映画に如実に刻印されています。

テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画