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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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ドラマ『泣くな、はらちゃん』は優しく変換する 


『泣くな、はらちゃん』はなぜ見た人の心に残るドラマになったのだろう。

このドラマは超越論的である。
そしてそれゆえに寓意的である。
だからこそ見ている人の心に染み渡る。

超越論的というのは単純に説明すると、「宇宙の外など存在しないのに宇宙の外を想像できるのはなぜか」というようなことだ。
寓意的とは「確かにこの世はそんな感じになっている」ということだ。


このドラマは、漫画のキャラクターが外の世界を想像し、しかもこの現実世界がどのようになっているかを子供でもわかるように作っている。

以下ネタバレを含むので了承の上お読みください。



ストーリーを軽く説明します。
かまぼこ工場で働く冴えない会社員越前さん(麻生久美子)。
職場のイライラを漫画制作で発散している。
好きな漫画のキャラに不満を代弁させているのだ。

一方漫画の中ではキャラクターたちが自由におしゃべりをしている。
はらちゃん(長瀬智也)は自分たちの世界が最近暗くなっていることを心配している。
ユキ姉(奥貫薫)が「神様のせいだ」と教え、はらちゃんは神様に自分たちが住む世界を平和にするようお願いするために漫画世界を飛び出す。



このドラマへの批判として「ファンタジーでありえないからつまらない」というものがあったそうだ。
それこそありえない。
この世界はこのようになっているではないか。
そしてこのような批判をする者は、漫画を読んで生きていると実感したことが無いのだろうか。
例えば『スラムダンク』を見れば桜木花道が実際に生きて動いていることに気付いたはずなのに。


はらちゃんは越前さんの代わりに愚痴を吐きます。
つまりはらちゃんは越前さんと一心同体。
ただはらちゃんの生みの親が矢東薫子という漫画家(薬師丸ひろ子)であるという点が重要です。
そして矢東薫子はスランプから漫画の中ではらちゃんなどのキャラクターを死なせます。そして漫画を捨て片田舎でかまぼこ工場に務めているのでした。

越前さんは息抜きに漫画を描き、はらちゃんやほかのキャラクターを復活させた形になります。
でもなぜ越前さんのノートからだけキャラクターが飛び出してくるのか。
そんなことに理由などありません。
それは花がなぜ咲くのか、ダイヤモンドがなぜ堅いのか、太陽がなぜ存在するのか、というのに理由が無いのと同じです。
この世界はそのようになっている、ということです。


はらちゃんが漫画世界を飛び出したようには我々はこの世界を飛び出すことはできない。
なぜならそれらを含めて「世界」だからだ。
つまり「はらちゃんたちが漫画世界を飛び出る」という世界がこの世界である。
この世界に外は無い。
我々は漫画のキャラクターじゃないので外に出られない。
だからこの世界に明確な神様など存在しない。
というか我々には神様的な存在など知覚できるはずがないのだ。

試しにお手元の漫画をテキトーに開いてみてください。
そこにいるキャラクターはあなたに見られていると知覚できているだろうか。
同じように我々は神様的な存在に例え見られているとしても、見られていると知覚することはできない。
「見られているかもしれない」と想像するしかできない。


それは越前さんの名前にもこめられている。
超越する前の姿。
我々はこの世界も神様的な存在も越える事はできない。
ただ越前さんが世界を好きになったように、我々は世界を超越しないからこそこの世界を好きになれる。
嫌いにもなれるからこそ好きにもなれるのだ。
俗物的でしかありえない。
そして、この俗物が作った漫画に救われ、しかも知覚することは決してできない世界への近づくことができる。
漫画を読むことでこの世界の素晴らしさに気づくことができる。


■ 自分の行動が誰かを変える


自分が作ったキャラクターに救われる越前さん。
でもこのキャラクターは矢東薫子が描いたものに越前さんが自分好みに手を加えたもので、さらに越前さんの言葉でしゃべります。
言わば自分の半身。

つまり、自分自身とさらにもう一個何かが加わることによって救われるということが描かれている。
このドラマでは越前さんが唯一尊敬する漫画家の矢東薫子でした。

矢東薫子が描いたキャラクターを借り、アレンジし、そして救われる。

やがてその行動は無職で無気力な弟や、漫画を辞めた矢東薫子の行動をも変える。
漫画を描くというすごさが伝達するのだ。



はらちゃんは我々にこの世界の素晴らしさを教えてくれた。
この世界には様々なものがあり、それぞれに名前や個性が存在する。
片思いや両思いになることの素晴らしさを再確認する。

自分が作ったものに気付かされる。
自分が発信したメッセージにあとで感動させられる。

そもそも自分の言葉など自分で予想できない部分があらかじめ含まれているのだ。
自分などわからないことだらけ。
そのことでこの世界の不可視性、不可能性がわかる。
つまりはこの世界はすごいんだ、ということが意味ではなく感覚で伝わってくる。


『泣くな、はらちゃん』はファンタジーなんかじゃない。
この世界を我々にわかりやすく変換し描いている。




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テーマ: ドラマ - ジャンル: テレビ・ラジオ

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