実存浮遊
映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。
2016.06.21 Tue. 03:43 :edit
高城れにさん、お誕生日おめでとうございます
高城れにさん、お誕生日おめでとうございます。
最近急激に大人っぽさを増しているれにちゃん。
見た目の雰囲気や発言、振る舞いなど、以前とは違って大人の印象を受けます。
それでいて以前とまったく変わらず素直で無垢な部分も残っていて、れにちゃんの様々な面を見られるのがとても嬉しいです。
世間一般の23歳と比べると確かに子供っぽく見えるのかも知れませんが、れにちゃんの魂の部分はとてもとても偉大で、多くの人が年齢に関係無く尊敬の念を抱き、思わず頭を垂れることでしょう。
れにちゃんの心が広い部分とか、深い思考をうかがわせる発想とか、出会った人達への感謝の気持ちとか、いろんなものがみんなの中にある「高城れに像」をあいまいなものにしています。
「れにちゃんの魅力って何?」と聞かれて、「笑顔」とか「優しさ」とか「がんばり屋さん」とか「人懐っこさ」とか「気配り」とか「きれいな声」とか答えたとしても、それらはまだまだれにちゃんの一部でしかなく、なかなか本質まで到達できません。
以前僕は「ももクロの魅力は妖怪のぬえのようなものだ」と書きました。
ぬえとは顔が猿、胴体がタヌキ、手足が虎、尻尾が蛇という妖怪です。
つまり一部だけ見て「猿だ」とか「蛇だ」とか騒いでいても全体の本質は捉えられていないし、その全体すら想像もできない我々にとっては未知なる領域である、ということの例えです。
れにちゃんこそがぬえだったのかな、と思います。
(23歳の女性に「妖怪鵺だ」と言うことなんてありえませんが、れにちゃんならすべてを許容してくださるであろうことを踏まえた発言ですし、そもそも例えですし)
思えば「しょこららいおん」という甘くて強く優しい、みんなの心の中に住んでいる想像上の生き物も、らいおんだったりしょこらだったりと、一面だけではわからない魅力を持つ生物ですね。
『しょこららいおん』というとても素敵なプレゼントをいただきすごく嬉しかったです。
山紫水明という言葉のお返しとして紫電一閃という言葉を贈りたいと思います。
雷のような一瞬の間に急激に変化すること、などの意味があるそうです。
まさにれにちゃんにぴったりの言葉だと思いました。
毎日毎日同じれにちゃんではなく、常に進化しているように感じられます。
でもそれが遠く離れてしまうように感じられないのは、ソロコンで我々に見せてくれた弱さのおかげです。
途轍もないほど大きく、さらに多くの仲間に見守られているのにも関わらず、まだまだ自分はダメで弱くて逃げ出したくなってしまって、みんながいるからがんばれた、と弱い部分を見せてくださいました。
その時に、ももクロを見てれにちゃん推しになった瞬間の感情を思い出した気がしました。
こんな弱々しくて今にも砕けそうな小さな小さな女の子を今推さずしていつ推すのか。当時の感情をあえて今言葉にするならばこんな感じです。
実際は「なんだこりゃ!」という感じで、気付くとれにちゃんだけを目で追っていて、「これはれんちゃん推しということなのかな?」と漠然としていましたが。
ただれにちゃんに対する評価がとても低かったような印象があり、「もっと本質を見てくれよ!」と憤っていた記憶があります。本質に到達すらできていないのにそんなことを思っていました。
何が言いたいかと言うと、多くのれにちゃん推しの前だけでも弱さを見せてくれたのがとても嬉しかった、ということです。
今でも仲間だと思ってくれいるんだな、と温かい気持ちになりました。
『しょこららいおん』に登場する多くの歌詞は我々かられんちゃんに贈りたい言葉と同じです。
僕はみんなれにちゃん推しだと思ってます。格好が赤かろうが何色だろうが、みんなれにちゃんのことが好きだし、公言してないだけで心の奥ではれにちゃんのことが大好きなはずです。
本質的にはみんなれにちゃん推しなんです。みんなの中にしょこららいおんが住んでいるのと同じように。
高城れにさん。23歳のお誕生日本当におめでとうございます。
様々な思想を吸収し、新たな発想や表現を獲得する一年になりますよう願っております。
激動の一年になるかも知れませんが、共に歩んでくれる仲間が大勢いるのですから何も心配はいりません。
輝きに満ちた日々が訪れるますように。
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