実存浮遊
映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。
2018.04.07 Sat. 02:52 :edit
「失わなければ与えることができない」 映画『クソ野郎と美しき世界』の優しさ
新しい地図の3人稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の主演映画『クソ野郎と美しき世界』を見ました。
事前情報無しで見たのですが、タイトルからある期待をしていました。
それは「復讐」です。
ですが良い意味で裏切られたと共に、自分の浅ましさを恥じました。
この3人は何も恨んでなどおらず、むしろこの世界の美しさに感謝していました。
以下、作品の内容に触れます。
鑑賞後にお読みください。
鑑賞後僕はすぐにこうつぶやきました。
「『クソ野郎と美しき世界』面白かった。
「失ってこそ得られたものがある」というテーマが込められた4編。
かつて与える側だった者たちが全てを奪われ、他の人たちから与えられることにより再び与える者として歩き出す。
この世界は美しい。クソ野郎どもだからこそ気付ける輝きがある。」
この映画のテーマは「失うことでしか得られない輝き」です。
『ピアニストを撃つな!』ではピアニストの命である手を失います。
『慎吾ちゃんと歌喰いの巻』では歌と絵を失います。
『光へ、航る』では息子と小指を失います。
これら3編を経て全てが『新しい詩』へとつながっていきます。
手を潰されたと思われたピアニスト。実は潰そうとしたヤクザ(大門:浅野忠信)の手が潰れていました。
しかも大門は自ら全ての指を潰すよう部下に命令し続けたのです。
大門は奪う者の象徴でしたが、ピアニストの旋律により奪われる者へと身を投じたのです。
手を失う前の大門と『新しい詩』の大門を見比べれば一目瞭然。失う前がクソ野郎で失った後は輝いています。
『慎吾ちゃんと歌喰いの巻』では、香取慎吾が本人役で登場します。
歌を喰う少女により、香取慎吾は歌と絵を奪われます。
作中では歌を忘れたのではなく自分の中から歌が無くなってしまったと表現されています。
まさに奪われたわけです。
ですが歌と絵がブレンドされたベーグル(?)を食べることでこれまでに無かった歌と絵を獲得します。
『光へ、航る』では、ヤクザを辞めるために小指を失った男(オサム:草彅剛)が登場します。
オサムの元妻(裕子:尾野真千子)は息子の治療費のために美人局で金を稼いでいる。植物状態の息子の右手をある子供に移植しており、その右手の持ち主に会いに行くロードムービーです。
東北まで行くも、古い地図がまったく役に立たず、代わりにスマホで新たな行き先を見つけるのは象徴的でした。
野球選手を夢見ていた息子(航)の右手は沖縄の少女(光)に移植されていました。
息子とキャッチボールをしたことが無かったオサムは、光のおかげで航の右手から投げられたボールを受けることができました。
長々と書きましたが、最初に書いた通りこの映画のテーマは「失ったことでしか得られない輝き」です。
この世界の美しさは何かを奪われた者にこそ強く輝きます。
最後に。
園子温監督は映画『ヒミズ』のラストを原作と変え、主人公を自殺させるのではなく生かしました。そのことについてこう語っています。
「絶望に勝ったんじゃない。希望に負けたのだ」と。
それに対し『ピアニストを撃つな!』で、スクリーンに向かって駆けながら「愛してる!」と叫びまくる姿は、『ヒミズ』のラストを反転させているように感じました。
「希望を失ったんじゃない。絶望に勝ったのだ」と。
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