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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

哲学という私的闘争 

哲学的思索にふける。

おかげさまで新たな職場が決まりそうで、その職場というのが普段なら体験できそうにない事が体験できそう。
当然未経験だし過酷な労働が予想されるんだけど、それよりも興味の方が先立ってしまい、今からとても楽しみです。
どんな事が起こるんだろう。
ただそちらの業界に過度な期待(多くは無知から来る)をしているだけで、何もできない僕を雇ってくれるのだからおそらくつらいだけのお仕事なのだろう。


とにかく今お金が欲しく、時給の高さは魅力的だったので深く考えもせずお願いしてしまった。


そう。
その職場の環境を聞き、帰路につくときに哲学的思考を刺激されたのだった。
かなり察しが良い人はお気づきかもしれない。
ただブログが特定されることを避けたいし、守秘義務なんかも発生しそうなので細かく明かすことはできない。


ただ現在の僕は哲学的思考だ。

僕は哲学が無いと生きていけない。
このデタラメの世界で、「正常」を保って生きるなんて不可能だからだ。

少し話がずれるがついでなので書き留めておく。

僕は「哲学史」をよく知らない。
何が哲学なのかもいまいち理解していない。
ただ「哲学史」を学ぶことが「哲学」ではない、ということは理解している。
「哲学」とはまさに無ければ生きていけない思考の武闘。
自分の存在すら疑い続ける狂人の私的探索だ。

そして僕がよく口にする「社会学」というもの。
これも僕はまったく実践できていない。
「社会学」に必要なのは「足を運ぶ」ことと「数理的検証」だろう。
僕はそのどちらもできていない。
フィールドワークをし、統計などで検証していく。

宮台真司が批判する「社会学は知っていても社会を知らない学者」というのがある。
僕はまさに本で得た社会学的な知識を伝達しているだけであって、僕自身社会学を実践しているわけではない。


僕が考える「哲学」と「社会学」の大きな違いはそこかも知れない。
「哲学」は思索し続けるが、「社会学」はただ知識だけを知っていて経験値が著しく乏しい。
それは僕の社会観も反映されている。
そもそも僕は社会なんて少しも信頼しておらず、社会がどうなろうと知ったこっちゃないからだ。
だからこそ純粋に僕の思想なんか無関連に「こうすれば社会が良くなるのに」という知識のみを披露できる。
極端な話、僕と関わった人や僕が好きな人だけが生き残り、他が全部死滅しようが構わない。
ただ、そんな僕の個人的な思想なんてどうでもいいし、そもそも社会を信頼していないのでそのような社会になるはずが無い。

だから僕はただ社会学的な知識を得て、それを僕の思惑など一切混じらせずに伝達する。


わかりやすく言うと、社会学の本を読んでない人に向けて要約して知識を伝達してるだけ、ということです。
別に社会はどうなったっていいけど、良い社会になれば僕の大事な人も幸せになる可能性も上がる(かもしれない)ので、だったらと良い知識を広めていきたいだけだ。



さて、話を「哲学」に戻す。


哲学とは疑うこと。

よくある思考実験で「世界は5秒前に作られた」というものや、「今見ているものは実は外部から脳に信号を送らているだけで、実際は培養液の中に浮かんでいる脳だけしか無いのだ」というものなどが、自分の存在を疑っていると言えるだろう。


哲学者の永井均は「5m前世界創造説」という思考実験をしていたが難解で読み込めていない。
自分の5m先は世界は存在しておらず、5m先の景色は「ただそう見えてるだけ」というものだ。


僕はゲームが好きなのでよくこんな事を考える。
『かまいたちの夜』をプレイした事がある方は知っているだろうが、このゲームではある分岐により「ゲームの中のゲーム」の迷宮に閉じ込められてしまう。
主人公がペンションでスーパーファミコンを見つけ『かまいたちの夜』というゲームをプレイし始めるのだ。
するとそのゲームの中の主人公もやがて『かまいたちの夜』を始め、さらにその主人公も、という具合に入れ子状態になる。

オチとしては、一番最後に登場した主人公がゲームに飽きて電源を切ることで、それを操ってた主人公も電源を切り、さらにそれをプレイしてた主人公も電源を切り、最終的には一番始めの主人公が後ろを振り返りモニターの向こうで電源を切ろうとしている人物を目撃してバッドエンドを迎える。


僕は世界がこのように思えてならない。
すなわち僕は誰かの操作機体であって、僕が自分で考えて行動しているように見えるのは、そういうプログラムなだけだ、というものだ。

自分では操られているとは思うことすらできない。
なぜならそういうプログラムだからだ。
だからいつゲームの電源が切られているかわからない。回数すら判別できない。
マリオは何度リセットボタンを押されようが理解できず、次の瞬間にはいつも通りクリボーを踏みコインを集めているだろう。


だから僕は統合失調症患者の言うことが理解できない。
そもそも僕が「正常」だと思っているこの社会自体が「異常」で、血縁なんてめまぐるしく変化するのが常態かも知れないし、電波に乗って悪口が聞こえてくるのが「常態」かも知れないし、緑が赤で黄色が紫に見えるのが「常態」かも知れないし、そもそも地球なんてすでに存在していないのかも知れない。


だからなのか余計に多数決に頼る人物が愚かしく思えてならない。
賛同者が多いから正しいと思っている人物がいるが、証明されたのはその意見に賛同する者が多いということだけであって、決して「正しさ」なんかじゃない。

そも「正しい事」なんか判別できないじゃないか。

社会学的に考えると「正しい事」というのは存在する。
ただそれも「視点・視座・視野」によりいくらでも回答は変わる。



現在の僕は実は死んでいる最中の80歳の老人で、今見ている映像は走馬灯なのかも知れない。
この映像の速度が走馬灯の速度なのだろう。

そう考えると、なかなか楽しい80年間だったんだろうと想像できる。
こんな楽しい走馬灯なんだから。
ただこの走馬灯を体験してるのはやはり「僕」ではなく、約50年経験した先の老人が体験しているのだ。

果たして「僕」ってなんだろう。
「僕」はどこにいるんだろうか。

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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

哲学的なバグ  /  tb: 0  /  cm: 4  /  △top

この記事に対するコメント

こんにちは


いつも読ませていただいています


そして、僕も哲学的なことは興味があるし 自分でもよく考えています


例えば、映画「トゥルーマン・ショー」のような状態に自分がおかれているとしたらとか。


「トゥルーマン・ショー」では、主人公の人生は産まれたときから、隠し撮りされていて、周りの友人や知人、通行人全てエキストラとゆう設定でしたけど


それとはまたちょっと違って、 それが神のような存在によるものというか… ああ説明しにくい。


筆者さんのおっしゃるように 自分がマリオだとしたら クリボーとかノコノコが友人、知人だとします、 「ここにこいつらがいる」という設定。みたいな


あ~説明しづらいっす(笑)


だから、筆者さんのブログをこうして観ていることも、「設定」 さらに、ブログ観てコメントしていることも「設定」


なのかもしれませんね!


と、筆者さんに問うことも「設定」であり、筆者さんは俺からしたらCGのようなもので 近寄るとパッとうまれるみたいな…


う~ん、上手く説明できません(笑)



とかいって、ちゃんと人間は人間としてちゃんと存在しているっていう考えもあったりします。



長文駄文失礼しました。

URL | FBK #-

2012/08/22 22:51 * 編集 *

FBKさんへ

コメントありがとうございます!


> 例えば、映画「トゥルーマン・ショー」のような状態に自分がおかれているとしたらとか。


あれも統合失調症のお話でしたね。
すべてが作り物で監視され続けている。
我々がトゥルーマンではないと誰にも言い切れません。
映画では企業広告や下手な演技などでわかりやすく「真実への道」が記されていましたが。


> だから、筆者さんのブログをこうして観ていることも、「設定」 さらに、ブログ観てコメントしていることも「設定」


そもそも「さかもと」は存在するでしょうか。
FBKさんにとってはこのブログを上げている人物が誰だかわからず、
ある日ブログを訪れると文章が増えている。
機会が自動生成で文章を上げているのかも知れず、返信も人工無脳のようなものかも知れない。


> とかいって、ちゃんと人間は人間としてちゃんと存在しているっていう考えもあったりします。


「人間」が存在しているかどうかも証明できません。
実は自分は機械で、カメラを通してみると「人間的視線」に変換されるシステムなのかも知れません。
なので腕を切るとオイルが漏れますが、カメラを通すと赤い血が吹き出してるように見える。

「人間」とは何を指すのでしょうね。

URL | さかもと #-

2012/08/23 03:09 * 編集 *

職が決まりそうということで、まずはおめでとうございます。
私も9月から高校講師の依頼が来たのでとりあえずNEETは終わりです。
嬉しいような、少し寂しいようなそんな心境です!笑

大学時代に哲学の講義を取ってましたが、まさに「疑う」ことに特化した教科でした。私の受講した教授は「私たちはバルタン星人に操られていて、自分の思い通りになんて何一つ動いてないんだ。」みたいな展開でした。世界の存在を、自分の存在自身を疑うという今までにない試みで頭が混乱しました。これ以上考えると抜け出せなくなると思い専攻にはしませんでしたが!汗

かまいたちの夜はプレーしたことがあります。初期プレーステーションの時代で、かなりやり込んだ記憶があります。3ぐらいまでは全部やりました。
ミステリの要素が多く好きでした。

URL | アロエ #-

2012/08/23 17:05 * 編集 *

アロエさんへ

コメントありがとうございます!


> 私も9月から高校講師の依頼が来たのでとりあえずNEETは終わりです。

おめでとうございます!
ついに日本を動かす時が来ました!
アロエさんに期待してます!(笑)。


> 大学時代に哲学の講義を取ってましたが、まさに「疑う」ことに特化した教科でした。私の受講した教授は「私たちはバルタン星人に操られていて、自分の思い通りになんて何一つ動いてないんだ。」みたいな展開でした。

おもしろい思考実験ですね。
洗脳されてる以上は「自分の思考」としか思えませんからね。
そもそも「真の自己判断」をしたことが無い我々にはこれまでの「自分の思考(と思い込んでる洗脳されている部分)」と「真の自己判断による思考」は判別不可能です。


> かまいたちの夜はプレーしたことがあります。初期プレーステーションの時代で、かなりやり込んだ記憶があります。3ぐらいまでは全部やりました。

僕もトリプルまでやりました。
やっぱ1が一番はまりましたけど、2のオープニングも美しかったですねぇ。
1のみんなが死んでいく展開に震えながらプレーした記憶があります。
そこから我孫子武丸にどっぷりはまりました。

URL | さかもと #-

2012/08/23 22:26 * 編集 *

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