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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

園子温は我々を殺してくれる【映画『希望の国』でたどり着いた反問】 


■ 『希望の国』は『恋の罪』への回答である


園子温監督が描く原発事故と家族問題の映画『希望の国』を鑑賞しました。

園監督は『紀子の食卓』以降何度も「家族とは何か」と問い続けてきた。

僕は中盤以降涙が止まらなかった。
なぜならそれは、園子温が僕の事をしっかりと殺してくれたからだ。


以下、『希望の国』を始め、『紀子の食卓』『愛のむきだし』『恋の罪』『ヒミズ』のネタバレを含む批評となるため、未見の方はご了承の上お読みください。
見ていなくてもわかるように書いていくが、そのためにすでに作品をご覧になっている方には冗長に読めるかも知れないが、それもご了承いただきたい。



このブログでも園子温監督の作品批評を何度かしてきました。
僕の一番好きな映画は『紀子の食卓』で、そこには「社会を生きるには役割に気付き演じ続けなければならない。家族という役を演じ、終了時間が来たら延長料金を払ってでも演じ続けなければならない」ということが描かれていた。
幸せになるには自分で自分の役割を決めよ、というのが物語終盤家を出ていく吉高由里子演じるユカが出した答えだ。

『愛のむきだし』ではタイトル通り愛を剥き出しにすることでようやくつながることができる家族像を描く。
愛とは原罪であったり、変態であったり、理解不能なものであったりする。
自分をさらけ出す者には地獄が待っている。
だが地獄を経てこそ幸福に到達できる。

そのほかも監督は、『奇妙なサーカス』や『恋の罪』、『ヒミズ』などでも一貫して「家族とは何か」を描き続けてきました。


『希望の国』の前前作『恋の罪』を見て僕は震えました。
これはこれまでの監督自身の作品たちをすべて上書きするための決意表明なのだ、と。
(参照:映画『恋の罪』の過去作コラージュから園子温監督の決意表明を受け取る)

『恋の罪』は園作品のコラージュ的な映画だった。
いろいろ似たシーンが散りばめられており、かつ構図が「上向き」に作り直されている。
例をひとつ挙げるとしたら、『愛のむきだし』で満島ひかりが演じたヨーコがコリントの書をそらんじた時、彼女はユウに馬乗りになって見下ろしながら絶唱したが、『恋の罪』では神楽坂恵演じる泉が、これまた男に馬乗りになり詩を叫ぶ。
この時泉は男を見下ろしているが、やがて顔を上げて観客に向かって叫び出すのだ。


これは園子温が過去作を全部否定し、新たなステージに進むことを決意したのだと受け取った。
そうして『恋の罪』の次の作品『ヒミズ』に多大なる期待と不安を抱き、この凡作に怒り狂ったわけです。
(参照:映画は震災を超えられない 凡作『ヒミズ』を読み解く)

映画『ヒミズ』は、古谷実原作のマンガをベースにしているが、制作途中で起こった3.11の大震災を映像におさめる方向にシフトしたものです。
なので園監督の決断やドキュメントとしては認めています。
でも映画としては凡作としか思えない。
僕は絶望した。
「やはり映画は現実を超えることができないのか」と。

『ヒミズ』よりも大震災の方がすごいに決まってる。
映画は現実を殺すことができなかった。
園子温でも無理ならもう誰もそんなことできるはずがないじゃないか。


園子温の著書『非道に生きる』には、「『ヒミズ』は絶望に勝ったのではなく希望に負けたことを描いた映画だ」ということが書かれています。
それを読んである僕は程度溜飲を下げました。


なので正直『希望の国』にはなんの期待もしてませんでした。
園子温だから見ておくか、という程度。
タイトルがタイトルだしね。
「希望がすでに無いこの日本で、園子温はどんな希望を我々に突きつけるのか」とすら思わなくなってしまっていたのです。


『希望の国』を見て涙が止まらなかった。
『恋の罪』での決意表明に対し、きっちりと答えが用意されてました。
なので、『恋の罪』の次作は『ヒミズ』なんかじゃなく、『希望の国』なのです。
『希望の国』は一番園子温らしくなくて、かつ、一番園子温らしい映画です。

映画としてうまいしわかりやすい。
『自殺サークル』や『奇妙なサーカス』のような難解さはありません。
場面を眺めていても、園子温の個性をあえて消しているようなところもある。
(特に地震が起こる前の日常風景など)

だけど映画とは何か。家族とは何か。
これらを問い続けてきた、という部分では強烈なまでに園子温作品とも言えます。

映画をぶち壊すことだけを考えてきた園子温がたどり着いたのは、正統な日本映画だった。

でもこの映画はただの日本映画ではない。
ちゃんと僕を殺す力を持っていた。
現実なんかくだらない。現実をぶち壊す映画。
僕の思考が『紀子の食卓』で停止していたものを、『希望の国』が殺してくれました。

幸福な家族とは演技し続けるしかないのだ、という『紀子の食卓』に対し、そうじゃないんだ、と突き立ててくれた。
そう。大切なのは「悲しみをしっかり悲しめるか」だ。


■ 3人の女に振り回される男たち


『恋の罪』で登場した3人の女は、一人が殺され、一人が売春婦になり、一人は幸福の所在を喪失させた。
『希望の国』に登場する3人の女はどうか。

大谷直子演じる認知症をわずらう智恵子。
神楽坂恵演じる被災地を離れ妊娠を知る妻いずみ。
梶原ひかり演じる被災家族を探し続ける少女ヨーコ。

彼女たちは一様に男を振り回す。
あえて言うなら面倒を抱えた女だ。

自分の年齢もわからないほどに認知症が進んでいる智恵子は、夫泰彦(夏八木勲が演じる)に「ねぇお家に帰ろうよぉ」と何度も言う。

いずみは妊娠をきっかけに放射能恐怖症になり、町の住人から白い目で見られていて、夫の洋一(村上淳が演じる)は職場で気まずい思いをしている。

立ち入り禁止区域で津波に襲われ瓦礫と化した町を歩き回り両親を探すヨーコと、それを守り続けるミツル(清水優が演じる)。


だが彼らはみんな幸せそうに見える。
愛する女のすべてを受け止める。
面倒だから投げ出すなんてことは決してない。
仰々しく「なぜ面倒を引き受けるか」なども描かれない。
「ただそうするようにするからそうする」という当たり前さだけが見て取れる。

日常では親の言うことも聞かないミツルが、震災以降彼女を守ることで輝く。
住居が大きく傾いている前で「家族になろう」と言い、彼女に両親探しを諦めさせるシーンは美しい。
目の前で家、つまり家族が崩壊している前であえて「家族になろう」と言う力強さよ!


放射能恐怖症の妻にあきれ、職場で気まずいから止めさせたがっていた洋一が、やがて周りの方が狂っていて、愛する妻こそが「愛する子を守るためという直情的な行動ゆえに正しい」ということに気付く。
いずみに放射能の恐怖を植えつけた母親すら引くほどの振る舞いをバカにする妊婦たちを一瞥し、その後走って妻が待つ家に向かう洋一。
このシーンからラストにかけてずっと涙が止まらなかった。
いずみと洋一が抱きしめ合うシーンのなんと美しいことか!


危険区域にいつまでも住み続ける泰彦と智恵子。
認知症の智恵子は突然祭りの音が聞こえ家を飛び出してしまう。
危険区域に突入してまで探しに行く泰彦。
雪原で踊る二人のなんと幸せそうなことか!

そして泰彦は、家畜の殺処分勧告と強制退去の前に、自らすべてを消し去ることを決意する。

「日本人が、日本に住んでて、日本の道を歩いてるだけなのに、なんで日本に怒られるんだい?」
「確かにそうだよなぁ」

そう。
日本は狂っている。
でも悲しいかな、我々にはかつての洋一のように、防護服を来て町を歩くいずみがおかしいようにしか見えない。
そのように洗脳されてしまっている。

もう我々は常にマスクをして外出することも無ければ、衣服に放射能が降り注いでるのではないかという恐怖を抱くことも無い。
放射能に対して無思考になってしまったんだ。

でも「愛する人を守る」ということは。「みんなが敵になっても愛する人のことだけを信じる」ということは。洋一のようにならなければならないのだ。
自分の間違いを認め、多くの敵を作り続けなければならないのだ。
それができない自分の薄っぺらさに絶望した。
大事な人がいる僕にとって、この薄っぺらさは万死に値するものだ。

自らの手で牛たちを殺処分することにした泰彦がまず猟銃を向けたのは我々観客に向けてだ。
園子温は言っている。
「死ぬべきなのはお前らなんだ」と。

園子温監督は「見ている人たちに被災体験をさせるために撮った」と言った。

でも涙を流すほどにリアルに被災体験をしている我々も、劇場を一歩出れば笑ってしゃべるような薄っぺらい存在だ。
狂ってるのは我々だ。
大事な人を守る気がない。
泰彦も、洋一も、ミツルも、みんなそれぞれの形で最愛の人を守り続ける。

認知症の妻が夫の「死のうか」の声を聞いたあとで認知症が無くなりしっかりと受け答えをするシーンが印象的だ。
悲しい結末だが、智恵子にとって泰彦の決断は間違っていない。
「間違ってるか間違ってないか」というのはくだらない判断基準だが、泰彦の決めたことを素直に受け入れることができるだけの関係性が構築されているのだ。
その象徴が二人の木である。

二人の木があるから家を離れない。
関係性の蓄積が木を見ればひと目でわかる。

我々にとって「帰るべき場所」なんてもはやどこにもない。
愛する者との関係性の蓄積こそが「帰るべき場所」なのだ。


多くの人が『希望の国』を見て泣いて死に、そして新たに生まれ変わり、愛すべき人との関係性の蓄積をよりどころにする美しさと悲しさに包まれることを切に願う。


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テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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