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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

映画『キャビン』から世界の外に出ることの不可能性を学ぶ 


映画評論家の町山智浩氏がおすすめしていた映画『キャビン』を鑑賞してきました。
マルチレイヤースリラーという謳い文句で、レイヤーとかメタ的というものに大変興味があるので期待半分こきおろしたい気持ち半分で見に行く決意をしました。


以下作品のネタバレを含みます。
ご了承の上お進みください。





■ この社会の寓意としての『キャビン』と社会の外に出られない不自由さ

あらすじはこうです。
5人の男女が山奥の別荘に出かける。
そこでゾンビに襲われるんですが、実はそれはある組織が管理していた。
そして見覚えのある様々な怪物を管理しているその組織はある目的を達成させるためにその5人を殺そうとします。
ホラー映画の定番のように、淫乱は最初に死に、処女はセックスをしないまま殺されない。
そのシナリオに沿って操られていく男女。
やがて管理者たちにも不測の事態が訪れ……。



ホラー映画をほとんど見ない僕は(最近見たのはテレビでやってた『ドリームキャッチャー』です)ここに登場する怪物たちのちょっとしかわかりませんでした。
「ヘルレイザーかな?シャイニングかな?アナコンダかな?」程度。

終盤まではかなり楽しく見れました。
それは社会を再現していたからです。
マルチレイヤーというのはつまりこの社会のことでもあります。


この映画に出てくるシステム管理者は、自ら作ったシステムによって殺されます。
言ってしまうとバカ達です。
ここまで高度な技術がありながらも馬鹿です。
もしかしたらこのシステム自体は大昔からあり、管理者は代々移り変わってるのかも知れません。

つまりこれはシステム管理者に翻弄される5人の男女が我々市民であり、システム管理者であるにも関わらずシステムを管理できていない管理者たちが政治家です。
すでに出来上がっているシステムに乗っかることで苦労せずにシステムを操っている。
だけど予期せぬ事態が起こりシステムを持て余してしまう。

そしてさらに上に存在する何者かの影に怯えている。


5人の男女を殺すことで生贄になり、世界が安定するのだと幹部が説明します。
なぜかそのようにルールが設定されています。
この社会も同じ。
なぜかそのようにルールが設定されている。
物心つく前から日本語を話しており、朝になると太陽が昇り、夜になると太陽が沈む。なぜか重力があり、なぜか物と物との摩擦もある。
人が抗えないルール。
映画に描かれている理不尽とも言えるルールも同じです。
そのようになっているからそのように振舞っています。


つまりこの映画はこの社会、この世界を表しています。
人の作ったシステムなど失敗するに決まってます。
人知の及ばないルールのみが完璧に存在していて我々は疑うことすらできません。


男女の生贄を捧げることができなかったため世界が崩壊してしまいます。
そのオチとして、巨大な手が出現してコテージを叩き潰します。
それで映画は終わり。

なんて陳腐な終わり方なんだろうか。
監督はラストを仕上げる前に力尽きてしまったのか。
途中まで緻密に設定されていたのに。

かなり好意的に解釈すれば、そもそも映画は映画を破壊することが不可能だからこのように表現したのだ、という言い方もできるだろう。
つまり世界を滅亡させる怪物がこの映画内の空間に収まってること自体がひとつのレイヤーに過ぎないのだ、ということですね。

なんだけど、この映画を見終わっても日常は揺らぎません。
日常に食い込んでくるほどの映画が見たい。
日常に帰れなくなるような、日常を疑ってしまうような、そんな映画です。

この映画のオチはまったく不安を惹起しません。
我々が社会を超えて世界のすごさに触れる時の感覚を感じられない。
「確かにこの社会はこの映画のままだ」というのは体験できます。
でも「この宇宙を超えたこの世界全体はこの映画には描かれていない」と感じる。


マトリックス的な展開にするならば、システム管理者の思惑を乗り越えて生き残った男女2人がいるがそれ自体が実は上位のシステム管理者のシナリオだった、というものです。
キアヌ・リーブス演じる「ネオ」が実はマトリックスシステムを更新するために自身が生み出したバグである、という展開です。

まどマギ的展開なら、この生贄システムを改変するために上位システムを乗っ取る、というものですね。


また、マルチレイヤーを自称するならば、最後の大オチの正体は我々観客だった、というのもできますね。
この映画のフィルムを捨てるとか燃やすとか、この映画のチケットを破り捨てるとか。
かなり自主制作の前衛映画っぽい展開ですが。


ホラー映画の象徴でもある「コテージ」というのをぶっ壊すことがホラー映画へのアンチテーゼだ、と読み取ることができるかも知れません。
でもそっちに行くぐらいなら、人知を超えた世界崩壊の姿を見せて欲しかったです。
生きている生物すべてが「とぷん」と液体になってしまうとか。遺伝子レベルまで分解されて別のものと組み合わさって全然違うものが完成するとか。

この映画のオチは世界が消滅するという絶望感が一切伝わってこないんですよね。



長々と思いつくままに書いてきましたけど、シガニー・ウィバーが出た時点で笑えることは確かです。
かつてのホラー映画ヒロインが、現在の若いホラー映画ヒロインに嫉妬しているかのように見える。
世界の安定が女の嫉妬レベル。

だから真面目に語るよりもコメディ映画として鑑賞するのが正しいのかも知れません。
著名人が賞賛コメントを寄せていますが、あんなもん全部嘘っぱちです。
巧妙に言い方を賞賛っぽく見せてますけど、中には馬鹿にしてる感じのもありました。


あとこの映画を見てて一番気になったのが、ヒロインが佐藤かよに似てるってことでした。




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テーマ: 最近見た映画 - ジャンル: 映画

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