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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

「現実」はどこにあるのか 『あまちゃん』に描かれる3.11 

宮藤官九郎脚本の作品はいつもこの現実との橋渡し役を用意する。
わかりやすく言うと本人役が出るということだ。

『あまちゃん』では三又又三と橋幸夫が本人役で登場した。
過去作では『池袋ウエストゲートパーク』の川崎麻世や『木更津キャッツアイ』の哀川翔などが登場している。
そしてこのドラマのタイトルからもわかるように、クドカンは主人公たちがどこに住んでいるかを明確に描く。

つまり、本人役と地名により、我々が見ている映像が「ここ」と地続きであることが強調される。
どこか遠くのお話のように思えたり、自分とは関係無い事件なんかじゃなく、今現在生きているこことテレビの向こうで繰り広げられているドラマは同じ社会のお話なんだ、というのが強調されているということだ。


『あまちゃん』ではこの二点が踏襲されているが、さらにもう一つ仕掛けが施されていた。
それは、作中で2011年3月11日を迎えると視聴者に予感させていたことだ。


我々は驚くべきスピードで震災と原発事故を風化させている。
あれほどまでに強烈な出来事で、悲嘆に明け暮れていたはずなのに、今や誰も関心を寄せていない。
義援金がまったく活用されていない事や、海を汚染し続けている事なんかまったく興味が無いのだ。
それは3.11以前の『あまちゃん』の登場人物たちと重なる。
震災に遭うとは思ってもいない彼らと、震災に遭ったにも関わらずまるでなかったかのように思考停止で過ごしている我々は、パッと見変わらないだろう。

つまりクドカンはそこまで狙っていたのだ。
そう。『あまちゃん』を見ている者は、ようやく震災に遭う事ができる。
アキちゃんやユイちゃんを通して。


北三陸の詰所に置かれた町をかたどったミニチュアが地震によって崩壊している。
砕けた青いガラスはまるで町を突き刺す津波のように見えた。


出会う人を変え続けてきたアキちゃんは、我々の事も変えてくれるだろうか。
我々の思考も叩き直してくれるだろうか。
甘い考えを持つ甘ちゃんはアキちゃんの事ではなく我々自身の事だと突きつけている。


『あまちゃん』を徹底的に見つめ抜くことでこの現実の「ここ」を深く生き抜け!
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テーマ: NHK:朝の連ドラ - ジャンル: テレビ・ラジオ

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