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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

ALSの氷水チャレンジは何かが損なわれるのか 

ALSという難病の周知の寄付活動の一環として、氷水をかぶるか100ドル寄付するか選択し、次の3人を指名する、というねずみ講みたいなのが流行しています。

氷水をかぶって100ドルも寄付する、という方が多く、氷水をかぶった動画をアップするのが主流みたいですね。

僕が感心したのが、チャリティに悲壮感が無いところです。
氷水をかぶってぎゃーぎゃー言いながらそれを見た人も笑う。
そして新たに3人指名することで半強制的に寄付させるのもすごいです。

病気を馬鹿にしているなどの批判もありますが、これがなかったらそもそも膨大な寄付は発生してないわけで、これで多くの人が救われるならそれは良い事でしょう。
もちろん氷水をかぶって一瞬だけALSを疑似体験したところで、実際にALSにかかっていて呼吸不全の恐怖に怯える人が動画を見ても気分はちっとも晴れないかもしれない。むしろ嫌悪するかも知れません(実際にそのように表明する文章が出回りました)。

でもこういうのって内発性の問題だと思うんですよ。
衝動に突き動かされ何かしたくなる。
「差別問題」と同じで、本人に差別する気がなければどのような行動も差別ではないと思います。
それが差別的な行動に見えたとしても、です。

例えば現在夏真っ盛りですが、サーフィンなどの海のスポーツを楽しんでいる人達は、3月11日に津波で亡くなった多くの方を冒涜しているでしょうか。
津波で多くの方が亡くなったのに波で遊ぶなど不謹慎だ、ということになるでしょうか。

この手の批判もどきはどんな場面でも使えます。
自動車事故で多くの人が亡くなってるのに車を運転するな。
両足を失った人がいるのに足を使って遊ぶのは不謹慎だ。
不慮の事故で堕胎した人がいるのに妊娠するなんて不謹慎だ。
(批判もどきのバカバカしさを強調するためにあえてこのようなたとえにしています)


僕の考えは、ALSで苦しんでいる人が不快に思ったとしても、多くの恩恵を受けているのだから有りっちゃ有りだろ、という感じです。
大前提として万人が納得する選択など存在しません。

「多くの人が幸せになりますように」と思う人と「自分より幸せな奴は不幸になれ」と思う人が共存しているのがこの社会なのです。
どちらの願いも同時に叶えることは不可能です。矛盾しますからね。

それよりも観点は「より多くの人が助かるにはどうするか」ということです。
もちろん自尊心は確保されるべきですよ。
例えば、我々から見ると絶対に得だと思える行いも、「それをしたら自分が失われる」と言う人に強制してはいけない、ということです。

批判が起こるのはとても大事なことですが、批判もどきに惑わされて本質を見失ってはいけません。

批判もどきの見抜き方は、多くがダブルスタンダードにまみれてる、という部分です。
先程のくだらない不謹慎批判のように、批判もどきは同じ形式で発言者にも跳ね返すことができます。


ALSの一患者が「氷水騒動はくだらないから止めてほしい」と言ったところで止めるべきではありません。
他の救われるべきALS患者の機会を奪ってはいけないのです。


さて、田中将大投手からの指名でももクロが氷水チャレンジをすることになりました。

氷水をかぶること。
寄付もすること。
この機会にALSが世間に浸透してほしいこと。
友達が少ないという理由で次に回すのは3人ではなく1人だけにすること。
これらを宣言して氷水を浴びました。
メンバーは5人ではなく、しおりん、杏果ちゃん、れにちゃんの3人でした。

心無い批判を避けるためには最善の選択だったように思えます。
ちょうどこの時期は武井壮さんが指名を断ったことで賞賛を受けたタイミングでした。
氷水はかぶらず、寄付もALSを含めて多くの難病について考えて行動すると宣言し、次の指名もありませんでした。
このツイートが氷水チャレンジに疑問を抱いていた人達の批判を加速させました。

また、金城武さんが氷水ではなく除湿機にたまった水を浴びたことでも賞賛されています。
水を必要としている地域があるというメッセージが込められているのでしょう。

そのあとでももクロがマー君から指名を受けたのです。

マー君の顔を立て、ALSチャリティの意志を汲み、この騒動に批判的な人達を刺激しない方策が必要とされたのです。
結果として、とてもももクロらしい、ファンなら知っている礼節を重んじ多くの人達のことを真剣に考える本当のももクロの姿が表れていたと思います。
一般的には元気ではしゃいでる女の子というイメージなのではないでしょうか。

僕は先程も書きましたが、どんなにバカバカしく見える振る舞いだとしても多くの人が救われるならやるべきだと思っています。
ですがこの騒動に巻き込まれてももクロがあらぬ批判に晒されるのは嫌だな、と思っていたので、このような決断をしたことはとても素晴らしいと思いました。



このねずみ講方式はおそらく心理学者のミルグラムが提唱した「六次の隔たり」という概念が組み込まれていると思いますが、ここまで広まったのはやはりチャリティの悲壮感を払拭した点にあると思います。

ちなみに「六次の隔たり」とは、6人を介することで世界中の誰とでもつながれる、という考えです。
僕が手紙を手渡していけばさまぁ~ず三村さんにもアフリカのオニャピデさんにもレディガガにも誰にでも届く、というもの。

映画『ペイフォワード』では「自分が受けた善意を別の3人に与え、それを繰り返していけば世界が平和になる」という考えが披露されます。

人と人とがつながっていくというのが素晴らしいですね。
そして、多くの人が行動に移し、多くの人が考えるきっかけを得たのが素晴らしいと思います。


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