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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

おじゃる丸「小石いろえんぴつ」と藤子不二雄「ミノタウロスの皿」に共通する倫理観 

先日放送された『おじゃる丸』の「小石いろえんぴつ」というのは倫理を問う素晴らしい回だった。
藤子・F・不二雄『異色短編集』に収録されている「ミノタウロスの皿」という物語と構造は同じだ。

「ミノタウロスの皿」はこんな話だ(以下ネタバレを含みますので作品を読みましょう。本屋で売ってますから)。

地球と良く似た惑星。そこでは牛が繁栄していて、人間を家畜として管理している。ただこちらの世界と違うのは、どちらも人語を話すということだ。
こちらの世界の人間が牛の惑星に行き、人間が牛に食われてしまう事に衝撃を受ける。美しい少女が食われると知り助けようとする。だが少女は牛に食われることを誇りに思っているとして全然話が通じない。会話はできているのに。
元の世界に戻った男は牛のステーキを出され泣きながらも食べる。

ここでは人間と牛の立場が逆転しており、しかも言葉が通じる、というのがポイントになっています。

では『おじゃる丸』の「小石いろえんぴつ」はどういう話か。

カズマが使っているいろえんぴつは灰色だけがすごく短くなっている。なぜなら大好きななんでもないただの小石の絵を頻繁に描くからだ。
電ボがそれを知り「小石色」と言うと、その灰色のいろえんぴつは「いつも灰色とかグレーとか言われるから、小石色って言われるのが嬉しい」と言う。
(『おじゃる丸』は主人公のおじゃる丸が妖精という設定もあり人以外でも会話できるものがいろいろある)

小石いろえんぴつに恋をしてしまった電ボは、彼女がこれ以上短くなってしまうのが我慢できない。
いろいろな手を使い他のいろえんぴつをカズマに使わせ、小石いろえんぴつを救出する。
だが当の小石いろえんぴつは「楽しそうにカズマさんに私を使ってもらうのが幸せだ」と電ボの言葉が伝わらない。

楽しげに小石の絵を描くカズマと、短くなっていく小石いろえんぴつを悲しげに見続ける電ボ。


このように「ミノタウロスの皿」とまったく同じ構造であることがわかる。
言葉が通じるが倫理観がまったく違う二つの種族。
自分たちの価値観では避けるべき状況にしか思えないのに、当人に取ってはそれが幸せである、という事。
例えば我々はいろえんぴつのように削られすり減りこの世から消滅していくことが幸せなのだ、とは思えないだろう。
だがいろえんぴつからすれば、身体が縮みもしないのに魂だけが磨り減っていくような生き方をしている我々こそが異常だと思うのではないだろうか。


「ミノタウロスの皿」は牛。『おじゃる丸』はいろえんぴつ。
牛には魂があると我々は思っているが、いろえんぴつには魂が無いと思っている。
魂があり、会話ができ、それでも自分の考えが伝わらない「ミノタウロスの皿」。
魂が無い物体と会話ができ、それでも自分の考えが伝わらない「小石いろえんぴつ」。

どちらの主人公も倫理観の違いを超越することはできず、ただ泣いて見届ける。
愛する者を救えないから泣いているのか、それとも自分自身の魂から逃れられない事(牛を食わずには生きられない、いろえんぴつをすり減らさずに生きられない)を気づかされ絶望しているのか。


「小石いろえんぴつ」は倫理を問うすごい作品だ。

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