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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

『キス我慢選手権 THE MOVIE2』はつまらない日常を破壊する希望 


映画『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE2 サイキック・ラブ』はすごい作品だ。
なぜならつまらないこの世界を破壊するための作品だからだ。

前作についても公開当時評論を書きました。

参照記事キス我慢選手権という破壊


以下の文章はネタバレを含む評論となります。了承の上お進みください。




■ 「アドリブ」がシステムを書き換える

この映画は劇団ひとりの名セリフがすごいと思われがちだ。
だが彼は映画マニアであり状況に応じてアーカイブからキャラクターを選び取ってるだけだ。
その証拠にこの作品中彼はキャラを何度も変える。
学園の人気者キャラ。童貞キャラ。田原俊彦などなど。

もちろんすごくおもしろいし、僕も何度も笑わせてもらった。映画マニアとしてアーカイブから瞬時に引用し演技をするスピード感なども当然すごいし、全編アドリブでその対応をし続けるというのも超人的だろう。
だが劇団ひとりのすごさはこの程度で終わらない。
彼は内部からシステムを書き換える存在なのだ。

一作目は最終的にゴッドたん(観客)が劇団ひとりを窮地に追い込んでいたのだ、というオチになっていた。
セリフを与えられ物語を書き換えることができない渡辺いっけいは劇団ひとりに「アドリブで世界を変えてくれ」と託して物語から退出する。
メタ構造になっているのだ。

二作目もメタ構造になっているが一作目とは種類が違う。
本作は『トゥルーマン・ショー』や『マトリックス』のようなメタ構造だ。
学園生活を何度も繰り返し送る姿は番組として多くの人が視聴しているようなのだ。
本人は電極につながれ、仮想現実世界で学園生活を送る。

つまり彼らは我々視聴者のために何度も不幸な目に遭っているのだ。
その円環の理を断ち切るのが劇団ひとり、ということだ。
(まどマギで言うまどか。しかもまどかは世界から退出することでシステムを書き換えたのに対し、劇団ひとりは内部に存在したままシステムを書き換えたのだ)

一作目は「アドリブ」というのを謳っていたが、実際は物語から逸脱しないようストーリーテラーが常に劇団ひとりに付き添って行動していた。
今作はなんと、物語の途中でキスをし、しかも製作者はルールを無視し(つまり世界を改変せざるを得ず)ストーリーを続行した。そしてラストの展開も劇団ひとりが黒幕をお父さんに設定するというアドリブを放り込むことで書き換えざるを得なくなったのだった。

キスしたら終了だけど映画だからある程度はキスしないで進むだろう、というゆるい了解を壊した。
だからこそアドリブの魔力というか強大さというか、様々なものが絡まりあった魅力が素晴らしい形でこの作品に刻み込まれていた。


僕はこの作品を見て何度か落涙した。
それは物語としての美しさよりも(何度も言うが映画アーカイブのつぎはぎでしかないからだ)、一回性のありえなさ(ライブ感!)と、物語を超越し改変するすごさ(アドリブ!)に撃ち抜かれたからだろう。


そして当たり前のことだが、「お笑い」というのは日常の破壊にあるのだった。
常識がまずあり、そこから逸脱することで笑いになる。
破壊者劇団ひとりが「キス我慢選手権THE MOVIE2」をも逸脱するのは当たり前過ぎるほど当たり前のことだったのだ。

膨大なアーカイブを備え、さらに日常を破壊する者劇団ひとりのすごさにひれ伏すしかないのだ。




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