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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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映画『インターステラー』を楽しむための漫画・アニメ3作 



クリストファー・ノーラン監督の最新作『インターステラー』を鑑賞した。

『メメント』に衝撃を受けてそれ以来大ファンになった。作品に共通するのは「あいまいさ」だ。

『メメント』では記憶のあいまいさ。『プレステージ』では自己のあいまいさ。『ダークナイト』では善悪のあいまいさ。『インセプション』では夢と現実のあいまいさ。という具合に、様々な「あいまいさ」を描いてきた。



『インターステラー』はノーラン作品に共通した「あいまいさ」は感じられず。

(あえて強引に結びつけるとしたら「次元のあいまいさ」とでも言えばいいのか)

あいまいさは微塵も入る隙間が無いほどのガチガチのSF作品だった。

(これまた強引に結びつけるとしたら『天元突破グレンラガン』の登場人物ロージェノムは「宇宙とはあいまいさだ。認識されて初めて存在する」と説いた。宇宙というのは不安定である、ということか)





以下ネタばれを含むのでご了承の上お読みください。

また、本文中楳図かずお『漂流教室』と星野之宣の短編『セス・アイボリーの21日』にも深く触れます。こちらの作品も未読の方もネタばれがありますのでお気をつけくださいませ。



■ 『インセプション』との類似


この映画は同監督の『インセプション』と似ている部分がある。

『インセプション』では夢の階層が深くなるにつれ時間の流れが速まっていくので、深い層での1年が現実では一瞬だったという夢のルールになっている。

(一体どこが「現実」なのか、という論争は別記事に譲る。参照:映画「インセプション」に不確かさを植え付けられる


『インターステラー』でも惑星により時間の流れが違うので、その惑星で過ごした1時間が地球の時間の流れでは数十年経過していた、という展開になっていた。

長時間経っているのに現実では一瞬だったという『インセプション』と(渡辺健が老人として冒頭登場するのが後半種明かしされる)、一瞬だけでも地球では数年経過しているという『インターステラー』(冒頭登場する老人が実は娘マーフィーの姿であることがラストで種明かしされる)。



観客は主人公側の視点でしか物語を見ることができない。

『インセプション』では夢というクッションが入っているので数十年の経過を同時に体感しなくても納得しやすい。

『インターステラー』では主人公が別の惑星で過ごしている間、地球では20年以上経過している、というのが視覚的わかりやすく描いてはいない(宇宙船で主人公たちを待っていた乗船員が歳を取っているというぐらい)。

おそらくその後の展開で地球から送られてくるビデオレターの息子の成長を描き、そちらに注目させるためではないだろうか。



■ 存在意義を描く『セス・アイボリーの21日』


地球と別の惑星とで時間の流れ方が違うというのを見て、星野之宣の短編『セス・アイボリー21日』を思い出した。
新海誠監督の初期作品『ほしのこえ』も同じ設定だった。

『ほしのこえ』では地球との距離が離れ、好きな人と離れれば離れるほどメールが届くのが遅れてしまう。
つまり少女時代に書いた文章を読む頃には男はもう大人になっている。
この隔たり、距離感が新海作品のせつなさだ。

『セス・アイボリーの21日』はどうか。
生命の成長が異常に早く進む惑星に不時着したセスは、自身の老化の速度から残り数日で老衰で死ぬことを悟る。
救援を待つまでクローンを育てることにしたセス。
初代セスが老衰死するころ、2代目セスが少女となり、初代セスを看取り、自らの細胞からクローンを育てる。
わずか数日しか生きられない2代目セス。
3代目セスは救援の宇宙船がくるのでその後も生きられる。

今まで生きてきた初代セス。
今後を生きていく3代目セス。
そして数日だけしか存在しなかった2代目セス。
自己はどこにいるのか。

『インターステラー』では惑星に取り残されたアメリアを救うために再び宇宙に飛び立つクーパー、というラストです。
全員が救われる映画なので個人的には物足りないです。


■ 愛を描く『漂流教室』


もう一つ思い浮かべたのが楳図かずお『漂流教室』です。
小学校ごと荒廃した未来に飛ばされた子供たち。
主人公翔(しょこたんの本名はしようこなんだけど、芸名はこのマンガから取ったそうですね)は荒廃した未来を生き抜く決意をします。
突然息子を失ってしまった翔の母親は、息子を救うためにありとあらゆる手段を試す。周囲からはキチガイのようにしか見えないが、構うことなく息子のために行動します。
その行動が未来の息子を幾度となく助けます。

なぜ現代と未来がつながったのか。なぜ翔の母親だけが救うことができたのか。
それは愛としか表現されていません。


クーパーと娘マーフィーのつながりも愛と表現されています。
ブラックホールから5次元に到達したクーパーは過去に干渉しようとしますが、すでに起きたことは変えられませんでした。
地球を救うための理論を導き出すためにブラックホールのデータをモールス信号で送るクーパーはやがてマーフィーの理論に救われます。


結局「彼ら」がどんな存在なのか、なぜクーパーが選ばれたのか、などは一切描かれていません。
「愛は地球を救う」と書くとチープに見えますが、この映画はまさにそのことを描いていました。


『インターステラー』を見たいと思ってる方も、見たけどもっと深く考えたいという方も、ぜひ『ほしのこえ』、『セス・アイボリーの21日』、『漂流教室』をご覧いただきたいです。
SFの哲学性がより身近に感じられることでしょう。

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