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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

「忘れないと誓った」のは誰か 映画『忘れないと誓った僕がいた』『メメント』から自分という他者のせつなさを確認する 

読む本が10冊ぐらいたまってて困った。
その上ももクロとかモー娘。の動画とか見ようとすると圧倒的に時間が足りない。
さらにiPhoneのアプリゲームとかやるもんだから常に時間に追われている感じ。
というか時間に追い抜かれ遥か彼方に行っちゃって、僕は一人ぽつんと在宅ヲタを決め込んでおります。
金無いし。

渾身の力作『アイドル感染拡大』が大量に売れ残っており徳井さんや2&の社長に「なんとかなりませんか!」とすがるような想いでお願いしました。
徳井さんは何冊か配ってくださるそうです。芸人さんとかがもっと読んでくれると嬉しいです。
2&については物販にてすでに完売しているそうでした!ありがたや!
追加で置いていただけるので2&インタビューを読みたい方はぜひ買いましょう!
Sakiちゃんからサインしてもらいましょう!


誕生日プレゼントにもらった『文化時評アーカイブス』を読んでるんですけど(4月14日が誕生日だったんですよ、ブログで何も書きませんでしたが)、これがまたおもしろい。
ゲーム実況とかイングレスとか全然趣味じゃないんだけど、人を動かすものというものに大変興味があります。

『アイドル感染拡大』も元はといえばそういった主旨で書き進めたもの。

「ももクロ×ゲーム実況×イングレス」

これで何かできないものかなぁ、などと考えておりました。


ももクロの音ゲーとか、なんかアプリゲームとか出せばいいのにね。

イングレスではどなたかが聖地巡礼のポータル?みたいなのを作られてましたが。

とにかく今後は人を動かさないと生き残れないような状況になっていきます。
それは土地はもちろんそうだし、イベントということでもそうだし、何より個人としてもそうなっていくでしょう。
「この人に会いたい」と思われるような人物になることが重要になります。
もちろんそれらには「面倒さ」がだいぶのしかかってくるんですけど、面倒なことを捨ててオートマティックになっていくと色や匂いが失われる社会になります。


この流れで最近見たあかりんの映画『忘れないと誓った僕がいた』についてクリストファー・ノーラン監督『メメント』をからめて書こうかな。

以下『忘れないと誓った僕がいた』と『メメント』のネタバレを含むので未見の方は了承の上お読みくださいませ。




■ 「忘れない」のは誰か

『忘れないと誓った僕がいた』の設定はとてもわかりやすいです。
早見あかり演じる織部あずさがみんなから忘れ去られてしまう、というお話です。
村上虹郎演じる葉山タカシと出会い、なぜかあずさを忘れないタカシに惹かれ、お互い恋に落ちる。
だけど何かの宿命なのか、恋人であるあずさのことを少しずつタカシは忘れていく。約束の日に約束の場所で会うことすら。


一方『メメント』はとても複雑です。
主人公レニー(レナード)は頭にケガを負い、新しい記憶が10分間しか持たなくなってしまう。
妻を殺した犯人に復讐するために様々な手がかりを追うのだが、記憶が持たないという障害を持つためにやがて誰が真実を語っているのかわからなくなる。
さらにこの映画は結末が最初に描かれ、それから段々シーンがさかのぼっていく、という形を取っています。
映画のラストが物語の冒頭なわけです。


タカシもレニーもどちらも大事なことを忘れまいと奔走します。
タカシはあずさの映像を残したり、部屋の壁にメモを貼りまくったりします。
レニーは身体に重要なことをタトゥーとして刻み込みます。

『忘れないと誓った僕がいた』はせつなく、『メメント』は怖い。なぜか。
「忘れないと」はあずさが記憶のよりどころである壁のメモを捨て去ります(シーンとしては存在しませんが、彼女がタカシの部屋を一人で訪れ、その後部屋の壁がきれいになっていることから想像できる)。
「メメント」はレニー自身がレニーをだましており、さらにはラスト(つまり物語の冒頭)で明かされる真実らしきものも警官がついた嘘かも知れない、というオチになっています。つまり何もわかりません。
レニーは自らが死なせてしまった妻を強盗殺人事件で死んだと思い込むことで生きようとしている、かもしれない。

どちらも記憶の不確かさを描いています。

「忘れないと」では物語の最後にタイトルが出ます。
いつまでも待ち続けるタカシの前に、あずさの友達として伝言を伝えにきた女の子が現れます。その子こそがあずさなのですが、もはやタカシは本人に会っても顔を思い出すことすらできなくなっていました。
絶望したあずさはこの物語から姿を消します。
一緒に撮ったプリクラを見て先ほどの女の子があずさだったと思い出すタカシは彼女を探すために走り出しますが永遠にたどり着けません。
その映像をバックに『忘れないと誓った僕がいた』とタイトルが出て終わるのです。

そもそもこのタイトルにある文章はありえない。
なぜならタカシは「忘れないと誓った僕」のことすら思い出せないからです。
この言葉はタカシは永遠に言うことができない。
では誰が言ったのか。
それは我々観客です。

あずさは劇中こんなことを言います。
「小学校の頃の先生の名前とか忘れてるでしょう。それと同じことが私にも起こっているだけ。それが人よりも早いのだ」と。

僕らも10代の頃、「今が一番最高の時で、この友達とは一生友達のままだ」と確信し共に時間を過ごしました。
でもそんなキラキラした時間を忘れて今生活しています。
だから僕らは「忘れないと誓った僕がこの映画の中ではタカシと重なって見える」とせつない気持ちになるのです。
忘れるわけが無いと思っていた中学生の頃の好きな子への感情も、小学生の頃の親友との笑った出来事も、高校生の頃の憤りも、すべてあえて忘れて今生きています。


人は忘れなければ生きていけない。でもそれはとても悲しいことである。
この当たり前のことを気づかせてくれるとても繊細な映画でした。
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