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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

偶想Dropワンマンライブからアイドルが売れるために必要なことを学ぶ 



今、『ザ・ノンフィクション』の「貧乏アイドル漂流記」を見ながらこのブログを書いています。

岡山や大阪などが舞台となっていて、それぞれ主人公たちは過酷な状況に置かれています。
東京はとても異常で、この番組に登場するアイドルたちのような極貧生活を送るような状況にはなりにくいと思われます。
もちろんそれには、それなりのパフォーマンス能力、カリスマ性とまではいかないまでも人を惹きつける何か、それとある程度のルックスなどが必要です。
これらがあれば日々生きていくのに困らないぐらいの生活はできるのではないでしょうか。
例えば撮影会をすれば生活費に困らないでしょう。ですが撮影会をしているだけではファンは拡大していきません。ファンは撮影した写真を宣伝のためにネットに上げることをあまりしません。

東京はインディーズアイドルが生きていくための土壌が出来上がっていて、地方よりもはるかに生きやすい。だけど無数にいる東京アイドルの中から勝ち抜いていくのは実力と運と運営能力が備わっていないといけません。
毎日のようにアイドルが辞めていき、毎日のように女の子がアイドル界に足を踏み入れています。


「売れる」とは一体なんなんでしょう。
メジャーアイドルで言えば48グループのようなCD売上100万枚や、ももクロのような日産スタジアムソールドアウトや、ハロプロのような全国ツアー開催などでしょう。
インディーズアイドルの場合ワンマンライブでZeppTokyoを埋めたと聞くと、売れたなって思われます。

出版業界では「10万部売れるためには1万部売れなければならない」と言われているそうです。1万部売れたことが大きな宣伝効果になる。
ですがインディーズアイドルの場合、単純にワンマンで100人呼べたから次は200人に、とはなりません。
500人呼べたのにそのまま微減していきいまいち突き抜けないアイドルもいれば、1000人呼べたのにやがて解散してしまうグループもいます。

「売れる」とは何か。
先日とあるインディーズアイドルのライブを見て、「売れるためには売れるための行動をしてはいけないのではないか?」という疑問が確信に変わりました。
そのアイドルとは偶想Dropです。


■ 「売れる」ために必要なこと

アイドルは3つの要素で構成されています。
「パフォーマー」「運営」「ファン」です。
パフォーマーはステージに上がって歌ったりする人です。運営はパフォーマーがステージに上がるまでの仕事をこなす人です。ファンはお金を払う人です。

先ほど「売れるためには売れるための行動をしてはいけない」と書きました。
わかりやすく言うと、利己的ではいけない、ということです。

パフォーマーが自分の事しか考えず、運営も自分の利益のみ追っていて、ファンも自分だけが気持ちよければいいと思っている。
このアイドルは売れるでしょうか。
莫大な資本金や巨大なスポンサーがつかない限りは売れないでしょう。
これとは逆に、パフォーマーがファンと運営のためにパフォーマンスしていて、運営がパフォーマーとファンのために尽くし、ファンがパフォーマーと運営のために応援していたらどうでしょう。
売れなきゃおかしいでしょう。この「売れなきゃおかしい」と思わせる感覚が大事だと思います。
ここには理屈が入り込んでいません。がんばってる奴が報われない世の中なんか腐ってる、と思えるのは理屈じゃなくただ単純に「そうじゃなきゃおかしい」からです。売れなきゃおかしいから売れなきゃおかしいわけです。
一方パフォーマー、運営、ファンがみんな利己的な場合、売れない理由は説明できます。それぞれが負けたくないために勝ちに行く一手を打てず均衡状態にあり、拡大していかないので売れないだけです。
『囚人のジレンマ』を想像すればわかりやすいでしょう。
お互いが協調すれば一番大きな利益を得られるにも関わらず、出し抜かれるのを恐れて自分が損しない手を打ってしまう。みんなが損をしない手を打ってしまうことによって大きな利益を得られない。

理屈で言えば最善手を打つしかない。でも最善手を打つことでみんなが不幸になる。
まさにこの社会が陥っている状況です。その縮図が「三者とも利己的なアイドル環境」です。

理屈ではなく、自らが損をする手をなぜか三者が打つ。その利他性によりみんなが幸福になる。
目指すべき社会がこれであり、偶想Dropはその光を見せてくれました。


■ 数値化できない幸せを選ぼう

今回のライブはファン(偶神と呼ばれる。ももクロで言えばモノノフ。偶想Dropの神であるはずなのにビンタされたり水かけられたりしてる人たち)が新宿BLAZE集客600人という運営の目標のために必死に動いたようです。
動画作成、ポスター作成、呼びかけなどを行っていて、ある人は「仕事だと会議とかですごく時間がかかるのに、動画もポスターもみんな協力して数日で完成させてすごいと思った」と言っていました。
無償でここまでやるのは理屈じゃありません。ただやりたいからやっているのでしょうし、それでパフォーマーも運営もファンも喜んでくれたら何よりだ、と思っているのだと思います。

そして驚いたのが運営から発表されたニューシングルの仕様についてです。
「複数枚購入を否定し続ける偶想Dropは、ニューシングルを1枚買うと3枚同じCDがついてきます」
爆笑でした。と同時に大変感心しました。
CDを買った人は3枚を誰かにあげなければならないのです。しかもドルヲタ仲間ではかぶってしまうため、新たな層にあげるしかなくなります。
逆ねずみ講と言いますか、六次の隔たりと言いますか、映画『ペイ・フォワード』的と言いますか。

スタンレー・ミルグラムという学者が手紙を使った実験で、6人以上を介して渡していくと世界中の誰にでも届くという概念を発見しました。これを「六次の隔たり」と言います。これがフェイスブックなどのSNSの思想になっているわけですが、これに近いことがこれから起きようとしているのではないか、とワクワクしてしまいます。
映画『ペイ・フォワード』では、受けた善意をその相手ではなく別の3人に与えることで世界が幸福になる、と考えた少年のお話です。

利己的ではなく利他的。
理屈ではなく理解不能。
売れるためには、売れるための行動ではなく、損をする行動を取らなければならない。
自分が笑うために行動するのではなく、誰かを笑顔にすることで自分も笑顔になる。

偶想Dropワンマンはこれらが結実したものだったと思います。
パフォーマー、運営、ファンの「相手のため」を思っての行動はらせん状に増幅していき、デビュー1年で500人越えという形となりました。


1000円もらったから1000円返すような社会は衰退していきます。
いくらかわからない恩をもらったからいくらかわからないけど自分ができる限りのことで返す。

あの素晴らしいライブを見て、まだまだ日本は何度だって這い上がり続けると確信しました。
幸せになれないだのなんだのとウダウダ言ってる奴がいたら肩を叩きながらこう言ってやろう。
「偶ドロ見に行こうぜ」と。



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