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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

映画『バクマン。』の岡田斗司夫解説の不評と「おたく」の終わり 


映画『バクマン。』を見ましたがあまりしっくりきませんでした。
岡田斗司夫さんの感想を拝見して似た印象を持ちました。
以下映画と原作のネタバレを含むのでご了承の上お進みください。




33分頃から『バクマン。』の感想です。


この動画を見て「おたく」という時代が終わったんだな、と思いました。
「おたく」が知識重視、「オタク」がコミュニケーション重視で使い分けるとしたら、36歳の僕は丁度中間に位置する世代だと思っています。
「おたく」の物凄い知識量に打ちのめされ、自分はおたくなんかになれない、と断念した世代でもあり、広いサブカル知識でいろんな人とコミュニケーションを取り出した世代でもあると思います。
(今は好きであればヲタクと名乗れる時代です)


岡田斗司夫さんの『バクマン。』評に対する世間の反応(と言ってもツイッターの誰かの反応やリツイート、ふぁぼ数から類推した程度ですが)を見ると、
岡田斗司夫が終わってるんじゃなく「おたく」という思想がもはや終わってるんだな、と感じます。

「おたく」だったら先ほどの動画の『バクマン。』にまつわる話は大変楽しめたのではないでしょうか。
僕もおもしろいと感じました。

でも世間の反応は、映画がヒットしている、みんなもおもしろいと言っている、漫画家も漫画愛を受け取っている、それなのに批判的な岡田斗司夫は感性が古い、というようなニュアンスです。
興行映画をおもしろおかしくいじり倒す「おたく的楽しみ方」は嫌がられ、「おもしろいよねー、だよねー」という「オタク的コミュニケーション」が当然とされているようです。


僕も映画『バクマン。』を見てリアリティが失われていると感じました。もちろんリアリティがあるから良いと言いたいわけではありませんが、原作にあったものが損なわれ、映画的な演出が過剰になっていると感じます。
岡田斗司夫さんはその損なわれた部分をあえて強調し批判したのだと思います。
僕も映画的な過剰演出は評価したいと思います。まず見ていて一度も眠いと感じませんでした。目が離せなかったのです。

主人公二人の愛くるしさや、原作と実写のヒロインの違和感。アイテムの小ネタなど。
地味な作画シーンもペン音から音楽が生まれ、コマが踊りだすところなどもおもしろいと感じましたし、エイジと二人がペンでバトルするところもおもしろかったです。
でもそれは漫画ではないでしょう。
作画をジャンプ的バトルシーンとして演出するなら、エイジはCROW的な装飾をし、二人は原作の最後の作品REVERSIで対抗すべきだったのではないでしょうか。
『この世は金と知恵』で1位を獲っちゃダメなんですよ。原作が好きならば。
あとサイコーもシュージンもペンで戦ってましたけど、シュージンはパソコンでタイピングし、出現したアイデアをサイコーがペンで打ってエイジにぶつける、とかの方が原作と作画のコンビ、というのがわかりやすかったと思います。
シュージンは絵が下手なのにサイコーのアシスタントばっかりしてて、いまいち原作者のすごさ、みたいのが伝わってきませんでした。


あと小松菜奈ちゃんですけど、どうしても『渇き。』の悪魔的美少女の印象が強すぎて、『バクマン。』のヒロインからは程遠いな、という感じです。顔は好きなんですけどね。
細かいことを言うと、声優の活動ができないから高校をやめたとありましたが、サイコーもシュージンも本名でジャンプに連載していて学校は止めなかったんですかね。入院までするし。


ジャンプ連載で1位を獲ることが総理大臣になることよりも難しい、という感じがなく、友情・努力・勝利の構図で獲れるという映画の展開がしっくりきませんでした。
誰が見ても楽しめる映画としては大成功だったのでしょうけど、時代遅れの「おたく」的感性で見ると物足りなかったです。


ただエンディングから溢れ出してくる漫画愛は凄まじかったです!




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