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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

「紀子の食卓」でアバター鬱を超越せよ 

ジェームズ・キャメロン監督「アバター」を見終わったあと、あまりに美麗な世界を目撃し現実とのギャップに鬱になる人がいるそうです。

でも本当にそうなんでしょうか。
美麗な世界というのはSF小説でも数多く描かれている。
映画でもマンガでもそうでしょう。

もし美麗な映像を見せられて現実とのギャップに打ちのめされるとすれば、それはあまりにも現実世界のすごさを知らな過ぎるでしょう。
少なくとも世界は「アバター」の美麗CGを生み出せる程度には素晴らしいです。


鬱の原因は「アバター」というタイトルにあるように、「分身」にあるんじゃないかな、と推測します。
映画を見てないんですけども。

現実の惑星侵略では満たされず、未知の生物の分身を獲得することで実りある生を過ごせる。
それはそのまま我々の社会性を表す。

手相や前世占い、資格ブームなどなど、本当の自分はほかにあるはず、という洗脳から生まれています。
アバターも一緒。
自分ではない分身を活躍させることで、酷薄な生を見ずに済む。


「アバター」は現実の自分を否定し、新たに獲得する別の自分を肯定する。
それで鬱になるならば、園子温監督「紀子の食卓」を見よ。
「アクター」として与えられた役を演じる。
現実世界が、ただ単純に役割を与えられているだけだ、と気付くことから始まる。
役を受け入れよ。
「アバター」という、自分と分身という区別ではなく、「アクター」という現実そのものがすでに舞台という気付きへ。
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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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