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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

「プリズン・ブレイク」から自己犠牲の利益回収性を学ぶ 

■ 「プリズン・ブレイク」から利己的な自己犠牲の成立否定を学ぶ

「プリズン・ブレイク」が終了しました。
日本テレビの深夜に放送してて第4シーズンまで通して見てました。

以下、シリーズのネタバレを含むので、了承の上お進みください。



あらすじを書きます。
投獄された兄を救うために弟が監獄に入る。
IQ180の脱獄劇。これがキャッチコピー。
無実の兄を信じ、脱獄計画を全身タトゥーとして彫り込み、兄の脱獄を助ける。

その過程で出会う人々との結束、裏切り、死。
脱獄から始まり逃亡、投獄、再脱獄。
そして兄弟を陥れた組織との対決へ。

それぞれに見どころがあるとしても、やはり僕は「プリズン・ブレイク」第1シーズンが好きです。
ハラハラドキドキの演出が尋常じゃないです。
限定された空間。
タトゥーの謎。
魅力的なキャラクター。
一級品のドラマです。


主人公マイケル・スコフィールドはとても魅力的だ。
知的で紳士的で狡猾。イケメンだし。
そしてなんと言っても彼の魅力は「自己犠牲」にある。
無実と信じる兄リンカーンのためにわざわざ罪を犯し監獄に入る。
自分が傷つくのは良いが、無関係な者が傷つけられるのは我慢できない。

そんな態度がマイケル・スコフィールドの魅力を引き立たせる。


でも本当に「自己犠牲」が美徳なのか?
この問いについて考えるのが本テキストの意図だ。


■ 自己犠牲があれば多少の犠牲はしょうがないのか

マイケルとリンカーンは多くの人を犠牲にする。
巻き込まれて刑期が重くなる奴もいれば、捜査官に追い込まれて殺される奴もいる。
マイケルが最後につぶやく。
「俺たちは自由だ」と。
確かにリンカーンもタンクレディも自由になった。
でもその代償ってでか過ぎじゃないですか?

確かにマイケルは無関係な者が虐げられるのを極端に嫌がります。
でも犯罪者にはすごく厳しい。
バッグウェルにはすげー厳しいです。
確かに変態犯罪者だし囚人を自殺に追い込んだ。
悪と決めた存在にはとことん攻撃する。
それがマイケル・スコフィールドです。

はたしてマイケルの行動は「自己犠牲」と呼べるのか。

マイケルは狡猾です。
自らの行動で何を引き起こすかをすべて掌握しながら行動している。
だから、自分の犠牲が自分の利益になることを知っている。
はたしてそれは犠牲なのか。
単純に、金銭を先払いしあとで物を受け取る行為でしかない。
我々もコンビニで商品を買う時、自分の財産を先に犠牲にし、そのあとで物を受け取る。
この行為とどこが違うのか。

「ファイナル・ブレイク」では最後、マイケルは自分の命を犠牲にすることでタンクレディを救う。
でもその犠牲は自分の死期を知ってのことだ。
命が短いことを知っていて、残りわずかの自分の人生と、タンクレディと胎内にいる我が子を天秤にかけた結果だ。


マイケルは煩雑で回りくどい買い物をした。
しかもその買い物は多くの人を不幸にした。
自由を買うためにそこまで掛かるのか、というぐらい多くを失った。
自分の命すら。


「プリズン・ブレイク」はただの脱獄ドラマではない。
行動により何を生むか。
何を失えば何を得られるか。
このことについて考えさせられるドラマだ。

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テーマ: TV - ジャンル: テレビ・ラジオ

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