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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

「生きる」の反対は「生きてない」 

「生きる」の反対は「死ぬ」。

果たしてそうなんだろうか。


「生きる」の反対は「生きてない」。
「死ぬ」の反対は「死んでない」。

生きた結末が死ぬということなんであって、「生きる」の反対は「死ぬ」っていうのは違う気がします。


「生きてない」「死んでない」。
「生きてない」は、ただ呼吸をしていて瞳に輝きが無い感じですね。
「死んでない」は、なんか呼吸もままならない感じですね。当然瞳に輝きなんか無いでしょう。
「あ、まだ死んでないこいつ」みたいな。

「生きる」「生きてない」の対比にはトリックがあります。
それは「生きる」には必然的に「良く生きる」という部分が入り込んでいる、という点です。
活力を持って素晴らしい生き方をすることがイコールで「生きる」ということに刷り込んでいる。
目に輝きがあろうと無かろうと生きていることには変わりません。
でもここに「生きてない」という単語が隣に来ると、途端に「生きる」は「活きる」になる。


よく言うように、二者択一を提示されたらどちらかに出題者の誘導が含まれてます。
「どっちが大事なの?」と問うフリをして、実際には選ばせたい方にメリットがあるような出題の仕方をする。

子供に勉強させたい親は、勉強することのメリットのみを伝え勉強しなかった場合のデメリットのみを伝える。
一方はメリットだけで、もう一方はデメリットだけだったら、当然メリットがある方を選択します。
選択させる時に与える情報をかなり制限している。
それはかなり政治的でもありマスゴミ的でもある。

冒頭に戻る。

「生きる」と「生きてない」とどちらがいいか。
それはわかりません。
「生きる」ことにより死ぬ人が出ることはわかり切っている。
我々が元気で健康的に楽しく生きているということは、どこかで貧困にあえいでいる人が産まれてるってことだ。
しかもその人は永久にあえぎ続けなければならない。
「生きてない」ということは無駄な争いの種が一切無いということだ。

何が正しいかなんて存在しない。
誰が不幸になるのが一番イヤかを常に考えなければ。
そして、それを考えたところで一番大事な人が不幸になる可能性は減らないって事に覚悟を持たねばならぬ。

でもこれらは「生きてない」状態では無理だ。
「活きて」なきゃならん。

二者択一があれば当然僕は「よく生きる」方を選ばせようとします。
当たり前だ。
僕は良き社会を目指している。
そのためには「良く生きる人」を増やさなければならない。
その上で、情報を多く与えた上で選択させる。
なぜなら偏った情報を与えて選択させる社会なんかクソ社会だからだ。
何をすればいいか。どのような行動が良いか。
常に考えるのが良い社会です。
僕が考える良い社会が本当に良い社会なのかまで考えを広げた上で選択して欲しい。
良き社会とはなんなのかを考える続けるのが良い社会です。

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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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