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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

「正義」のあいまいさ 

「正義の名のもとにおける殺人」というのは存在するのか。

答えは簡単だ。
存在するとも言えるし存在しないとも言える。

この問いで重要なのは「正義」の設定をどうするか、です。
「殺人」は「人を殺すこと」と決定されてるが、「正義」は正確に決定されていません。
あいまいな単語なので、人によって「正義」の捕らえ方が変わります。

最初の問いに戻ると、「殺人自体がそもそも悪だ」とするなら、正義と殺人は両立しないことになります。
「悪を罰するための殺人を正義と呼ぶのだ」とするなら、正義と殺人は両立します。
つまり良い殺人と悪い殺人が存在する、ということを言っているわけですね。


なので「正義の名のもとにおける殺人」というのは、存在するとも存在しないとも言える。


これを読んだ人の中にある疑問が浮かぶでしょう。
「さかもとにとって正義とはなんなのか」と。
(僕なんかに興味無い? でしょうね。でもなりゆきで書く)

僕は何が正義かわかりません。
というか正義というのは勝手に決まると思ってます。
歴史が証明する。
あの時のあの行いは正義だったんだ、という具合に。
その時の状況・雰囲気・感情で正義か悪かを判断するのは危険です。
なぜなら多くの人は大局を見通せません。
一時の自分の感情で悪と判定した結果、未来の自分の首を絞める結果になる。かもしれない。

絶対的なものではないと自覚しつつ、自分が正義だと思う道を進み続けるしかない。
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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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