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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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「カンビュセスの籤」から生命倫理と種の存続の意味を探る 

■ 「カンビュセスの籤」から生命倫理と種の存続の意味を探る


「藤子・F・不二雄[異色短編集]3 箱舟はいっぱい」の中の一編「カンビュセスの籤」は非常に興味深い作品です。

あらすじから書きます。
ネタバレを含むので以下の文章は了承の上お進みください。



エチオピア遠征の帰路、ひとり軍から外れて遭難した兵士サルク。
なんとかある建物を見つけ助けを求めたサルクは、ある女性と出会う。
未来のコンピュータに囲まれた部屋。
サルクはどうやら未来へと飛ばされたようだった。

言葉が通じない女性とサルク。
助けられた恩義を感じるサルクだが、あいにく言葉が通じない。
読者には両方の言葉が書かれているので、お互いの発言が読める。
どうやらこの女性は23万年以上生きているらしい。
でも生活年齢は17歳。
つまり、1万年の眠りを繰り返し、23万年経過しているのだった。
1万年の冬眠には体力が必要なので、1万年ごとに起きて食糧を摂取し、再び冬眠に入る。
地球外文明との通信をずっと行っているが、23万年間応答は無いらしい。
でもすでに死に絶えた地球では、外部に救いを求め、種を存続しなければならない。


冬眠に入る前に翻訳機が完成し、お互いのことを話し合うサルクと女性。

「カンビュセスの籤」とは、進軍中に食糧が尽きた軍隊が10人1組になってくじを引き、1人が9人の食糧になる、というもの。
サルクはそのくじに当たり命からがら逃げてきたというわけだ。
その時に約23万年後に時間移動したらしい。

一方その女性の話では、23万年前に終末戦争が起き地球は死滅したらしい。
1万年の冬眠期間が設定されていたが、それでも地球は蘇らなかった。
荒涼とした地では何も食糧が無い。
備蓄も底を尽き、結局生き残った人たちで「カンビュセスの籤」をすることになった。
23回。
さきほどサルクと女性が食べたものは、前回くじを当てたヘンリーおじさんのミートキューブだったのだ。


一人でも生き残れば遺伝子情報から様々な生物を培養することができる。クローンも作れる。
だからとにかく永く生き残ることが必要なのだ、と女性は説く。

くじをひきサルクは冬眠する方、女性はミートキューブになる方と決まった。
1万年後に託す女性はミートキューブの機械にセットされる。


■ 生命倫理とは何か


「藤子・F・不二雄[異色短編集]」には人肉食を扱った作品がほかにもあります。
「ミノタウロスの皿」は牛のような生物に支配された人のような生物が家畜化されているお話です。
牛が人を食べる。
(作中の表記では「ズン類」が「ウス」を食べる)

「ミノタウロスの皿」では、人と牛の立場が逆転し、しかもお互い言葉が通じるのに倫理観が地球人と違う、という設定でした。
我々が牛を食べるということがどういうことなのか。
倫理観が全然違う相手とは話ができても言葉が通じない。
これらのことを問いかけます。

では「カンビュセスの籤」はどうでしょうか。
サルクも女性も、人を食べて生きることに抵抗感はあります。
ただ、サルクは覚悟ができておらず、女性は覚悟ができている。
そこには23万年種を守ってきた重みがある。
一方サルクはカンビュセスのくじで当たっても9人に食われるのが嫌だ、という覚悟の無さがある。
違いはそこだけで、お互い生きたいという気持ちはあります。
サルクが自分自身が生きたい、というのに対し、女性は種を存続したい、という意味合いですが。


生きたいという想い。
その想いがあるから結果的に種は存続する。
では生命倫理とはなんでしょうか。
我々はなるべく人を食べたくないと思って生きています。
正確には、人を食べなくても生きていける社会設計があり、もっと正確に言うと、人を食べるかどうか判断基準に浮かばないような社会教育を施されています。
人を食べようと思うことすら無いまま生きられます。

でも極限状態ではどうか。
人を食べてまで生きなければならないのか。
それとも、人を食べるのは倫理に反するから、それをしたら人ではなくなる、と決断するのか。

サルクは決断できない。
約23万年前は食べられるのが嫌で逃げ出し、約23万年後の地球では女性を食べることを嫌がる。
女性に食べられる方なら覚悟が決まっていた。

そう。サルクのように、我々はできるだけ人を食べたくない。
そんなことまでして存続させるほどの種なのか、とさえ思う。
人が人を食べて生き残るぐらいなら、とっとと滅べ、と思うでしょう。

でもそれは我々が今の年齢分しか生きてなくて、有史以来数千年単位でしか考えることができないからです。
「カンビュセスの籤」に登場する彼女は23万17歳生きている。
我々は23万年生きたあとの思考を獲得することができない。
23回ミートキューブを食べた経験も無い。

だから我々が持っている人肉食についての倫理観は、現在の我々にしか通用しません。
サルクにはサルクの。我々には我々の。そして、彼女には彼女の倫理観があります。

誰が間違ってるか、という問いは意味がありません。
倫理というのは、正否が無い。
その人個人が持っているものです。
ただ、その時の社会性や時代性により判断されるに過ぎない。
だからどんな時も他人の倫理観を否定するのは馬鹿げてます。

「カンビュセスの籤」に登場する彼女は、24万年後に自分の血肉が新たな希望のたねとなるのを願っている。
彼女が優しかったヘンリーおじさんを食べたことを非難しても無駄です。


■ 倫理批判の無駄さ


自分とは違う倫理観を持つ存在を否定しても無駄だ。
なぜなら自分自身がその立場になって判断できていないからだ。
安全な場所に立ち「人肉食はいけない」などと言っても、「カンビュセスの籤」に登場する彼女を論破することなどできない。
自分が彼女の立場になった時に、彼女と同じ判断をしないとは言い切れない。

これはすべての状況に言える。
我々は人を殺さないで生きるように教育されているが、そのような状況になった時に人を殺さないでいられるかわからない。
当然現在では「絶対に人は殺さない」と断言するしかない。
そのような教育を施されているからだ。

でも抜き差しならならない状況に陥った時、自分がどういう判断を下すかはわからない。
今の自分と未来の自分は全然別物だ。
ましてや23万年後の自分など想像できない。


倫理観は対立し続ける。
すり合わせるしかない。
それには想像力が不可欠だ。
そして決断力。

「カンビュセスの籤」を読めば、仲間を食べてまで23万年もの間種を存続させようとした彼女の覚悟を知り、自分の倫理観が揺らぐことだろう。
でもそれこそが大事だ。
今獲得しているこの倫理観は、今この時点でしか役に立たない。

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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

この記事に対するコメント

SFって道徳や倫理を考える素晴らしい教材にもなるんですね。

日々刻々と変化していく社会を良くしたいのならば、いつまでも今持っている倫理観に縛られているようではだめですね。
多様な倫理観を受け入れる寛容さが必要だと思いました。

URL | madness #-

2011/02/27 15:26 * 編集 *

Re: タイトルなし

> SFって道徳や倫理を考える素晴らしい教材にもなるんですね。

SF(少し不思議)は倫理観を問いますね。
10年後には10年後の。1000年後には1000年後の倫理観があります。


> 日々刻々と変化していく社会を良くしたいのならば、いつまでも今持っている倫理観に縛られているようではだめですね。
> 多様な倫理観を受け入れる寛容さが必要だと思いました。

多様な倫理観がある、という現実を知る必要があります。
多様な倫理観が共生し合う社会が良いですね。
難しいですが。

URL | さかもと #tHX44QXM

2011/03/01 00:38 * 編集 *

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