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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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どこまで認識できてるか 

我々は普段どこまで認識できているんでしょうか。

ガラス越しで手を触れ合う恋人同士を想像してみましょう。

恋人同士は、お互いがガラスに触れていることを知っています。
この感触が恋人の手では無いことを知っている。

でももしこれが、お互いに知らなかったとしたらどうでしょうか。
恋人同士で手を合わせるとこのような感触なんだと思い込んでいるとしたら。
お互いは愛し合っているだろうが、ガラスに手をついているようにしか見えない我々からすると、悲哀や冷たさを感じる。
本当はもっと愛を確かめ合う方法があるんだ、と教えたくもなりましょう。


では話を現実に戻しましょう。
もしこの恋人達のような状況が我々に起こっているとしたらどうでしょうか。
指を絡ませ合い、手を強く握り合っている恋人同士がいるとしましょう。
ガラスの時と違い、我々はこれでお互いの肌が触れ合っていると思い込んでいます。

ですが、上位の概念がこの行為を見ると、我々が「ガラスに手をついて何やってんだ」と思うのと同じような印象を持つのではないだろうか。

我々には見えてないだけで、透明な膜のようなものがあるのかも知れないし、どこまでくっついていても完全にぴったりと肌を重ね合わせることはないということかも知れない。

状況は我々からは判別できないが、とにかくガラスと同じような状況が起こっている。


ここまで考えると、すべての状況は同じだと言える。
つまり、我々が体験していると思い込んでいるものは、実は、全然認識できていない、ということだ。
ガラスのカップルのように、通じ合っているように見えて、実際は空虚で冷たいものでしかないかも知れない。
それをただ「体験した」と思い込んでいるだけかもしれない。


我々は何を認識しているのか。
確かに指摘してくれる人がいない以上は、現在行えるものを最善として生きるしかない。
でもこの膜が取れた時には、ガラス越しのカップルが手を取り合って涙するのと同じような上昇が見られるんじゃないだろうか。

現実を疑う。
常識を疑う。
疑って真実に到達する。

到達するかどうかは問題じゃない。
大事なのは、到達しようとする意志だ。

と、アバッキオの先輩のようなことを言いたくなる。
(『ジョジョの奇妙な冒険』第5部参照)
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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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