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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

映画『エターナル・サンシャイン』にありえない輝きを見る 

■ 映画『エターナル・サンシャイン』を見て記憶を超えた運命を知る


記憶を失うことを描いた作品は多い。
僕の大好きな「メメント」や、邦画「博士の愛した数式」。今度リメイクが噂されている「トータル・リコール」などなど。

記憶障害だったり記憶を消されてたり酒で記憶が無かったりと、いろんな手段で観客から「知りたい部分」を隠す。

最初に記憶を失っている物語を見せ、その後失われた部分を見せることで、物語の真の姿を映し出す。

映画『エターナル・サンシャイン』では、記憶を失う過程を描き、さらに記憶を失う前と後を描くことで感動を誘う。


以下『エターナル・サンシャイン』のネタバレを含む内容のため、了承の上お進みください。



■ 記憶を失うことは幸福なのか


ジム・キャリーが演じるジョエルは通勤電車に乗ろうとしたところ、急に思い立って反対方向の電車に乗り込む。
モントークの浜辺にたどり着き奇抜な髪の色をした女性と出会う。
ケイト・ウィンスレットが演じるクレメンタインとジョエルは意気投合する。
帰りの電車で偶然行き先も一緒だった二人は、そのまま帰る。

仲良くなった二人。
だが数日経ってジョエルがクレメンタインの職場である本屋に行くと、クレメンタインは全然ジョエルのことを知らないかのような振る舞いをする。
初対面のお客を案内するような対応をするクレメンタイン。
しかも若い男とキスをしだすのだった。

ショックなジョエルは「嫌な記憶を消す会社」の存在を知る。
クレメンタインはどうやらこの会社でジョエルの記憶を消したらしい。
だったら自分もクレメンタインの記憶を消してやる、とジョエルは思う。
家の中にある彼女との思い出を全部かき集め、それを会社に提出し、記憶の地図を作る。
いよいよ記憶を消す日。ジョエルの家に機器をセッティングし、そのまま眠ってもらう。
寝ている内に記憶を消し、起きた時にはクレメンタインの記憶はすべて消えている。
だがジョエルの想いは強かった。
記憶を次々消されていくが、ジョエルはなんとか逃げる。
この映像は『エターナル・サンシャイン』のみどころのひとつでもあるが、好きな人との記憶が消える悲しさが描かれています。
それでも次々と消されていく記憶を前に、「やはりどうしても忘れたくない」と強く思うジョエル。
そこで記憶の中のクレメンタインはジョエルに「モントークで会いましょう」と残す。
初めて会った場所へ。

彼女との記憶がすべて消されたジョエルは目を覚ます。
そして通勤電車に乗り込まず、急遽思い立ったかのように反対側のホームへ走り出す。
記憶の無いジョエルはモントークへと向かう。
そこで奇抜な髪の色をした女性クレメンタインと出会う。
そう。映画の構造として、一番最初のシーンはカットバックになっていたのだった。
二人の出会いを再び見守る我々は、二人が記憶を失ったのを知っている。

しばらくして二人も、お互いがお互いのことを嫌いになり、記憶を消す会社に頼んで記憶を失ったことを知る。

このまま付き合ってもどうせ再びお互いのことを嫌いになっていくだろう。
そう言うクレメンタインに対しジョエルは「それでもいいさ」とひとこと言う。


以上がストーリーです。


■ 人は記憶にのみ生きるにあらず


この物語の素晴らしいところは、「人は記憶だけに生きているのではない」というのを表現しているところです。

世界には人智の及ばない部分がある。
そして、人智の及ばない部分により幸福が得られる。

記憶を失うこと。何かを忘れることは不幸ではない。
世界の素晴らしさに触れられないことこそが不幸だ。

ジョエルはクレメンタインと2回運命の出会いをした。
そして嫌いになってケンカをして別れたとしても「また出会えば良い」という絆の強さを獲得した。

そう。我々は記憶に生きているのではない。運命に生きているのだ。

記憶を失っても出会ってしまうジョエルとクレメンタインの奇跡を我々も体感する。


『エターナル・サンシャイン』では対比としてもう一組出会ってしまう2人がいる。
記憶を消す理論を考えた先生と、キルスティン・ダンスト演じるその助手だ。

先生と助手は不倫の関係にあり、やがて先生は助手の記憶を消した。
だが再び助手は先生を愛してしまう。

この二人は結局別れることになるが、いくら記憶を消しても愛し合ってしまう、ということをここでも描いている。


■ 世界は「ありえなさ」に満ちている


人智が及ばない部分により翻弄される我々は、そこに奇跡を見出す。
『エターナル・サンシャイン』では、ジョエルの記憶が消されていく中で、ジョエルが頭の中で生み出したクレメンタインが「モントークで会いましょう」と言う。
クレメンタインとの記憶では無いし、例えクレメンタインとの記憶だったとしても、ジョエルのクレメンタインとの記憶は全部消されているわけだから、「モントークで会いましょう」というのを覚えてるはずが無い。
そしてさらに、クレメンタイン自身もモントークにいる理由がありません。
もしかしたらクレメンタインもジョエルとの記憶を消す時に、やっぱり思い出を消したくないと強く思い、クレメンタインの頭の中で生み出したジョエルが「モントークで会おう」と言ったのかもしれない。
それでもジョエルの時と一緒で、クレメンタインの記憶は無いわけだから、いくらジョエルに「モントークで会おう」と言われたところで覚えてるはずがありません。

つまり、二人がモントークに行く理由なんて無いってことです。

でも二人が初めて出会った時のような、友人たちがカイトで遊んでいる時のような、『偶然の出会い』が二人を襲う。
「二人を包む」というよりも「二人を襲う」という表現の方が近い。
なぜならこの出会いはありえないからだ。
二人がモントークに行くのもありえないし、二人があの時間に同時に存在するのもありえない。

この世界はありえなさに満ちている。
そしてそのありえなさはきらきらと輝いている。
二人が幸せになるかどうかは暗示されてない。
ただ、二人の離れられない運命は突き刺さるほどに輝いている。

幸不幸の判断基準は我々の中にある小さいものだ。
運命は人智を超える。
世の摂理は人智を超える。
それは永遠に失われない輝きだ。

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テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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