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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

哲学史を壁に叩きつけろ 

哲学と哲学史とでは、大きな隔たりがある。
りんごと林檎酢のような。
同じものを扱っているんだけど、果物と液体というように、全然別物というか。


哲学史とはつまり哲学の歴史です。
過去、哲学者がこういうことを言いました、とか。こんな考え方を○○主義と言います、とか。

そういう意味では数学の公式を学ぶのと一緒です。
「こういう問題が出たら、底辺×高さ÷2という式に当てはめて考えなさい」というような。

「それはウィトゲンシュタイン論理哲学論考だね」とか、「キルケゴールと似てるね」とか、「デリダの脱構築でしょ?」とか。

全然つまんない。

はっきり言おう。
哲学史はつまんない。

例えば、2枚の絵があるとします。
1枚は誰が描いたとも知れない、一般的に全然評価もされない絵。だが、あなたの胸に深々と突き刺さる、それが一生抜けることの無いほど暴力的で、狂気的で、どくどくと血を流すほど衝撃的で、甘美で陶酔してしまう絵。

もう1枚はゴッホの『ひまわり』。

『ひまわり』については、ゴッホの死後さまざまな研究家や絵画評論家がいろいろ説明していて、一般人にもしっかりと絵の素晴らしさが伝わっています。

もう1枚のあなただけを揺さぶる絵については、誰も評論も解説もしてくれないが、あなただけは絵のすごさを知っている。

この場合、どちらが素晴らしい絵だろうか。
単純に言うと、どちらの絵がおもしろいだろうか。

答えは自明だ。

あなたにとって、あなたを激震させるほどの破壊力を持った絵の方がおもしろいに決まってます。


「哲学史」とは、これとは正反対に、『ひまわり』の素晴らしさを書き連ねてるだけの、つまらないものだ。
確かに必要なものです。
絵を解説する者がいなければ、そもそも絵とはなんなのかがわからなくなる。

でもつまらない。

あなたを圧死させるほど、轢殺するほど、狂死させるほどの激動を持つ絵=哲学を知ることの方が楽しい。


だから、「哲学」と聞いて敬遠する方には、「それは哲学史なんだよ!!」と声を大きくして言いたい。


あなたはその絵を他の人にも伝えたくて、いろいろ学びたくなるかもしれない。
その手段として、ゴッホの絵の評論、ピカソの絵の評論、モネの絵の評論、シャガールの絵の評論、リキテンスタインの絵の評論などなどを学び、あなたが好きな絵の対比に使うかも知れない。

つまり、哲学を使うための哲学史なら、良い。


でも哲学史から入ってしまうのは間違いだ。
逆説になるが、多くの哲学者は、それが哲学で無いことを宣言してるだろう。
(「過去の哲学者の解説に染まるな」と言っておいて、過去の哲学者が言っている「哲学史は哲学じゃない」という発言に従う、という点で逆説)


話が長くなってきた。

つまりは、「哲学はおもしろいんだ」ということです。
ニーチェだカントだ言ってる人は、哲学をやってるんじゃなくて、ニーチェ研究家、カント研究家、ってだけです。

ゲームの攻略本で泣く奴はいない。

泣け。
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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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