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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

映画『紀子の食卓』による癒し 

これほど語彙不足を怨んだ事はない。


すごい作品だ。でも「すごい」というのとはまた違う。「良い」でもあるし、「救われる」でもあるし、「恐い」でもある。


映画「自殺サークル」の続編的な作品で、監督自らが書いた「自殺サークル完全版」を基にしているらしい。

「ゆれる」を観て「出演者の迫真の演技がすごーい!今年最高の映画でーす!」とかほざいてる奴に観せてやりたい。
(それについては「ゆれる」の感想にゆずるが、結局僕だって「紀子の食卓の出演者の演技がすごーい!」と言いたい訳で、大差ないですね)

主人公の吹石一恵。主人公をあるお仕事に誘う役のつぐみ。主人公の妹役の吉高由里子。主人公の同級生役の三津谷葉子。
すべて素晴らしい。
特につぐみがすごい。恐いくらい。
僕は数年前、「月光の囁き」に出た彼女を観てM性に目覚めました。
そしてまた「紀子の食卓」にて、彼女のすごさに打ち震えた。

途中、漫画家の古屋兎丸が出てたけど、彼も良かったんじゃないでしょうか。漫画家なのに。
マンガ版「自殺サークル」を描いた彼だが、まだまだ「紀子の食卓」のすごさには及ばない。

ストーリーを軽く紹介。当然内容に触れる為、ネタバレが嫌な人は絶対に読まないでください。
良いから観に行ってください。

田舎で平和に暮らす紀子は、そんな空間にいらつき、家出して東京へ行く。
ネットで知り合った「上野駅54」という女性と、「レンタル家族」の仕事をする。
その後、姉を追うように妹も家出し、妻に自殺された男は、娘達を連れ戻しに東京へと向かう。

というような内容。
2時間40分もの上映時間なのに、まったく飽きない。

紀子はある人物に出会い、家出を決意する。
それはみかんちゃんというあだ名で呼ばれていた、小学校時代の同級生だ。
イメクラ嬢となった彼女を、紀子は誰だか気付けないでいた。
イメクラという虚構の世界の住人。違う役を演じ、それでも底抜けに明るく、まったく重くない彼女は示唆的だ。
あだ名の由来が、小学生の頃、授業中に尊敬する人を聞かれ、みんなが親などを挙げる中、彼女だけが「みかんです!」と元気に答え教室内の笑いを誘っていた。

つまりみかんちゃんは、元々みんながいるステージにはいなかった。あえて深読みするなら、初めから人に期待していない存在だ。
「紀子の食卓」の中でも、極めて重要な役だと言える。


もう一人重要な人物がいる。
紀子の妹のユカだ。
ユカは、父親の薄さをすでに見抜いていた。
薄っぺらい家族関係だと気付かず、わからないものにイライラして家出した紀子に対し、すでに薄っぺらいものだと受け入れ、妹という役割を演じていたユカ。
紀子が「ここではないどこか」に行こうとしてたのに対し、ユカは「どこに行こうが一緒」というのを踏まえた上で家出している。
これが後の伏線になっている。


東京に家出してきた少女紀子は、以前からネットで仲が良かった「上野駅54」というハンドルを持つ人物にコンタクトを取る。
彼女はクミコと名乗り、しかも父や母や弟も連れてきていた。
訳もわからぬままついていく紀子は、数名のクミコの祖父母と次々に出会っていく。
毎回のように、再会を喜び、毎回のように、別れを惜しむ。
紀子には、すべてが本物の家族にしか見えない。

クミコと二人で、「家出から戻ってきた娘」という設定を依頼された男の家へ行く。
「父親役」に真剣に叱られ、ほほを打たれる「娘役」のクミコ。
そして真剣に反抗し、本当に和解した紀子は、父親と娘という関係以上の、真実の家族を体感し、涙を流す。
そう。まさに、我々の目の前に広がっているのが「家族」だ。
終了タイマーの電子音が響くまでは。

だが、田舎で幸せに暮らしてた紀子や妹のユカや父親(光石研)や母親の家族風景こそ白々しいものではなかったか?
娘役二人と父親役と母親役がいただけの印象を持ったのではないか?
その証拠に母親は、明らかにつまらなそうな顔で映っている家族写真を、みんな笑顔の絵画に描き直していたじゃないか。
だからこそ紀子は、クミコと一緒に行った先の「家庭」で号泣したのだ。
なぜなら、終了タイマーが鳴ったごときで、我々が家族だと思っているものは終了しないと思っているのだから。
クミコにより、父親と紀子は引き離された。だから泣いた。
田舎の(本当の)父親の時では泣けなかっただろう事は自明だ。


そのことにより、ますます空虚になっていく紀子。もはや役割を与えられないと動けない人間になっていた。
久しぶりの妹との再会も、紀子(すでにこの時には、彼女はミツコという人物になっていたが)は反応できない。

ユカはミツコに、家出した時のコートを持ってるかたずねた。眼鏡も。
そして「次は紀子の格好で行ってくれないかな」とお願いする。
ここで我々は、「ユカこそが紀子を救う役割を担っているのではないか」と思うだろう。
そこに、娘達の所在を知った父親が、彼女達に娘役を依頼する。

田舎の家とそっくりの間取りで、家具も娘の部屋もそっくりそのままにした家。
ミツコが次第に紀子に戻り、ヨーコも次第にユカに戻る。
だがすぐにクミコが「娘役」に二人を戻す。
「母親役」のクミコは、「父親役」の光石研に「殺される役」になる事を望んだ。
紀子も父親も違う役になって楽になりたいだけ。クミコも現実を捨てて楽になりたいだけ。
ユカこそが、初めから全ての役を受け入れて絶望している存在だったのだ。
ユカは言う。
「延長しますか?」
自らの役を受け入れ、その空虚さを知りつつ、あえて役割を演じ切る事が幸福である。
ユカが示す通り、そこには幸せそうにすきやきを食べる家族の姿がある。

だが当然、その救いからもこぼれる者がいる。
ユカはその「空虚だが救われる幸福家族」を抜け出し、姉と同じように「ここではないどこか」を目指す。
だが紀子の逃避とは違い、役割を受け入れる力を持ったユカの出発だ。


もう一度観たい。
DVD買う。
ユカ役の吉高由里子がすごい。
つぐみがものすごい。
吹石一恵が思ったよりもずっとすごかった。
これは奇跡的な映画だ。

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テーマ: 映画感想 - ジャンル: 映画

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