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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

障害児の中絶問題 

「中絶」という単語だけを取り出し否定したり肯定するのは短絡的で、多くの問題を取り逃がす。

また、ここで「10年前は良かった云々」などの論調も馬鹿げている。


mixiの日記数が現在2000を超えているが、それだけ皆が何か言いたくなっているひとつの理由は、この記事がデータ不足である、ということです。

この見出しの「10年間に倍増」というワードだけ見ると、「障害児とわかった途端に中絶するひどい母親が増えた」と読み間違える人が増えるのは当然で、わざとこんな見出しにしたんじゃないかと疑ってしまう。

言わば「今の女性の性交渉は駄目で、昔は良かった」というくだらない幻想。


まず10年前のデータは、妊娠何ヶ月目で中絶の判断をしたのか。今は妊娠何ヶ月目で中絶しているのか。ここが不明だ。
記事にはエコー検査の精度が上がったので早期で発見されるようになった、とある。

つまり、10年前は妊娠数ヶ月目で我が子に愛着がわいている時であるにも関わらず、苦渋の決断で中絶したのかも知れず、現在の方は妊娠後すぐに発見でき「我が子」という愛着がわく前に中絶の決断ができたのかも知れない。


となると、ここでの問題は、「障害児だから中絶するのかどうか」という問題ではなく、単純に「生命は妊娠何ヶ月目から認められるか」という倫理問題になる。



また、この記事が誘導したがっているように「障害児なら中絶すべきか」という問題に乗っかるにしても、やはりデータ不足で何を議論すべきか曖昧なままだ。

10年前と今とで、医者がどう切り出してるのか、どう変化があるのか不明だ。
わかりやすく例えると、10年前の医者は「今後医療が発展し、障害を治せるかもしれない」と中絶を考え直させていたが、現在は「今の医療では障害を治せる可能性は低い」と中絶を勧めているとしたら、これは母親の問題ではなくなる。

また、そもそもこの問題は、我々社会の問題だ。
母親一人の決断は、母親一人の決断の責任だ、などと考えるのは社会を知らないにもほどがあるだろう。

もし母親が中絶の決断をしたのであれば、それは我々が生活している社会がその女性に決断させたのだ。



わかりやすくインパクトのある例を出す。
「自殺」は、その自殺志願者が決断したことだろうか。
否。
そう、彼は自殺させられたのだ。
社会が幸福だと感じられるのであれば、多くの場合「彼」は「自殺」を選択しない。


同じように、この社会が「中絶するよりも出産することの方が幸福であると感じられるのであれば」、多くの場合「彼女」は「中絶」を選択しない。


そう。この「障害児だとわかれば中絶すべきなのか問題」は、そのまま我々の問題だ。

女性は妊娠出産のコストを引き受け過ぎている。
その上中絶の判断も女性のみに課すのは全然社会的ではない。


もしあなたが中絶に反対なのであれば、障害児や障害児を持つ親が住みやすい社会を目指すべきだ。
もしあなたが中絶に賛成なのであれば、中絶により発生するインセンティブとコスト(良い面と悪い面のように)をしっかりと伝えられる社会を目指すべきだ。


「中絶反対」も「中絶賛成」も、そのナイフは必ず誰かを傷付けている。
そのナイフで誰かを傷付けていることに自覚的になろう。
そのナイフはくだらない社会をズタズタに切り裂き、未来を切り開くために存在する。

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テーマ: 哲学/倫理学 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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