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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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ももクロの新アルバムに込められた「成長」と「愛」【隣人愛から悠久不変の愛へ】 



「ももクロのアルバムがCDショップ大賞に選ばれますように」
この願いを込めて記事を書いてきました。

(参照記事:ももクロの新アルバムへの期待
(参照記事:ももクロがさらに加速していく 【Documentary of "AMARANTHUS / 白金の夜明け"感想】

そしていよいよ発売されました。我慢できずに休憩中に職場を抜けて買いに行きました。やっと聴けました。感想は「とんでもないぞこれは!」です。本当にCDショップ大賞を獲りそうな勢いです。良かったです。

いろんな方が感想や考察などをなさっているので僕も感想を書きたいと思います。
音楽的な知識は無く、『マホロバケーション』最高!とかヒャダイン最高!とかれにちゃんの声ギャンきゃわ!ぐらいしか書けないので違う方向からアプローチしたいと思います。

キーワードは「通過儀礼」と「楳図かずお『イアラ』」です。


■ 成長して景色が変わっていく

アルバムのテーマは「生と死」、「夢」などが掲げられていましたが、中には『ゴリラパンチ』やシングル曲などテーマとは直接関係のない曲も入っています。
ですがアルバムに組み込まれることで新たな輝きを発し、意味が変わっていくのを感じた方も多いと思います。
『イマジネーション』から『MOON PRIDE』 、『「Z」の誓い』の流れはひとつのストーリーになっているようにも受け取れます。
永遠だと思われていた未来や夢の世界も壊れてしまうものと知ることで大きく成長する。
表向きのテーマとして「生と死」、「夢」が発表されましたが、裏テーマとして「成長」、「愛」があるように思えます。


成長を描く物語には定番の順序があります。
抜け出したいような日常が描かれ、非日常を体験し、日常に再び舞い戻る。
再び目にする日常は最初の頃と違い輝いて見える。
映画版の『ドラえもん』や『グーニーズ』、アニメ『時をかける少女』など、様々な作品がこのような構造になっています。
成長を描く際に象徴するアイテムやポイントとなる物が登場します。
『グーニーズ』の場合は主人公が持っている吸引器です。
『AMARANTHUS』と『白金の夜明け』の場合は「色」だと感じました。

『バトルアンドロマンス』ではメンバーの名前やももクロという単語、色の名前などが歌詞やタイトルにたくさん使われています。
ですが今回のアルバムでは象徴的なのが「ももクロ」という単語が入る「マホロバケーション』、涙の青を含む6色が歌詞に込められている『モノクロデッサン』、黒がタイトルにも入る『もっ黒ニナル果て』、そしてピンク色が強調されている『桃色空』の4曲で、他の20曲は色やももクロやメンバーの名前が強調されていません。

ですがなぜかまとまっているように感じられる。
その一つの要因としてはプロモーション展開がうまかったことが挙げられると思います。
毎日レコーディング場所でのインタビュー動画をアップしたり、あからじめテーマを発表していたり、発売前にドキュメント映像を映画館で放映して話題性を狙ったりと、聴く前からイメージを固めることに成功しました。
そして一番大事なことですが、どの曲も良い。これが核だったと思います。
有無を言わせぬ素晴らしさだったことが成功のポイントでした。

他には、メンバーの声が合いの手として多様されている点も挙げられます。
前作と比べてメンバーの声の数が圧倒的に多いように感じられます。
1曲1曲も4分台のものが多く、短い時間にメンバーの声や複数の音がぎゅっとつまっています。
ももクロの魅力に「時間感覚を喪失させる」というのがあると思います。
楽しい時間があっという間に過ぎるのと同じく、気づくと1時間経っていたというのが今回の2作です。

さて、あえて色などを強調しなくても「ももクロちゃんが歌っている」というだけでももクロのアルバムでしかないことが証明された素晴らしい今回の2作ですが、僕が感じた裏テーマ「成長」と「愛」についてです。

『AMARANTHUS』の最後の曲と『白金の夜明け』の最初の曲に同じメロディが使われていることは続けて聴くとよりわかりやすくなっています。
ではさらに『白金の夜明け』の1曲目から始まり『桃色空』のあとに『AMARANTHUS』を聴くとどうなるか。
おそらく聴いた方の多くは、赤ちゃんの産声が初めて聴く時と印象が違ったのではないでしょうか。

一回目に聴く『embryo -prologue-』は『WE ARE BORN』の歌詞もあり、泣きながら安寧の母体を這い出して生まれてきた、というマイナスの印象が強いと思いますが、『桃色空』を聴いたあとでは、心臓音と泣き声に温かさが加わっているように感じられたかと思います。
一回目はつらいけど生まれて生き抜いていく、というネガティブさと力強さを感じます。一周して再び聴くとそれらが消え、生と死、友情や愛、出会いと別れなどを経て、この世界の美しさを知り、過酷であると知りながらもあえて生まれてきたんだ、という印象に変換されていきます。

成長物語の構図と同じく、辛い日常があり、非日常を体感することで、日常が実は計り知れないほど尊く美しいものであることを学びます。
産声の意味が変わる、という部分に象徴されているように、2枚のアルバムを通して何度でも聴くことで景色が変わります。
そこがこのアルバムの素晴らしいところであり、2枚同時でなければならない理由でもあるのだと思います。


■ 楳図かずお『イアラ』と「愛」について

『イアラ』は死の間際に女が発した「イアラ」という言葉の謎を追う究極の愛の物語です。
その言葉を聴いた男は永遠に生き続け、女が生まれ変わって再びこの世に誕生するのを待つ。
女は様々な人生を生き、男は「イアラ」の謎を追う。
楳図かずお『おろち』も永遠に生き続ける美少女が主人公でしたが、『イアラ』は男が主人公です。
また手塚治虫『火の鳥』も永遠の命を手にしてしまった男が登場します。

『AMARANTHUS』と『白金の夜明け』を交互に繰り返し聴くことで「これは『イアラ』なのではないか」と感じました。
先行上映会の時に『WE ARE BORN』のMVの制作秘話を聞かせていただきました。
当初は「アルバム全体を表現して欲しい」という依頼のもとで『バイバイでさよなら』と組み合わさったようなMVにしたかったそうなのですがそれができなかったということでした。
そこで、『WE ARE BORN』単体として制作し、その中で、生まれてから死んで、再び生まれるというMVにしたということでした。

生まれて様々な経験をして死んでいく。
そしてまた生まれてくる。その時は景色が変わって見える。
同じ経験をしているように見えて、最初の時とはまた違った見方ができる。
(シングル曲をアルバムを通して聴くと、発売当初とはまた別の意味に聴こえてきたはずです。アレンジも少し変えている気がしますがそこは音楽に詳しい方にお任せします)

『愛を継ぐもの』ではまさに人類創世から現在にいたるまでの愛の歴史が描かれています。
『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』では「嫌われ、言葉が届かないとしても愛を捧げる」というキリスト教的隣人愛を表現していましたが、『愛を継ぐもの』では悠久の愛について表現されています。
ももクロの大テーマが「愛」だと感じました。
『武陵桃源なかよし物語』では勝手にゼリー食べたことで仲が悪くなったことを「積み上げた石のタワーは一瞬で壊れる」と表現していたと思ったら、今度は人類の愛を語る際に「石のタワーは壊れても人が人としている限り何も壊れない」と表現するダイナミズムが素晴らしいです。

「イアラー!」という最期の言葉の謎はぜひ原作をお読みいただきたいと思います。
ですがお読みいただけるとアルバムに貫かれている愛が『イアラ』にも描かれていることがわかると思います。

何度でも生まれ変わり、成長を止めないももクロが伝承する「愛」に貫かれてみんなが笑顔のままひとつになる。
このアルバムが一曲一曲は全部バラバラなはずなのにすべてがつながっているように聞こえるのは「成長物語」と「愛」が根幹にあるからなんだと思います。


ももクロがさらに加速していく 【Documentary of "AMARANTHUS / 白金の夜明け"感想】 


「Documentary of "AMARANTHUS / 白金の夜明け"」先行上映会に当選させていただいたので鑑賞いたしました。

応募条件に「口が軽くてアルバムの良さを拡散してくれる人」とありましたのでブログにて今回のアルバムに対する底知れぬ期待と絶大なる信頼感、そしてますます売れてしまうことへのちょっぴり寂しい感じを書きたいと思います。
決して売れて欲しくないというわけではなく、急激に売れていくと寂しくなるもんじゃないですか、ファンなら。そうでもないですか?

今回はアルバムの特典映像のダイジェストということで、ももクロちゃんがアルバム製作の会議に参加する姿から、レコーディング風景、MV撮影やジャケット撮影の裏側、『WE ARE BORN』と『マホロバケーション』のMVフルバージョンなどが上映されました。

この記事はネタバレ無しでアルバムの魅力をお伝いしたいと思います。
「CDショップ大賞取って欲しい!いや取れるだろ!てかこれでCDショップ大賞取れなかったらセンス疑うぞマジで!」という気持ちで書きたいと思います。


■ 五者五様の彩り

れにちゃん推しの僕としては当然というか自動的にれにちゃんを目で追うわけですが、バラエティ番組や舞台裏などで見せるれにちゃんとは違う表情を見ることができ大変満足でした。
「おすましれにちゃん」、「引っ込み思案れにちゃん」という感じで、僕はこういう時のれにちゃんが大好きです。22歳の女性だと普通落ち着いてるように見られがちな佇まいなのですが、れにちゃんの場合は「ここにいてもいいのかなぁ」というような憂いを帯びた表情を浮かべています。この辺りが年齢不詳な雰囲気を強めているのでしょう。

僕は『劣化した社会にこそ魂が宿る ももいろクローバーZの可能性と不可逆性』という原稿に「ももいろクローバーZとは高城れにのことである」と書きました。
れにちゃんの発言からイベントが起こったりライブ演出が変わることが多々あるからです。
そして今回のアルバムも、れにちゃんの世界観が大きく影響していると感じました。

前から『高城れにと学ぶ仏教』という本を出して欲しいと願っていましたが、今回のアルバムはそれに近いものを感じます。
正直、死生観というコンセプトを聞いて、あまりの仰々しさに不安を覚えました。
ですがいざ先行上映を見てみたら杞憂であったことがわかりました。
『バトルアンドロマンス』は「ザ・ももクロ!」という感じで、『5TH DIMENSION』は「脱ももクロ!」という感じだったと思うのですが、3枚目4枚目は「すべてひっくるめてももクロでしかない」という感じです。


れにちゃん以外の4人も見せ場が多いというか、むしろれにちゃんが一番出演時間が短かった気がします。
夏菜子ちゃんはその場の雰囲気を明るくすることが使命だと感じているかのような振る舞いをしていました。
僕は時々夏菜子ちゃんから悲壮感を覚えます。「あの明るい夏菜子ちゃんがなぜ」とか言われますが、「楽しいから笑顔の人もいれば、笑顔でなければならないから笑顔にしている人もいる」と思うからです。
夏菜子ちゃんはサブリーダーが不在となり一番変化しなければならないと覚悟を決めたと思います。前に出るのを嫌がり芸能人の資質が無いとマネージャーに言われたエピソードは有名です。

そんな夏菜子ちゃんが場の雰囲気を変えようとしています。
もちろんこれは想像でしかなく、映像からは「雰囲気を変えてやろう」という気概は感じなく、あくまで自然にレコーディング中のみんなの笑顔が増えていく、という感じです。
ですがれにちゃんのはしゃがない感じを見てしまうと、何も変わらない態度の夏菜子ちゃんからは「明るくする使命感」を感じました。


しおりんはレコーディングに苦戦するところがあってぜひしおりん推しに見ていただきたいです!
なんでもこなせると思われがちなしおりんなので、失敗を繰り返すところを見せられるといつも以上に応援したくなります。
今回の先行上映では「これはしおりん曲」というのが無かったように思います。他の曲はそれぞれ個人の特色が表れる曲があったのですが。
スーパーサブとして見られることが多いですが、個人的にはやはり「100%解放しおりん」を早く見たいんですよね。
アイドル漫画論につなげると、しおりんって『スラムダンク』の仙道章だと思うんですよ。アシストに徹すると周りのプレーヤーを最大限に活かすことができるんだけど、点取りに行くと誰も止められない、みたいな。
早くしおりんには攻撃全開の姿を見せて欲しいです。


あーりんは魅力があふれ出ていました。
あーりん推しのみなさんに朗報です!あーりんは好きになる人の顔のストライクゾーンが広いそうです!性格重視!みんな性格を磨こう!
ヒャダイン曲レコーディングの時の二人のやり取りを見られて本当に嬉しかったです。
あと『サボテンとリボン』はあーりん曲だそうです。ちょっぴりセクシーでお茶目なところが詰まってると思います!

あーりんは精神的に一番大人だと感じました。
佇まいというか、自分の役割をしっかり見極めて周りに提供しているところとか応対が大人なんですよ。
あーりんが生と死、人生をどのように歌うのか大変楽しみです。


杏果ちゃん推しにとってこれは本当の意味でドキュメント映像になっています。
ぜひ多くの人に見ていただきたいです。
杏果ちゃんがどのような覚悟で歌に取り組んでいるのかが伝わってきます。
一人だけボイストレーナーが違うのも、杏果ちゃんの力量や目指しているところを鑑みてのことでしょう。
そしてこのトレーナーさんがとても信頼できる感じでした。歌に詳しくないのでわかりませんが、杏果ちゃん自身が指導に対して毎回納得したり成果に驚いているので、相性も良いのではないでしょうか。
物語が歌声に力強さを縫い付けます。
ぜひアルバムと一緒にこの映像も見てみてください。


このように5人それぞれまったく違う性格や歌声だからこそ描ける絵がありました。
そしてアルバム制作陣も全精力を出し切って取り組んでいるのがわかりました。
セカンドアルバムが苦手な僕は、宮本さんもういいよ、と思っていました。ですが今回の映像を見て宮本さんでなければできない仕事だと思いましたし、アルバムへの期待値がうなぎ登りです。見る前までは「がんばってよいしょしないと」って思っていましたが、そんなこと考える必要が無いくらい素晴らしい出来になると確信しております。
今は「勝手に売れるでしょ、これ、てか買わない奴センス無さすぎだろ」ぐらいに思ってます。
宮本さんごめんなさい!あなたはすごい!僕に言われたところでなんでもないでしょうけど。



■ 換骨奪胎

ドキュメント映像を見ていて思ったのが、「これは換骨奪胎がテーマなのではないか」ということです。
ももクロというベースはそのまま残し、いろいろなものを取り入れることでバージョンアップしていく。
『マホロバケーション』は『帰ってきたヨッパライ』を意識していると思いました。
多数の有名人に参加してもらっているのも、最初に書いたように「ザ・ももクロ」から「脱ももクロ」を経て「すべてひっくるめてももクロでしかない」というステージに至ったのかなと思います。
過去を敬い、自身を省みることでさらに成長する。
どこまでも成長していくももクロとマッチしたアルバムになっています。

『マホロバケーション』のMVは海外でも話題になりそうな気がしました。海外も意識して作っているのかなと。
和を取り入れたシーンがあったり、天国では金髪になったり、和室でヨガのシーンがあったりと、映像としても十分楽しめます。
そして何より5人がかわいいのです。これは物凄い武器ですね。
何度も繰り返し見たくなるMVです。もう一度じっくり見たいです。


気が早いですが記念すべき5枚目のアルバムはどうなってしまうんでしょうね。
5という数字がとても重要になってくる気がします。
5枚目の製作が素晴らしいものになるかどうかは今回のアルバムにかかっています。

買うことはもちろん大事ですが、聞いて感想をいっぱい発信するのもとても重要だと思います。
ただ「好き」とか「嫌い」じゃなく、「どのあたりが好きなのか」「どんなところが嫌いなのか」など、しっかり感想を発信して欲しいと思いました。
これはももクロの応援の仕方そのものに対しても常々思っていることなのですが、多面的に感想を重ねていくことでようやくももクロの素晴らしさの輪郭が見えてくると思っています。
いろんなジャンルの人がいろんな角度から見ることでよりすごさが伝わる。
今回のアルバムに対しても、いろんな感想が積み重なっていくことでものすごいうねりとなってブームの激流が生まれると思うんですよ。

僕の願いはCDショップ大賞を再び受賞することです。
店員さんに気持ちよく評価して欲しいです。
そのためにもファンが良い評価でも悪い評価でも、共に気持ちよく評価を発信していくことが大事かなと思います。
具体的に言うと「名盤!」とか「クソ盤!」と言うだけではなく、会話に発展しそうな物言いが大切かなと思います。
好き嫌いは個人の嗜好の問題なので他人が口を挟む隙があまりありません。
なぜ良いか、なぜ悪いかについては理由があるのでその理由に対して意見交換ができます。
意見交換のおかげでより良い点やより悪い点に気付けます。
相手の考えを変えてやろうという構えで意見交換をするのではなく、アルバムを深く味わうために意見交換をすることが大切だと思います。

みんなでいろんな評価を発信してみませんか?
ただ「良いから買おう」では買ってくれる人が広がらないと思います。
みなさんの「こんなに良い物のことを言わずにいられない」という熱量が周りの人を動かします。
ぜひいっぱい聞いていっぱい語り合っていきましょう!


ももクロの新アルバムへの期待 


ももクロのアルバムはCDショップ大賞を取れると思いますか?

ツイッターのアンケート機能を使ってたずねたんですけど、取れると取れないとで半々ぐらいです。
僕は取れないとヤバいと思ってるので是非とも取って欲しいです。
音楽に疎い僕ですが、『バトルアンドロマンス』はCDショップ大賞に選ばれて嬉しいし、マキシマムザホルモンの『予襲復讐』は名盤だと思います。

ハロプロと48Gはそれぞれつんく曲秋元康曲、というイメージがあると思います。
それゆえになかなかCDショップ大賞に選ばれにくいということがあるような気がします。
ももクロは正反対の道を歩んでいます。
いろいろな人達に助けられることにより、話題性がありももクロを知らない層にまで届けようとしていると思います。

ただこれは諸刃の剣でもあるでしょう。
統一感、ももクロ感がなくなり「ももクロが歌わなくてもいいじゃん」となりかねません。
そのために3rdアルバムと4thアルバムにはそれぞれコンセプトが設けられているようです。

短い歌入れの期間ではももクロらしさを最大限に引き出したものをCDに収められなかったかも知れません。
ライブを重ねることで完成させようとしているのかも知れませんが、CDの完成度だけを考えると製作期間が短かったのかも知れません。
もちろんこれは僕の勝手な想像でしかありませんが。

何が言いたいかと言うと、「絶対にCDショップ大賞を取って欲しい!」ということだけです。
ファンとしてできることは話題性を後押しすることぐらいです。
より多くの人に聞いてもらい、CDを買ってもらって、いろんな意見を言ってもらうしかないと思います。
僕に財力があればCDショップ大賞審査員を買収して全員に投票させるんですけどそんな財力無いですし、CDを大量に購入してばらまいたりしたいんですがそんな財力もありません。
そもそもCDばらまいても聞かれないと思うんですよね。自分でお金払って買ったものにこそ愛着がわきます。
それはいいとして。

個人的には堂本剛くんの参加が衝撃的でした。
もちろんヒャダインのアルバム4枚連続参加というのも大変嬉しいです。
そしてそして!僕の大好きなピアニストである三柴理さんが参加というのを知って叫びました!
オーケンの特撮とか筋肉少女帯に参加している三柴理さんのピアノが大好きなのでももクロちゃんに関わるというのが大変嬉しいです!
聞いたことの無い方はぜひ下の動画を見てみてください!




とにもかくにも、曲を聞かないことには何も始まりませんね。
早く聞いていっぱい感想をつぶやきたいです!


月刊TAKAHASHI12月号に参戦してきました 


基本遠征はしないというルールを設けている僕ですが、関東圏は良いだろうということで月刊TAKAHASHI12月号に応募したら見事当選!
デジタル整理券を取得したらBブロックとなかなか良さげな番号。

前日にはクイックジャパンのももクロ特集号をれにちゃんのとこだけ読んだらとても衝撃的なことをインタビューで答えていました。
これはお手紙を書かねば!と思いました。
クリスマスプレゼントはすでに用意してたのでお手紙を添えてライブ会場に設置されているプレゼントボックスに入れてしまおう、と決めました。
クリスマスまでまだまだ先だけどまぁいいでしょう。
スムーチに宅配するよりもれにちゃんに早く届きそうな気もしたし。
実際どうなんでしょうね。


さて、当日はももクロ仲間2人を誘って前橋まで電車で行きました。
4人掛けの座席で同席したおばあちゃまと談笑したり、みかんやクッキーをいただいたりと遠征気分が高まってきました。
いつもLVは一人で見てるんだけどこうやって一緒に行く仲間がいるって良いですね。
久しぶりに会って笑いながら遠征するって良いね。
ももクロちゃんのおかげだ。

何度か「ももクロはインフラになる」と書いてきました。
ももクロの名のもとにみんなが集まる。久しぶりにももクロを見に行く人たちも集まってまた前みたいにライブで熱く応援する。
ももクロがいればいつかきっと誰にでも再会できるし新しい出会いもあります。


高崎に着いてカツ丼屋で昼食。
有名なところのようで駅から離れているのに行列ができていて、しかも午後2時までしかやっていないそうです。
すごく安くて値段以上の味がしました。美味!

前橋からはバス会社の全面協力によりグリーンドームまで特別便が何本も出ていてあまり待たされずに済みました。
ももクロ運営側から何か申し出があったのかわかりませんが、とてもありがたいですね。

今回のライブはオールスタンディングで観客席は座れるとこがいっぱい空いていたのでバス会社のご家族とか近隣の方を無料で招待すれば良いのにって思いました。そういう噂が聞こえてこなかったのですが、もしすでに行っていたらすみません。


無事入場しプレゼントボックスにれにちゃんへのプレゼントを入れて当初の目的を果たしました。
いざBブロックに入ってみるとかなり前に行けました。
10回LVに応募して徳がたまっていたのでしょう。ありがたやありがたや。

スペースも割とあったしストレスなく楽しめました。
ガールズファクトリーで遠くにいるももクロを見た以来ですが、やはり近くで見ると最高です。
ももクロが一番強い!
れにちゃんがずっと反対側にいたのが残念でしたが、あーりんが正面に来たときはほんとかわいかったです。

杏果ちゃんはまだ本調子じゃないという印象を受けたのと、あとイヤモニも不具合があったような気がします。音が少し遅れていたような気がしました。

れにちゃんからレス(というか視線を移す途中にたまたま僕がいた)をもらったし!
なんだかんだ言って楽しいのが一番良いですね!

ただこんだけ近いのにアンコールしない人いるんだ、と思った。
また出て来て欲しくないんだ、って。
でも帰らないんだ、って。
アンコールしようぜ!楽しいよ!


あとももクリの日に配信される『今宵、ライブの下で』は、ももクリ2010で限定発売された『きみゆき』へのアンサーソングになっているそうです。
5年越しに発表されるアンサーはどんなものなんでしょう。
『きみゆき』はあかりんに対しての曲だと考察した方がいらっしゃいますが、そう考えると今回発表されるのはとても意味がありそうな気がします。

会場ではBGMが流れていたのですが、とても素敵なメロディでした。
早く歌が入ったものを聞きたいです。


それとれにちゃんソロコン情報なども発表され、なんとれにちゃんのソロ曲が配信されるそうです!
ももクロにとってソロ曲はありましたが、高城れに単体として発売されるのは初めてですよね。
サンキューの意味を込めて39円(でも実際は39円では発売できないそうなので値段が変わりそう)です!
3939円でも買うよれにちゃん!
タイトルは『寄り目のくまさん』(漢字、ひらがな表記など不明)。使ってるポーチ(?)のクマが寄り目でかわいいからつけたそうです。

『入口のない出口』というタイトルをつけたり、ほんとれんちゃんがももクロを動かしてますね。


あとライブ後のLV用映像配信中に印象に残ったシーンがあります。
あーりんをおんぶしようとしたけどできないれにちゃんは、あーりんが重いからできないと勘違いされてしまい、そのあとトーク中にあーりんに密着しようとしてました。
そこであーりんが「さっき私のこと重いって言ったの申し訳ないと思ってるからベタベタしてきてるんでしょ」みたいなことを指摘してました。
「えー違うもん、私が言ったんじゃないもん」とふにゃふにゃしてるれにちゃんがかわいかったです。
それを察してるあーりんも、そういう関係性が見えるのが良かったです。



ライブ後に来たメンバーで合流して帰りました。
それぞれ整理番号は違いましたがみんな満足していました。
新宿に着くとやはり落ち着きますね。
日高屋でご飯食べながら乾杯し、語らいました。

人を動かし、人に語らせ、感情を揺らがせるももクロってやっぱりすごいですね。
ももクロがいなければありえなかった出会いに改めて感謝しました。

早くアルバム聴きたいですね!

夏菜子ちゃんが「新しいアルバムが出たらそれ以降のライブはアルバム曲が中心になるから、今ある曲達でライブできるのはももクリまでだから大事にしたい」という主旨のことを言っていました。
夏菜子ちゃんにとって曲って仲間みたいな感覚なんだろうな、と思った。
来年も目が離せませんね。





ももクロはなぜ紅白を卒業しなければならなかったのか 


2015年紅白歌合戦の出場者発表のあとももクロの公式サイトに「紅白卒業」の発表がなされました。
以下引用です。


モノノフのみなさんいつも応援ありがとうございます。

ももいろクローバーZは紅白歌合戦を卒業します。

ありがとうございました。

冬の軽井沢、5大ドームツアー、そしてその先も

私たちは私たちのやり方で、みなさんと一緒に「私たちの道」を歩き続けます。

ど真ん中しか歩きません。


週末ヒロインももいろクローバーZ

参照ページ公式サイト内「モノノフのみなさんへ」


うまく考えがまとまりませんが思ったことを書きます。
僕はれにちゃんがブログで書いてくれた「みんなもももクロの一員でしょ?一緒に新しいもの作り上げて、進んで、辛い時も、楽しい時も同じ時を過ごしてきたし、これからも過ごすんだもん!」という言葉があったからこそここまで共に歩んでこられたと思っていますし、れにちゃんを推してきてとても幸せ者だと思っています。ファンのことをとても大切に考えてくれるれにちゃんに頭が下がります。

ですので「紅白卒業」というのはどうしてもメンバーからの言葉だとは思えないのです。
ももクロメンバーが利他的であるのに対し、運営スタッフは利己的な振る舞いをしているように思えてならないのです。

「予想を裏切り期待を裏切らない」というももクロのスタイルが、ここ最近は「予想を裏切るために期待も裏切ってしまう」ということが増えてきたように思えるのです。

紅白歌合戦はももいろクローバー結成当初から目標として掲げられてきた場所であり、様々な場所で語られてきました。
早見あかり脱退の日、壇上で交わされた約束は見る者すべての心に焼き付いていますし、『ももクロ大冒険』では冒険をしながら紅白神殿を目指すという内容でした。
紅白初出場が決まった時にはわざわざ落選どっきりを仕掛けるほどでした。
まさにファンとともに歩んできた紅白への道です。
それをあっさり卒業宣言です。多くのファンが置いてけぼりを感じています。
ももクロの一員だと信じてきたのに、紅白卒業という言葉にももクロらしさを感じられません。
とても大事な場所だったはずの紅白歌合戦。選出してもらうために大変な苦労をしてきたメンバーと運営スタッフ。それを卒業すると一方的に宣言したのです。

「卒業」ということはもう紅白歌合戦に出ないのではないか、という憶測も当然のことだと思います。
早見あかりとともに同じ紅白歌合戦の場に立つことを夢見ていたのではなかったのでしょうか。

そして昨年は杏果ちゃんが出られなかったということもあり、2015年こそは5人で最後まで出演するという決意表明も見られました。

「それなのになぜ」という思いを抱くファンが大勢いると思います。


■ 紅白卒業?紅白落選?

今年の紅白は出られないかも知れないな、と漠然と感じていましたし、もし出られなくてもそこから這い上がる泥臭さこそがももクロだとも思っていましたので、紅白に出られないことに対してはそれほど危惧していませんでした。

それよりも危惧は「運営」と「ファン」にありました。
あえて人が集まりにくい場所でライブを開催するのはきっと先々の会場を抑えてこなかったからではないでしょうか。
2014年、2015年にアルバムを出さずに2016年に2枚同時にアルバムを出すのも、ドームツアーの会場が抑えられたからこれまでの分を一気に2016年に出す、ということなのかも知れません。
最初から「2016年はアルバム2枚同時に出してドームツアーをやることに決めていた」とはなかなか思いにくいのです。

ドームツアーの日程に向けて歌唱力向上のレッスンや歌番組出演という布石を打ったのではないでしょうか。
2015年は演技方面も強化すると思っていただけに『幕が上がる』以降何も無かったのがとても残念でしたが、ドームツアーありきのスケジューリングだと思うと理解しやすいです。
2015年までは会場が抑えられなかった分、予想外な場所選びで乗り切り、2016年以降からは先々の会場を抑えられているので、そこに向けてプロモーションを展開していく。
そう考えるとライブビューイングを減らすという宣言にもつながってきます。
会場が埋まらないと先々の会場の予約が無謀な壁となってしまいます。2016年、2017年のももいろクリスマスぐらいまでは会場を決めてるのではないかと思われますが、もし動員数が縮小傾向にあったとしたら赤字だけではなく大きな損失を被ってしまいます。
もし仮に5万人収容できる会場に5,000人しか入らなかったらどうでしょう。
チケット売上のマイナス分以上に、ネームバリューに大きな傷がつきます。

これはへんぴな場所で開催することで不名誉な傷を回避できるのは現状の運営方針を見れば明らかでしょう。
集まりにくい場所で開催することで収容人数が少なくなり熱心なファンで埋め尽くされます。

ライブビューイングを減らしライブに行く人を増やす。そして予想が立たない先々の会場に動員しようとする。
そのような方針なのではないかと考えられます。


もうひとつの危惧である「ファン」についてですが、こちらはとても単純です。
みなさんは最近周りにももクロを勧めましたか?ライブ映像を貸したりCDを貸したりしたでしょうか。
カラオケで歌ったりももクロについて語らう飲み会を開催したり参加したりしたでしょうか。

僕個人は全然してきませんでした。
『アイドル感染拡大』というアイドル評論本にももクロのすごさというかれにちゃんのすごさを書きまくり、そしてこの本が大量に売れ残ってしまったことで金銭面で余裕が無くなってしまったのでそれどころじゃありませんでした。
それにももクロほどの知名度があればわざわざ宣伝する必要もないだろう、と安心し切っていたのもあります。



ライブ会場を抑えず雪山でももいろクリスマス2015を開催する運営も、ファン拡大を推進しないファンも、どちらもももクロの成長スピードについていけてなかったんだと思っています。

だから今年の紅白は出られないかもなと思っていました。

そして今これを書いている時点で川上さんのツイートがありました。やはり落選だったようです。
48グループの足元にも及ばないCD売上枚数なのですから当たり前です。


じゃあなぜ「紅白卒業」などと発表したのか。


■ 卒業じゃなく落選と言って欲しかった

これまで書いた通り、ももクロが紅白に出られなかったのはももクロの一員でもある我々の責任です。
なのに運営は「紅白を卒業する」という言い方をしてしまったので、我々は免責されてしまったのです。

ファンは置いてけぼりになり、運営は、「もう紅白にこだわらない、卒業する」と見限ってしまいました。
またみんなで紅白を目指そう!という一致団結は見込めず、「なんで卒業って言うんだよ!」というファンと「やっぱももクロはライブだろ、ライブ見たいんだろみんなは」という運営の思惑が交錯していきます。

「選ばなかった紅白に後悔させてやる!」ってのが大人のプロレスなのではかったのでしょうか。
選ばれなかったから紅白を卒業してライブだけやります、というのは様々な人々に悪い印象を与えかねないと思います。
カウントダウンライブなんて紅白出場後にだってできるじゃないですか。紅白に出場する嵐やSMAPがいるのに、その場から卒業するということは、もう嵐やSMAPは追うべき対象ではなく、「ももいろクローバーZ」として新しい存在に生まれ変わるということなのでしょうか。


多くの方が指摘しているように、「落選しました。来年出られるように気を引き締めてがんばります」というど真ん中じゃダメだったんでしょうか。
「他のアイドル、アーティストとは違うことをやらなければももクロじゃない」という呪縛から逃れられなくなっている気がします。
僕は「ももクロはももクロだからこそももクロである」と思っています。
その行動が、その言葉が、その笑顔こそがももクロであり、何をしようがしまいがももクロから外れることはないと思っています。

運営スタッフのみなさんは本当にももクロちゃんのことを信じていますか?本当に大好きなんでしょうか。
本当に大好きで信じているのだとしたら「紅白を卒業します」という表現にはならないはずです。
受けた恩はいつか必ず返すのがももクロじゃないですか。
ようやく認めてもらい出場させていただいた紅白に対して、落選したから卒業します、などと言うはずがないんですよ、ももクロは。
でも運営の方針に則って卒業すると宣言してしまいました。


最後に。
ももクロが紅白初出場を決めた時の動画は多くの人々の心に今でも残っていると思います。
本当に本気でがんばってきた人たちだからこそ流せる涙がそこにはありました。

ももクロが初めて紅白連続出場が途絶える時の動画も同じく人々の心に残るはずなんです。
なぜそれを公開しないのでしょうか。
ももクロの一員である我々もももクロちゃんと一緒に悔しがりたかったんです。
人目もはばからず泣き崩れるれにちゃんがいて、誰よりも責任を感じ押しつぶされそうになりながら泣く夏菜子ちゃんがいて、その夏菜子ちゃんを支えてこれなかったんだと自覚するしおりんがいて、冷静になろうとしつつもライブ演出がもっと盛り上げられてたら結果が違ったんじゃないかと悔やむあーりんがいて、自分のパフォーマンスがまだまだ未熟なせいだと責任を背負い込む杏果ちゃんがいて。
その5人を見てこの子たちのために何もしてこれなかったんだとようやく気付く我々がいて。
それで逆境に立ち向かっていく。
こんなど真ん中の道を望んでいたのです。

蹴落とされても、石をかじり、砂をつかんで立ち上がる。
かっこ悪くて良いじゃないですか。
かっこよくないのにとてつもなくかっこいいのがももクロなんです。
ももクロを応援することがダサいという風潮が強まったとしても、だからなんだって言ってやる。
ダセェしかっこ悪いけどスゲェしめちゃくちゃ強ぇんだよももクロは!!


『大人はわかってくれない』の雨から『スーパーヒーロー』の雨上がりへ 


私立恵比寿中学の最新曲『スーパーヒーロー』のMVを見ていたら知らないうちに涙ぐんでいました。
僕は『大人はわかってくれない』のMVが大好きで、『アイドル感染拡大』というアイドル評論誌にこのMVについての論考を寄稿しました。
『スーパーヒーロー』には『大人はわかってくれない』と共通する部分があるように思えました。だから涙ぐんでしまったのでしょう。
キーワードは「孤独であるというつながり」と「成長」です。


『スーパーヒーロー』と『大人はわかってくれない』に共通する点はみんなそれぞれバラバラだ、ということです。
『大人はわかってくれない』ではみんなバラバラの制服を着ていて目を合わすこともありません。大雨の中ほふく前進するかのように、誰もわかってくれないつらい毎日を突き進んでいるという点が一致しています。

『スーパーヒーロー』に登場する少女たちはそれぞれ別々に活動しており、ストリートミュージシャンもいれば役者を目指している子もいれば学生もいます。学生の中でも、部活動に励む子や試験勉強に励む子、友達に合わせるようにカラオケではしゃぐフリをする子など、いろんな子がいます。
共通するのは誰にも見えない色違いのマントを背中に背負ったスーパーヒーローであるという点です。
マントを背負っていますが使い方がわからない彼女たちは当然空が飛べるわけでも悪者を倒せるわけでもなく、むしろマントがあるせいで孤独の色を強めてしまうのです。他の人とは違うはずなのに何もできないことがより孤独を深めます。

ある時少女は自分と同じようにマントを背負った少女と出会います。
初めて会ったのに同志であると理解し合えるマント。このマントが象徴するものは人によって様々でしょう。ある人は好きなロック歌手で理解し合うのでしょうし、ある人は好きなジャンプキャラの言動で同志だと悟るのでしょう。誰かに親切にしているところを見て仲間だと感じることだってあるでしょうし、自分自身に対する意味不明さによっても共感し合えるでしょう。
そしてこのMVに出てくる少女たちは紛れもなく私立恵比寿中学というマントを背負っているのです。
この8人じゃなくても良かったはずなのに、なぜかこの8人であるという奇跡こそがマントの正体です。

そしてこのMVでは画面の右から左の方向に向かって走るシーンが所々見られます。
『大人はわかってくれない』では右から左に向かって、殴りつけるような雨の中、銃を抱えほふく前進していました。その時はみんなそれぞれ別々で、仲間同士ではなくただ「大人はわかってくれないものなんだ」というあきらめのみが共通していました。

屋上にたどり着いた8人は陽の光に祝福されます。
そして地面は雨上がりのように濡れており、MV中は雨が降っている描写が無いことから、おそらくこの雨は『大人はわかってくれない』で降っていた雨なんだと思います。
「大人は絶対にわたしたちのことをわかってくれない」というあきらめでつながっていた少女たちが成長し、大人に近づくにつれ「大人はもう笑わないのかな?」という疑問に対する答えを自らの身体で獲得したのです。マントを背負った仲間たちの弾けるような笑顔によって。
だから『大人はわかってくれない』で延々と降り続いていた雨の日常に対し、『スーパーヒーロー』では一切雨が降らないのです。
彼女たちはマントを背負っています。一人では何をしていいのかわからなくても、同志が集まることで笑顔で駆け抜けることができる。


ぜひ『大人はわかってくれない』と『スーパーヒーロー』をセットでご覧いただきたいです。
少しずつ成長していく私立恵比寿中学の輝きを感じ取ることができるでしょう。








追伸
個人的に猛烈にアピールしたいのがカラオケから出てきたりななんがぽーちゃんと出会えたことで見せた泣き笑いの表情です!あの表情だけで「ここではない感覚、わたしではない感覚」が一気に払拭されたことが鮮やかに描かれています。
みなさんも自分だけの「グッと」ポイントを探しましょう!



22歳の高城れにさんへ 

高城さん、22歳のお誕生日おめでとうございます。

れにちゃん推しになってからもうすぐ4年が経ちます。
その頃かられにちゃんは何も変わらず、そして変わったところは急激に変わっていって、推していて大変有意義な時間を過ごさせていただいてます。
れにちゃんを推す前の自分がうまく思い出せないのは、れにちゃんがこの人生に輝きを与えてくれたからだと思います。
本当にありがとう。

れにちゃんはいつも過剰なくらいがんばっていて、しかも自分よりも周囲の人やファンのことを思いやっていて、そのパワーが一体どこから出てくるのか不思議です。
きっとれにちゃんのことですから「みんなから受け取ったものをお返ししているだけ」と言うのでしょう。でもファンからすれば、れにちゃんから受け取ったものが大き過ぎて、お返しし続けても全然返し切れません。
利子がふくらみすぎて返済が追いつかない闇金のようです。例えが悪過ぎますが。


ソロコンではれにちゃんの感謝の気持ちがたくさんつまったイベントで、れにちゃんにこれまでの感謝の気持ちを伝えるつもりでしたが莫大な恩恵を授かることになりました。

「瞳を閉じればあなたがまぶたの裏にいることでどれほど強くなれたでしょう」

れにちゃん推しみんなが想っていることを歌として届けてくれましたね。そして想いがひとつであるということがとてもとても嬉しかったです。

その人の周りにどんな人が集まっているかを観察すればその人の人柄が見えてくる。れにちゃんの周りにいる人達の素晴らしさが、れにちゃん自身の素晴らしさを物語っています。
周りの人達を幸せにしていくれにちゃんは、とても大切なことを多くの人に伝えていると思います。


映画と舞台の『幕が上がる』ではガルルという女の子を見事に演じてくれました。
れにちゃんのおかげで見た人全員がガルルのことを好きになったし、舞台の最終日ではもうガルルに会えないんだという悲しみをみんなに教えてくれましたね。
れにちゃんとガルルがはなればなれになってしまう瞬間はとても残念な気持ちになったけど、やっぱりれにちゃんがガルルを離れ再び僕たちの前に出現した時は「れにちゃんが戻ってきた」と嬉しい気持ちになったし、ガルルという女の子をとても深く愛していたことがれにちゃんの表情から伝わってきてそのこともとても嬉しかったです。

「西条美紀役のがるるです。あれ?なんだっけ?なんだっけ?」と泣きながらつぶやく姿は、役を越えてガルルという存在を生み出していたのだと感じたし、泣き方が2011年の春の一大事のDVDで見た時と何も変わっていなくって、とても愛おしくなったし、大切な人とのお別れはいつだってつらいものだな、と寂しくなりました。

またガルルに会いたいけど、れにちゃんが別の誰かを演じて僕たちにまた愛すべき存在を見せてくれたら嬉しいです。
心配なことと言えば、もし嫌われ者役を演じたとしてもその人物すら推してしまい作品の設定を台無しにしてしまうことでしょうか(笑)。
本気で視聴者から嫌われる役と、誰からも好かれる役と、いろんな演技が見てみたいです。
れにちゃんは絶対にとんでもない女優になります。今からとても楽しみです。


れにちゃんを推していると、様々な場面で自分の行動基準が正義に基づいてるような気がして大変心強いです。
光の道を指し示してくれるれにちゃんはやはり僕のスーパーヒロインです。
あなたが存在しているというだけでこの世界は大正解だと断言できます。

ますます膨れ上がるあなたへの恩返しは、形や量を変えてれにちゃんを含むこの世界に還元していきます。
れにちゃんがいるからこそ世界に笑顔があふれている、そんな未来を目指して。


お誕生日のお祝いとしてこの宣言を捧げます



細部の作り込みから宇宙を体感させる 【舞台『幕が上がる』の感想】 



舞台『幕が上がる』を鑑賞しました。
以下、小説版・映画版・舞台版の内容について触れますので了承の上お進みください。
(参照記事:映画と小説の感想はこちら


 ■ 演じていると思わせない

映画から入り小説を読み、そしてついに舞台『幕が上がる』を見た感想をひとことで言えばそれは「演じないことの難しさ」です。
舞台の経験が無いので体感でしかありませんが、物凄い練習量だったのではないでしょうか。よくテレビドラマなどを見ていて「これは演技だな」と感じることが多いです。というよりも、演技をしているということが当たり前過ぎてわざわざ「あ、今演技っぽい」などと指摘しません。
(と言いつつも、つい先日朝の連続テレビ小説『まれ』にて主人公のまれが酔った男に唇を奪われるシーンがありましたが、それに異を唱えずにいられませんでした。普通顔に何か近づいてきたら避けるでしょう。しかもそれが見知らぬ酔っ払いですよ。頭押さえつけられてたわけじゃないし、目を閉じてたわけでもないんですからいくらでも避けられました。まれは酔っ払いが唇を奪いに来ているにも関わらずキスされるまで待ち、その後突き飛ばしていました)

ドラマや映画を見る側の構えとして、映像に映っている人達は初めから演技をしていると理解しながら鑑賞しています。
そうじゃなかったら、刑事ドラマとかとてもじゃないけど見てられませんからね。人が死んだり犯罪が起こったらもうテレビの前で大騒ぎですよ。
見る方も演技だとわかってるし、演じる方も演技だと思われていることを踏まえた上でストーリーを進めています。


 ■ やわらかい身体

舞台というのはその境界線が曖昧になる瞬間があります。
そのひとつがアドリブです。見ている方は目の前で起こったライブ感に「演技している人たちを鑑賞する」という前提が揺らぎます。なので「今のは演技じゃなくアドリブだ」という感想を抱きがちです。

舞台版『幕が上がる』はとても不思議な感覚に包まれます。それは平田オリザさんの舞台で行われる「0場」があるからです。
開演時間の前からすでに舞台上に役者が立ち日常空間を過ごしている。
そうすることで観客は日常から別の日常(つまり物語の空間)にシフトさせられます。
僕が鑑賞した5月20日は、パンフレット購入を終えて劇場に入った時にはすでにがるる(高城れに)が舞台上にいて机に向かって何か書いてました。そして僕が座席に着いたころにはもう教室を出て行くところでした。

これがライブであれば近くに見えるれにちゃんに発狂していたことでしょうけど、そこにいたのは部活前の女子高生であり、我々観客はその場に居るはずが無い存在(空気?教室の壁?)として機能させられます。

劇作家の宮沢章夫さんもよく書かれていましたが、硬い身体とやわらかい身体があり、身構えたりせずにやわらかい身体で表現することの必要性と難しさを説いています。
平田オリザさんのワークショップを見てもわかるように(例えば「負荷をかける」という修練)役者はやわらかい身体であることを良しとしています。「0場」は観客にもそれを強いるシステムとして機能しています。それがライブでの高揚(例えばOvertureなど)の仕掛けとは正反対の「やわらかい身体での鑑賞」の仕掛けです。


 ■ 言葉を超えて肉体で伝える

舞台上では、細かいところで心情をうかがい知ることができます。
例えば冒頭のシーンでは、演劇部の後輩たちが高橋さおり(百田夏菜子)部長の作った台本をとても愛していることがわかるし、セリフを言う役を次々と変えていく練習風景を見れば、地区大会を勝ち上がっていく実力を持つ部であることが伝わってきます。

僕が特にすごいと感じたのはユッコを演じたしおりんとがるるを演じたれにちゃんです。

ユッコはまず後輩達の態度でエースであることがわかります。がるるに対してはみんな気軽に接してくるのに対し、ユッコには馴れ馴れしく近づく後輩はいません。
そして『銀河鉄道の夜』を練習している時とそれ以外とでは、ユッコの座り方が違います。ジョバンニを演じている時は男の子に見え、それ以外は女の子に見える。これは当然なのですが、後輩たちは『銀河鉄道の夜』の時でも座り方が女の子に見えるのです。
つまりこれだけで高橋さおり(百田夏菜子)作・演出の『銀河鉄道の夜』はまだまだ3年生に比重が置かれており、後輩達は必死に引き継がせてもらおうとしているのが伝わってきます。
(疑問が浮かびました。明美ちゃん(佐々木彩夏)が1年生の高田(伊藤沙莉)に対し、他の人のセリフを覚えてそらんじている事に対して「怒られるよ」と笑いながらたしなめていたのですが、セリフ回しの練習ではむしろ全部の役のセリフを覚えていることが前提となった練習をしています。なぜ高田は注意されたんだろう)

しおりんのすごいところは、しおりんよりもユッコの方が歌が下手だということです。
カラオケのシーンでユッコはザ・フォーク・クルセダースの『悲しくてやりきれない』を歌うのですが、明らかにしおりんよりも下手です。安定しておらずおぼつかない歌い方です。実際に演じてみればわかりますが「下手な歌い方をする演技」というのは難しい。「わざと下手に歌ってる感じ」が出てしまうからです。ですがしおりんの場合はユッコが元々歌が上手ではないようにしか思えない演技を見せます。しおりんの歌声を知っているからこそ下手に歌っていると気付けますが、しおりんの歌声を聞いたことが無い人が見たら、下手に歌っている演技だとは気付かないでしょう。
きっとユッコは『悲しくてやりきれない』を初めてカラオケで歌ったのでしょう。おそらく聞いたことはあったけど歌詞内容からカラオケでみんなの前で歌うような曲ではないと判断したのでしょう。それでもあの場で歌わずにいられなかったのだと思います。
中西さんのことが好きになり始めてきたけど、中西さんに成り代わることなどできない。中西さんの悲しみを代弁するなどというおこがましいことも、女子高生の多感さもあって嫌がることでしょう。
ユッコは中西さんに対して何もしてあげられない事を自覚しているからこそ悲しんでいます。
演出家の在り方と友人としてつらいセリフを吐かせる自分に負い目を感じる高橋さおりがいて、過剰なまでに周りの機微に敏感ながるるがいて、自分だけが生き残ってしまったと感じる中西さんがいて、悲しみを受け入れつつも「悲しくてやりきれない」と訴えずにはいられないユッコがいる。
つたなくたどたどしく歌うユッコの姿を見て没入してしまうのは、そうした背景が錯綜しているからでしょう。


『銀河鉄道の夜』ではエースとして憧れられるが、普段は話しかけづらい印象を後輩に与えがちであるということが、「がるるが歌えって言ったんじゃん」と会話の流れを無視して曲を入れる事からもうかがい知ることができます。

小説版でもユッコはお姫様であり他人を気遣うというよりはちやほやされるのを求める女子高生であると高橋さおりは評しています。
それでも愛されるのは『悲しくてやりきれない』という曲を選んだ部分に現れているでしょう。
(中西さんについては後述)


 ■ がるるが母子家庭で育った女の子であるということ

僕自身少年期から母子家庭で育ったということもあり、がるるの振る舞いは涙を引きずり出される感覚でした。
さらにれにちゃん推しでもあるので、がるるのなんでもないように見える立ち姿から奥深くまで共感できるような錯覚に陥り、感動的な場面でもないのに落涙しました。

作中がるるは、「自分は3年生部員のキャラがかぶらないように今のがるるキャラを演じているだけだ、本当は美人キャラなんだ」ということをおもしろおかしく後輩達に宣言し、変な空気にしています。
もちろん観客も笑っていたのですが、僕は胸が締め付けられるような想いでした。
がるるとれにちゃんはとても似ているな、とも思ったのです。
れにちゃんはインタビューなどでがるると自分は違う女の子だ、という主旨のことを言っており、僕もそう感じていました。ですがここはとても似ていると感じました。

ももいろクローバーZとなり、さらに自己犠牲の場面が増えたように感じるれにちゃん。自分が損を取ることで誰かの得になればいいと考えているのは、このがるるの「ほかの人がやらない役回りを演じる」という部分にも通底しています。
例えば高橋さおりと演劇部を何度もつなぎとめるために「さおり」と呼びかけ続けたり。

演劇部を見てくれていた吉岡先生がみんなに感化され学校を辞めて女優の道を再び歩むと決めました。その後の練習風景から舞台版『幕が上がる』は始まるのですが、部長の高橋さおりはすべてを背負い込むかのように厳しく演出の指導をします。
それをたしなめるのはがるるの役目です。
高橋さおりを気遣って「さおり」と包み込むように言う場面や、後輩部員たちをかばうために「さおり」と強く言う場面もあります。そしてその「さおり」という声のかけ方だけでその空間の調和が取れるという信頼関係の深さがうかがい知れます。

母子家庭で育った子は親の夫婦喧嘩に居合わせている事が多く、特に幼少期の場合は「自分のせいで両親が喧嘩しているんだ」と思い込む傾向にあるそうです。そのため過剰なまでに他人の顔色を気にする人物に育ってしまいます。
がるるはまさにその悲しい特性を活かして部員たちに接しています。それは稽古場に来て後輩に接する態度を見ればわかります。ユッコとがるるとでは後輩達の緊張感が違います。
ユッコでは高田を固まるほど大爆笑させられないのです。

がるるが一番激昴する場面があります。
それは演出家として高橋さおりが中西さんにあることを質問するカラオケでの場面です。
おじいちゃんの介護をするため介護士を目指している彼女はきっと死に対して敏感なのでしょう。
高橋さおりが中西さんの喪失感に触れようとした時に怒鳴りつけました。
れにちゃんとがるるの大きな違いが現れたシーンではないでしょうか。
れにちゃんだったら高橋さおりに食って掛かるようなことはなく、きっと中西さんの隣にいてぎゅっと手を握るんじゃないでしょうか。


 ■ 中西さんの設定の追加について

鑑賞後思考がぐるんぐるん回ってしまい、会おうと思っていた方とは連絡も取らずにとにかく帰路につきたくなってしまいました。帰りながらその方にはツイッターで謝りましたが、その方も同じように誰とも会いたくないような感覚に陥っていたようでした。
誰かの意見に流されたくないと言えば語弊がありますが、まずは自分の中に発生した感情に手綱を装着させることを優先したくなってしまったのです。
早く手綱をつけないと心の中を暴れまわってしまいます。

なぜ心の中を言葉にできない感情が暴れまくっているのか。それは舞台版が「震災もの」に修正されているからです。

小説版や映画版とは違い、舞台版では中西さんは中学時代岩手にいて被災していたという設定になっています。
前の高校で声が出なくなり演劇部を辞めたというのが震災に影響しており、『銀河鉄道の夜』でもカンパネルラが川で溺れて死んでいるという設定により再びセリフが言えなくなってしまったのではないか、と推察するストーリー展開になります。

映画版では部員たちが高校演劇を鑑賞するシーンがあり、その中に『もしイタ ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら』も演じられているのですが、この作品は3.11の震災がテーマとなっており、転校してきた男の子は部員や親を津波で失っている設定です。
中西さんもこの作品を見たのですが、被災者であり高校演劇強豪校のエースでもあった彼女がこの作品を見て、さらにカンパネルラの川に溺れるという設定から声が出なくなったのかも知れません。

中西さんの告白、高橋さおりの問い詰めているように見えてしまう質問、そしてそれを制止するがるる。
そこでユッコは突然『悲しくてやりきれない』を歌い始めます。
この曲の歌詞を読みましたがまさにタイトル通りの内容でした。

悲しみというのは自分の力ではどうにもならない状況を指します。成す術が無く静かに絶望している様が「悲しみ」です。
多くの中学生が津波で死んでしまったのになぜか生き残ってしまったと悲しんでいる中西さん。
彼女だからこそ前の高校の演劇で「世界はどうしてこんなに不公平なの!」と咆哮し、だからこそ悲しみの果てに言葉を失ったのでしょう。


 ■ 子供から大人になる速度と稽古場から銀河へ飛び立つ速度は同じ

高橋さおりは吉岡先生の突然の退職により演出家として半身をもぎ取られた感覚だったのではないでしょうか。それゆえ埋め合わせるために過剰に厳しくなったり周りの心情を想い図ることができなくなったりし、そのことを悔やんだりします。

カンパネルラの死を35分で受け入れたカンパネルラの父の気持ちがわからないとがるるは言います。それが大人になるということなんじゃないかなと高橋さおりは答えます。
友達の死を受け入れるのは宇宙を一周するぐらいの時間が必要でしょ?と中西さんは問いかけます。宇宙を一周することなどできない我々はつまり死を受け入れることなどできず、それゆえ中西さんは声が出なくなったと前述しました。

子供と大人の違いは宇宙のようにはなればなれで、宇宙のようにひとつです。
稽古場を見ていた我々は、いつしか星々がきらめく宇宙へと導かれていました。
部室、屋上、カラオケなど日常的なアイテムであふれていた舞台上が一瞬にして宇宙という非日常空間になったのです。
すべてはひとつでありはなればなれではないのです。

カンパネルラと旅をした銀河ステーションで見つけたくるみを夢からさめたのに持っていることも、それが死んでしまったカンパネルラとの交信の道具となるのも、カンパネルラの父が息子の死を嘆きつつ親友を失ったジョバンニを気遣うのも、すべてひとつです。

「私たちは舞台の上でならどこまでもいける。でも宇宙の果てには到達できない」のか。それとも「宇宙の果てには到達できない。それでも私たちは舞台の上でならどこまでもいける」のか。
『幕が上がる』の小説、映画、そして舞台を体感すればそれが理解できます。
宇宙の果てに到達できない「悲しみ」に嘆く子供から、宇宙の果てに到達できない「悲しみ」を受け入れ「みんな」とならどこまでもいけると気付く大人へ。


 ■ 最後に

ももクロがこの世界を刷新すると信じてきましたが、この作品を見てさらに強い確信になりました。
明美ちゃんについて今回触れませんでしたが、後ろの席だったのでよく見えなかったせいです(笑)。

とても素晴らしい作品に出会えたももクロちゃんの幸運と、その幸運を力づくで引き寄せてきたこれまでの努力、そしてももクロちゃんの人柄に多大なる感謝と最大限の賞賛を送ります。
本当にありがとうございます。



『「Z」の誓い』は誰のための歌なのか 【時空を離れた孤独な戦士へ向けて】 



『ドラゴンボールZ 復活の「F」』を鑑賞しました。
この映画に対して言いたいことはいっぱいあるんですけど、それは置いておくとして、エンディングテーマがももクロの新曲『「Z」の誓い』で、しかも歌詞付きでフルバージョンでした。
歌詞を読んでいるとドラゴンボールのあるキャラクターが頭に浮かびました。
それは本作には登場しないキャラクター(厳密には回想シーンのみ登場)です。

以下「復活のF」の軽いネタバレも含むので了承の上お読みくださいませ。



■ 誰が歌っているのか

以前この曲についてももクロの「Z3部作だ」と興奮気味に書きました。

参照:誓いを立てる覚悟はできたか 【Z3部作に描かれる戦いの歴史について】


今回アニメを見てからこの曲を歌詞と照らし合わせて聞くと、本作に登場しないキャラクターのための曲なのではないか、との思いが湧き上がってきました。

それはトランクスです。

彼はとても哲学的な存在です。未来から来たトランクスがいることで『ドラゴンボール』の世界はとても深みが増しています。

悟空が心臓病で死亡した世界。そしてその後人造人間17号18号がトランクスの父ベジータやピッコロ、クリリンなどを殺害した世界。
悟飯に弟子入りしたトランクスはその悟飯すらも殺されてしまいます。
それがきっかけでスーパーサイヤ人になったトランクス。でもまだ人造人間には敵いません。

過去に戻り孫悟空に心臓病の薬を渡します。それがきっかけで過去が改変されてしまいました。セルが誕生するもZ戦士の活躍により倒すことができ、トランクスは未来に戻ります。
しかしその未来というのは、歴史の改変の影響を一切受けないそうなのです。つまりトランクスはそのまま悟飯や父親を死なせた世界を生きていくのです。
強くなったトランクスは人造人間を一蹴し、ようやく平和が訪れました。多くの犠牲を払って。
(この世界はピッコロも神様も殺されてドラゴンボールが使えない世界なのです)


ではこれらを踏まえて『「Z」の誓い』の歌詞を読んでみましょう。


「悲劇が起きたら誰から勇気を教わればいいの」

「永遠だったはずの未来でさえも コワレモノと知って 人は戦士に生まれ変わる」

「未来守る者をHEROと呼ぶ この星ではずっと愛や希望が継がれてきた」


象徴的な3つを抜き出してみましたが、まさにトランクスのことを歌っていると感じます。

前回の記事で「Z3部作というのは震災後を描いた曲だ」としました。
「永遠だったはずの未来が壊れた」というのは3.11のことだと感じ、そこからスーパーヒロインにならざるを得なかったももクロを想起したからです。

ですがトランクスの物語を知ると、仲間や師匠悟飯が殺され誰からも勇気を教われなかったトランクスが過去の戦士たちから勇気を学び、修復不可能な未来(つまりトランクスにとっての現在)を覚悟して戦士となり、孤独でも未来を守り続けたトランクスのための歌であると気付きます。


■ 破壊神ビルスは今後何を破壊するのか

ここから先は完全なる僕の妄想です。

前作『ドラゴンボールZ 神と神』では破壊神ビルスという万物の頂点に立つ絶対者が登場しました。
付き人としてウイスもいますが、実力から見てもビルスを導いているのはこのウイスなのでしょう。
そして今回ウイスは数分だけ時間を巻き戻せることを明かしました。

次回作はきっとトランクスがメインで、ビルスとウイスが関係するお話になるでしょう。
そのためエンディング曲が『「Z」の誓い』だったのです。
「復活のF」のエンディング曲であり、次回作のオープニング曲でもあったわけです。


未来に戻ったトランクスが孤独のヒーローとなり地球を救った世界。
そこに悪の心に染まった魔人ブウが出現します。
もはや助かる道が無いと悟ったトランクスは、母のブルマが作った手料理を最後の晩餐とします。
ブルマは誰ともなく天にこの世界を救って欲しいとヤケクソ気味で叫びます。
するとウイスがブルマからご馳走の報告が来たと勘違いし、修行中の悟空とベジータと寝起きのビルスを連れて違う宇宙へと飛び立ちます。

魔人ブウが人々をお菓子にするも、それが不味そうに感じ、それよりもブルマの手料理に舌つづみを打つビルスとウイスは、この世界の魔人ブウを破壊することに決めます。
ですが互角の勝負となり決着がつかずにやがて双方とも勝負に飽きてしまいます。

スーパーサイヤ人ゴッドの力を持つベジータとトランクスのフュージョンにより魔人ブウを撃破。
時空を超えて父から多くを学んだトランクスは、ウイスからすべての時間を巻き戻し悟空が死ななかった世界と統一しないかと提案されます。トランクスが存在する宇宙を破壊することで時空を統一しようということらしいのです。おそらく違う時空のブルマに呼ばれたと勘違いしたことが絶対者として恥ずかしかったのでしょう。
でもトランクスはその提案を断ります。

なぜなら
「次は私の番 小さな夢を守るんだね 闇のその先には朝が待っている」からであり、「悩み迷うことも任務さチームZ」だからです。
過去に飛び立ち多くの仲間から学び、現在に戻ってきて再び父親から大切なものを得たトランクスは、すべてなかったことにするという楽な選択肢は選ばないのです。
失ったものはもう戻らない。それでも生き残ったものたちだけで生きていく。それが戦士トランクスの決意でした。それこそが「Zの誓い」なのです。


トランクスが主人公となる映画をぜひ作っていただきたいですね。
そして『「Z]の誓い』が破壊神ビルス3部作のラストを飾るテーマソングになることを祈って。



誓いを立てる覚悟はできたか 【Z3部作に描かれる戦いの歴史について】 


『「Z」の誓い』はすごい曲でした。
ももクロどんたくLVで2日間見たのですが、1回目は曲が僕好みだったので「これは大好きなシングル曲がついに来たな」と思いました。2回目は歌詞もしっかり聴こうと思いながら見ていたのですが聴いていたら泣いてしまいました。

タイトルに「Z」が付いているのは『Z伝説 終わりなき革命』、『Z女戦争』、そして『「Z」の誓い』の3曲です。
『走れ!』、『全力少女』、『オレンジノート』の「走れ3部作」にちなんで「Z3部作」と名付けることにします。


震災以降、日常が緩やかに狂っていくのを肌で感じつつも旧来のシステムに依存しきった社会に希望を見いだせないまま生きていました。
そこに『Z伝説』の「絶対あきらめない!」というどストレートなメッセージが日常に飛び込んできてももクロに撃ち抜かれました。
僕にとってももクロと震災は切り離せません。

『Z女戦争』は戦いが続き女子学生としての青春も過ごしたいと思いつつも青春を破壊しようとする敵に立ち向かっていく様が描かれています。
これはB面曲の『PUSH』と共に聴くことでより意味が深まります。

『PUSH』に出てくる「もっと速くもっと強くもっと美しくなるボタン」というのは「友達の時のようじゃいられなくなる」代償として超人と化すためのボタンです。
つまり『Z女戦争』で憧れているような青春や学園生活を捨ててスーパーヒロインになるという覚悟が描かれているのです。

「Z3部作」が震災についての曲だとしたら、『Z女戦争』の冒頭の「3時の方向」は被災地の方角なのではないか、という強引な読み解き方もできます。
例えば、恵比寿が時計の中心、目標だったNHKホールが0時の方向にすると、3時の方向が被災地になります。
もちろんこれはこじつけでしかなく、こう考えることもできる、という程度ですが、『「Z」の誓い』の歌詞の中にも震災以降について触れた歌詞があり、『Z女戦争』も『Z伝説』から『「Z」の誓い』へと連なっている作品だと感じられます。

『「Z」の誓い』では「永遠に続くと思っていた日常が破壊されて僕らはヒーローとなった」というような歌詞が出てきます。
この歌詞を聴いたときに落涙していました。
震災とあかりん脱退という大きな出来事を乗り越えた5人はももいろクローバーZとなりました。
悲しんでいる人の涙をぶちのめすスーパーヒロインとなったのです。

乙女の青春を犠牲にし超人となった5人は、まるでジャンプの主人公のように多くの仲間を獲得していきます。
『ドラゴンボール』はマジュニアやベジータなど敵だった者たちが味方になっていく物語です。
悟空が強くなればなるほど仲間が増えていきます。
まさにももクロの物語でもあります。

永遠に続くかのように思われた日常を破壊した敵に立ち向かう。
そのためには仲間が増え続けなければなりません。
一緒に戦う仲間や、元気玉のために力を分け与えてくれる人達が増えなければならないのです。

Zの誓いを立てるのは我々ファンも含まれているのでしょう。


映画『ドラゴンボール』の主題歌ということでさほど期待もしていませんでしたが、これはとんでもない名曲が誕生したのかもしれません。
振り付けにもストーリーがあるということですので、テレビなので披露されるのが大変楽しみです
ぜひ多くの人に体感して欲しい曲です。



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