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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

映画『ア・ゴースト・ストーリー』と『若おかみは小学生!』の別れ 

幽霊にまつわる映画を立て続けに観て、どちらも深く考えさせられたので、二作品を照らし合わせながら感想を書いてみたいと思いました。
二つの作品から世界の深遠さに触れることができたら成功です。

その二作品とは『若おかみは小学生!』と『ア・ゴースト・ストーリー』です。
前者は日本アニメ映画、後者はアメリカの実写映画です。
まずは共通点や相違点などを考えていきたいと思います。


以下の文章は二作品のネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。


■ 「若おかみ」と「ゴースト」の共通点

『若おかみは小学生!』(以下「若おかみ」)は小学生の女の子が交通事故で両親を亡くし、祖母の下で旅館のお手伝いをするお話です。
少年や少女の幽霊が見える主人公は、友情や信頼を学び成長していきます。

『ア・ゴースト・ストーリー』(以下「ゴースト」)は妻を残し交通事故で死んだ夫の視点で物語が進んで行く映画です。
シーツを被った幽霊となった夫が妻の下に居続け、妻が引っ越した後もずっとその場所に居続ける、という内容です。

二作品の共通点は「幽霊はいつもそばに居る」という点です。
「若おかみ」では常に主人公の近くに幽霊が居て、励ましたりお願い事をしてきたりと賑やかです。
成長するに従い幽霊が見えなくなって行く描写は秀逸です。

一方「ゴースト」では誰にも幽霊の存在は見えませんが、夫の幽霊は常に妻の近くにいます。ただし家の中だけです。
妻が家を去るシーンは寂しさが募ります。

日本とアメリカに共通するこの「幽霊はいつもそばに居る」という思想。
日本では「お天道様が見てる」と言い、アメリカでは「神が見てる」と言うでしょう。
大切な存在が近くで見守っている、という考えです。

大切な存在が死んでしまっても遠くに行ってしまったのではなく、会えないけど近くにいる、ということが二作品に描かれています。


■ 「若おかみ」と「ゴースト」の相違点

二作品の相違点は数多くあります。
際立っているのは「時間の概念」と「対話」でしょう。

「若おかみ」は主人公の女の子が成長する物語なので時間の流れはゆっくりです。
いろんな人たちや幽霊たちと対話を重ねて成長していきます。

「ゴースト」は計り知れないほどの時が流れ、そしてもう一度同じ時代に戻ってきます。
そして幽霊は一言も発しません。心霊現象を起こすことで住人が反応しますが、対話とまでは行きませんでした。
幽霊はただ見続けるだけです。


■ ウリ坊とC

ただ見続ける男。それは「若おかみ」にも登場します。
ウリ坊と呼ばれる少年の幽霊です。
彼は数十年前に死亡し、それ以降ずっと好きな女の子のそばに居続けます。
その女の子がおばあちゃんになり旅館を切り盛りしているわけです。
そのおばあちゃんのために主人公を焚き付けたり励ましたりします。

「ゴースト」の幽霊Cはさらにすごいです。
妻が家の柱に隠した紙切れを取り出すために何年も居続けます。
最初は妻のそばで。その後は家主が変わっても、家が取り壊されても、巨大ビルが建っても居続けます。
でのCは紙切れを探せなくなったことに絶望し飛び降り自殺をします。
(この展開が衝撃的でした)

ウリ坊は好きな女の子がウリ坊の死を知らないまま生きていても気にせず、対話できなくてもずっと見守り続けてきました。
Cも、紙切れが探せなくなっても、時間を繰り返してまで探し続けます。

2人の男の愛が切なさを強くします。


■ 大切な人との別れ方

「若おかみ」では主人公の成長とリンクして幽霊が見えなくなっていきます。
子どもの頃は見えていたものが大人になり見えなくなる、というモチーフは様々な作品に描かれています。
なので「若おかみ」を見ている観客は、主人公の成長をしっかりと認識できます。かつての自分のことを思い出し、切なさをを感じながら。

「ゴースト」はどのように別れを描いているでしょうか。
ヒントは隣人の幽霊です。
彼女(声も名前も出ませんが、女性の幽霊としか思えません)は誰かを待っているそうで、誰だったか思い出せないほど時間が過ぎているようです。
その幽霊は「会いたい人にもう会えない」と悟ったことで消滅します。

「ゴースト」のラスト。時間を繰り返すことでようやく妻が残した紙切れを探し出した幽霊Cは、紙を開いた瞬間に消失します。

紙には何が書かれていたのでしょうか。
隣人の幽霊のように寂しい消失だったのか。それとも願いが叶ったからこそ消失できたのか。
死生観や宗教観で捉え方が違いそうで面白いですね。

日本では「成仏する」という考えがあるので、輪廻の環から外れることができたCは、祈願成就の果ての消滅だ、と読み解くことができるでしょう。

アメリカではキリスト教的な「魂は消滅しない」という考えが浸透していると思われます。
ですので最後の消滅は衝撃的だと思います。
魂が消滅するほどの別れだったのかも知れません。


『ア・ゴースト・ストーリー』は時空を超えた切ない別れの物語です。
どんなに素晴らしい芸術を作り遺しても、やがて宇宙は消滅する。

「低視聴率叩き」という弱い者いじめ ドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』が今を写し出す 


現在放送中のドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』に対し価値を貶める記事を読みました。
下記リンクです。

なぜ「ケンカツ」の視聴率は最低なのか? データで読み解く失敗ドラマの敗因


低視聴率の原因をデータで読み解くというテーマでしたが、拝読したところ挙げられたデータは推論を補強するという、執筆者の思い込みのために用意されたようなものでした。
「データで読み解く」のではなく「論旨に合うデータを用意」したかのように見受けられました。

それだけでなく、「低視聴率ドラマは失敗であり、スタッフや出演者のことをいくら悪く言ってもいいのだ」というような記事であり、執筆者の掲げる信条に反する振る舞いであるように感じられました。
この記事の執筆者であるメディア遊民氏は「番組愛は人一倍強いが、既得権益にしがみつく姿勢は嫌い」と掲げています。
好きな番組以外はいくら貶してもいいということなのでしょうか。
低視聴率のドラマだからこそ良さを見つけ、知らない人達に知っていただくことがTVというメディアが生き残る道の一つだと思うのですが、TVメディアの存亡よりも弱者を叩き既得権益にしがみつくのが大事であるかのように感じられます。


そこでこのメディア遊民氏の記事に反論する形で「弱者を切り捨てていることに気付ない怖さ」と「ドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』の素晴らしさ」について考えていきたいと思います。


  弱い者いじめを推奨し、生きにくくさせている風潮を強める

メディア遊民氏の論旨は
「初回視聴率が悪く挽回できなかった」
「ツイート数も少ない」
「タイトルが悪い」
「視聴者が自分事として興味を持てない」
「原作漫画も累計50万部とごく一部にしか響いていない」
というものです。

「初回視聴率が悪いから視聴率が悪い」と記事を書くことの、どこに意味があるのでしょうか。
「累計50万部」をごく一部と評するのも感覚がずれている気がします。
連載を続け単行本を50万部も売れる漫画家は数えるほどでしょう。多くの漫画家さん達は連載を勝ち取ったり少しでも単行本が売れるよう必死に努力しています。

「タイトルが悪い」と切り捨てていますが、私はここが一番問題だと感じています。
私は『健康で文化的な最低限度の生活』というタイトルで今期見るドラマの一つに選びました。
憲法の条文がタイトルとなっていて、さらには現代社会が「健康で文化的な最低限度の生活」を送れない人たちを切り捨てていることをも指摘しています。
そう。メディア遊民氏が低視聴率というだけでこのドラマを切り捨てているように、です。そのことに私は憤りを感じています。

メディア遊民氏やその記事へのコメント欄の中でも「不正受給者を懲らしめて欲しい」という主旨の文章が目立ちます。
もちろん不正受給は無い方が良いに決まってますが、全体の約2%の問題を、さも一番の大問題であるかのように喧伝するのは、生活保護を受けている方々の肩身を狭くさせることにつながりかねません。
このドラマは「生活保護」に対し、とても丁寧に取り組み、とてもわかりやすく作られており、真摯な姿勢を受けます。
「健康で」「文化的な」「最低限度の生活」を送れない人たちがいて、それぞれいろんな理由を抱えていることを教えてくれます。
とても社会的意義があるドラマなのに、低視聴率だから失敗だとし見ることを勧めもしないのは、TVメディアの記事を書く者の態度として正しいのでしょうか。


私がこのドラマで特に印象に残ったのは識字障害をテーマに扱った第7話です。
知能は成人と同等なのに、字が読めないというだけで働くことができない。
トム・クルーズ氏が有名ですが、知識としては知っていても、このドラマを見るまではそこまで思いが至りませんでした。

ドラマでは、障害者認定することで物事を進めようとする担当者。働きたいけど字が読めず、それを障害と押し付けられるのをすぐには受け入れられないという受給者。この二人を軸にとても繊細な構成になっていました。


  低視聴率=社会を見捨てている?


極わずかなケースを大々的に取り上げることは、視聴者の考えを悪い方向に導く危険な行為です。
それでも視聴率のためにはすべきとでも言うのでしょうか。
「あっと驚く解決」というのも同じです。現実問題を扱っているドラマの中で「あっと驚く」レアな解決策を描くことで、視聴者の考え方を歪め、「生活保護」のイメージを悪い方向に固定させてしまうでしょう。

それよりも、このドラマが描くように、一人一人に生活があり、それぞれにいろんな問題がある、と真摯に伝えることの方が、とても重要で、今の社会に貢献しています。

高視聴率礼讃、低視聴率排他のメディア遊民氏の態度は、そのまま現代社会を表しています。
立場が弱い人たちはいくら叩いても良い。
後付けでいろいろ理由を探し出し、もっともらしくご高説をぶって良い。
相手は反論してこないんだから何やったって良い。

慧眼な読者はメディア遊民氏の記事を読んだところで鵜呑みにすることは無いでしょう。
ですが、ドラマを見ていない人や流し読みする人にとっては「やっぱこのドラマ駄目なんだ」と自動的に思い込んでしまう危険性があります。

根本的な話、いつまで「高視聴率ドラマ=良いドラマ」という固定概念に縛られ続けるのでしょうか。
TVメディアの未来を考えるならば、視聴率どうこうの記事なんて書くのをお止めになってはいかがでしょう。


なぜこのドラマの視聴率が悪いか。
それは国民が社会を見たくないのと同義です。
このドラマの視聴率が悪いこと自体が、この現代社会の先行きの不透明さを物語っているのです。

様々な問題を抱え、生きていくのもやっとな人たちを決して見捨てない人たちのドラマです。
ぜひご覧下さい。


社会学的な許容  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top

高城れにさんお誕生日おめでとうございます 

高城れにさん、お誕生日おめでとうございます。

日を追うごとに美しさが増していくあなたを応援していることが、どこか誇らしく感じてしまいます。

周りの方達やファンのみなさんを優先し、自分のことを犠牲にしてしまうあなたを、みんな大切に想っているでしょう。
繊細で壊れてしまいそうな少女だったはずが、頑強な仲間たちが自然と集い、自身も強い意志を持つ素敵な女性へと成長したのですね。

れにちゃんが、自分はダメダメでみんなに恩返ししなきゃ、と思うことで、れにちゃんに救われた人達が恩返しするために様々な思想を抱き行動する。
お互いに想い合うこの関係性がとても素晴らしいと感じています。

今後れにちゃんでなければならないことが増えてくるでしょう。
不安が襲うことも増えるかも知れません。
ですがあなたには数多くの仲間がいます。
近くにも遠くにも、老若男女、国籍を超えた仲間がいます。
ぜひのびのびと、れにちゃんの思うままに生きて欲しいです。


25歳の誕生日本当におめでとうございます。
今年もお祝いでき本当に嬉しいです。
新しい出会いにあふれた一年になりますように。

『半分、青い。』の眩しさと切なさ 

『半分、青い。』の眩しさと切なさ


連続テレビ小説『半分、青い。』第11週「デビューしたい!」(第61回)がとても素晴らしかった。


鈴愛(永野芽郁)と律(佐藤健)は同じ日に同じ病院で生まれ、隣同士のベッドで泣き声を聞き合った仲だ。

鈴愛は小学3年生の時に左耳の聴力を失い、その悲しみを律に告げ、支えてもらった。
律も、喘息持ちだった少年期に、明るく元気な鈴愛に助けてもらったと感じていたようだった。

二人は高校卒業と同時に東京に上京する。
律は大学生として勉強や恋愛を楽しみ、鈴愛は漫画家のアシスタントとして日々一生懸命過ごしている。
少女漫画の巨匠に恋愛を何も知らないと叱られる日々だ。


鈴愛と律は、恋愛感情は無いとしながらも、恋愛以上の強い絆を共に感じていた。

だがそこに異分子が訪れる。
伊藤清(古畑星夏)は高校時代に律が一目惚れした女性で、大学で再会した二人は急速に仲を深める。まるで会えなかった時間を埋め尽くすように。

律の全てを自分の物にしたい清は、律を我が物顔で扱う鈴愛に嫉妬する。

「律は私のものだ、返せ」

清とケンカをしたことでも、学生時代の仲間の写真を破られたことでもなく、律は鈴愛のこの言葉に決定的なものを感じ取っていた。

恋人同士ではない。だけどいつも鈴愛の隣には律が居て、お互いがお互いを想い合っている。恋人以上に相手のことを理解し、家族以上に強い鎖でつながっている二人。

恋人がいる律はそれを恋愛と勘違いすることができず(ドラえもんとのび太の関係と評する)、恋人ができない鈴愛はいまだに恋がなんなのかわかっていない。


◼️ 東京 加齢 プリミティブ

標準語で話し合う律と鈴愛の姿が、もうそれだけで切ない。
誰もいない空間で、二人は故郷の言葉で恥じることなく会話してもいいし、岐阜弁の方がお互いの感情をぶつけられるはずだ。
それでも律は標準語を崩さない。
なぜなら二人は別れるからだ。
標準語。二人の距離がもう縮まらないことを示すのにこれほどまでに効果的なものがあるか。

律は大人になってしまった。標準語も操れるし、優男の友人やかわいい彼女をも虜にできる。
一方鈴愛は大人になることを拒む。
漫画家の先生に発破をかけられて恋愛に走り出すが、人を好きになるということがよくわかっていないようだ。

正人(中村倫也)に手を払われた時、鈴愛は何日も大泣きしたが、まるで漫画のような泣き方で、失恋した女の子は泣く、というルールに従っているかのようだ。
律との別れの時はどうか。
笑顔で言葉を交わし、最後にそっと涙をこぼす。

鈴愛は失恋よりも悲しい別れを体験し、半身を失うことで大人にさせられた。

予告を見る限りでは、今後その悲しみが漫画作品へと転換されていくと思われる。
七夕の日にはなればなれになった二人の距離は何光年離れてしまったのだろう。
ロボット工学の博士になった律が鈴愛に左耳の聴力を蘇らせる機械を発明し、律の声をプレゼントする、というのは出来過ぎか。


正人だけでなく律も居なくなってしまい、鈴愛はこれからどうなってしまうのか。
まだ月曜日ですよ、北川先生!

ももクロは砕けない 



ももクロちゃん10周年おめでとうございます。
そして、続けてきてくれて本当にありがとう。
みなさんが失ってしまったものと、叶わなかった願いと、僕たちに与えてくれた大いなる希望について考えながら、このブログを書いています。


桃響導夢2日目の開演前。ももクロがきっかけで知り合った友人と共に飯田橋ラムラに行ってみました。
2008年、あかりんとあーりんがももクロに加入。その後様々なメンバーが辞め、さらに2011年にはあかりんが、2018年には杏果ちゃんが辞め、ももクロは4人となりました。

飯田橋ラムラから東京ドームまで徒歩で約15分。
距離は約1,000メートル。

ももクロが歩んだこの距離は、とてもとても遠く、多くの試練と悲しみがももクロを襲いました。
それでも歩みを止めなかったももクロは、たくさんの仲間と出会い、共に励まし合って東京ドームまでたどり着きました。
ひとつの笑顔の裏には幾重にもつらさや悲しみや苦しみが折り重なっていたのです。


「『Z』の誓い」という曲は、永遠だと思っていた未来が壊れてしまう事を知り、そうすることで戦士にならざるを得ない悲哀と、迷いもがき苦しみながらも、仲間たちと愛や希望を紡いでいく力強さが描かれています。
そのステージでは、青い光と緑のレーザーが会場を包み込んでいました。
ももクロは辞めても仲間であることには変わりありません。
あかりんや杏果ちゃんが4人の背中を押しているのだと感じました。


■ ももクロという存在にありがとう

最後のコメントでれにちゃんは、これまで支えてくれたみんなを支えられるようにもっと強くなりたい、と言っていました。
いつも支えられているのはこっちの方なのに、れにちゃんはどこまでも謙虚です。
自己評価が低くて、自分のことよりも相手のことを最優先で、自分が傷つくことも厭わないれにちゃんが、ものすごく心配になってしまいます。
でも中野サンプラザの映像で見たか弱い少女はもういません。
どこまでも大きくどこまでも深い愛で多くの人たちを包み込んでくださいます。
れにちゃんがももクロで居続けてくれて本当に良かったし、高城れにがいないももクロなどもはやももクロではありません。
一生ももクロだと宣言してくださったからこそ「ももクロは砕けない」と確信できるのです。

本当にありがとう。


あーりんは最後のコメントで、あかりんや杏果ちゃんだけではなく、かつてのメンバーの名前を東京ドームの舞台で挙げてくれました。
たとえ在籍日数が短くても、共に歩んできた仲間に敬意を表していて、とてもあーりんらしいなと感じました。
オリジナルメンバー3人に囲まれ、さらに最年少という立場であり、重圧なども感じたかも知れませんが、パフォーマンスに対する真摯な姿勢と、揺るがない精神力と、物怖じしない豪胆な構えは、ももクロを力強い存在へと押し上げてきたと思います。

ももクロに加入してくれて本当にありがとう。


しおりんは最後のコメントで、ここに至るまでは必然で、過去を振り返るのはももクロらしくないのでこれからに期待してください、と力強く宣言してくれました。
メンバーのことが大好きなしおりんがももクロに居てくれて本当に良かったです。
何事にも一番になれる実力と身体能力と容姿を兼ね備えているにも関わらず、見えない部分でのケアや、得点へのアシスト役に徹する姿は多くのファンを唸らせてきたことでしょう。
サブリーダーから夏菜子ちゃんを支える役を自ら率先して引き継いだのだと思います。
夏菜子ちゃんがどこまでも輝いて世間を照らしているのだとしたら、それは紛れもなくあなたが人知れず力を尽くしてきたからでしょう。
個人的な願望を言えば、杏果ちゃんが辞めてしまった今こそが、しおりんからスーパーしおりんになり、多くの人たちの力を得て超元気玉を作り上げる時だと思っています。
今後のご活躍を大変楽しみにしております。

ももクロを支えてくれて本当にありがとう。


■ 百田夏菜子の弱さと強さ

あかりんが脱退する時、夏菜子ちゃんに対して「一番心配だ」と告げました。
全然リーダーに向いておらず、あかりんのサポートがあって機能していたチームから精神的支柱が脱退してしまうのですから、それは当然でしょう。
5人のももクロになり、誰もが認めるリーダーとなり、ももクロとしても百田夏菜子個人としても注目される存在にまでなりました。
ですが裏ではたくさん泣いていたのですね。

夏菜子ちゃんがステージ上で泣きながら正直に不安を吐露してくれたことが、ファンとしてすごく嬉しかったんです。
仲間と認めてくれたんだな、と勝手に思いました。
自分の弱さを見せるのはものすごく勇気が要ります。
笑顔をモットーに掲げてるグループのリーダーなら尚更勇気が必要だったでしょう。
その反面、杏果ちゃんが辞めてしまったことで、ものすごく心が弱ってしまったのだな、と強く伝わってきました。
夏菜子ちゃんがリーダーになってから何人もももクロを辞めてしまったのは事実で、そのことが夏菜子ちゃんを大きく苦しめてきたのかも知れません。
あかりんの時はあかりんの夢があるのでそれを後押しするという名目があったでしょうが、杏果ちゃんの場合は夏菜子ちゃん自身に言い訳すら許されない状況だったと言えるでしょう。

どうしてもっとメンバーのケアができなかったのか、と。
もっと早く杏果ちゃんの気持ちを聞き出せていたら、と。
リーダーとしての重圧がかつてないほど襲いかかってきたのではないかと想像するのは難しくありません。

杏果ちゃんが辞めることが決まった時、目の前が真っ暗になりどうやって進んでいいのかわからなくなってしまったと、涙ながらに語ってくれて、仲間として認められたと嬉しく思ってしまう自分と、ここまで追い詰められているのに何もできない悔しさを感じる自分がいました。

だから、「お前らついて来い!」と叫んでくれたのがとても嬉しかったです。
一本一本は小さな光かも知れないけれど、それが何人も何人も集まって、ももクロちゃんが帰ってくられる場所と、これから進むべき未来を照らす灯台になれたのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。

前に出るのが苦手で、闘争心も薄い平和主義で、リーダーに向いてないとまで言われた夏菜子ちゃん。
自責の念やリーダーの重圧に何度も押しつぶされてきたことでしょう。
残酷かも知れませんが、それでもあなたこそがももクロのリーダーだと思ってしまうのです。
出会った人達を幸せにしていく夏菜子ちゃん。何度倒れても立ち上がり続ける夏菜子ちゃん。
ももクロのリーダーはこの世界で百田夏菜子ただ一人なんです。

ももクロに入ってくれて、ももクロのリーダーになってくれて、本当にありがとう。


ももクロは、泣きながらでも、絶望しながらでも走り続けることができると証明してくれました。

ダイヤモンドの宝石言葉は「変わらぬ愛、不変」などだそうです。
ももクロがいろんな人のペンライトの光を受け、いつまでも輝き続けますように。