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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

『ひよっこ』がいかに素晴らしいか 

朝ドラ『ひよっこ』が素晴らし過ぎる。
『あまちゃん』ブームを知り途中から見出し、その後ずっと朝ドラを見てますが、『ひよっこ』が一番素晴らしいです。

これまでの主人公と違い、モデルになる人物がおらず、そして目指すべき目標もありません。
そして大きな特徴と悪者が登場しません。

・モデルがいない

前回の『べっぴんさん』や次回の『わろてんか』はモデルになる女性実業家がいます。
それゆえあらかじめ結末を予想できます。
なので全話見なければならないと気負わずに済みます。

『ひよっこ』は失踪した父親を探すという理由はありますが、ベースはがんばり屋さんの女の子が田舎から上京していろんな人たちと出会い笑顔になる、というものです。
漫画のジャンルで「日常系」というのがありますがそれに近いと思います。

・目標がない

「ベビー服の会社を興すぞ」「お笑い事務所を興すぞ」などの高い目標が無い『ひよっこ』。
強いて挙げるとしたら「田舎に仕送りする」というものです。
毎日を笑顔を忘れず生きていて、それで周りも笑顔になり、助け合って暮らしている。
父親を探しに上京しましたが、何も手がかりが無く、目撃情報があった近くの土地で働いているという状況です。
「いつかきっと会える」と信じていますが、毎日父親探しのために奔走してる、という状態ではありません。
その代わりにいつも心の中で父ちゃんに語りかけています。その姿は、東京にいる理由を忘れないよう必死に日々に刻みつけているように映ります。

・悪者がいない

かつての朝ドラの場合、主人公を邪魔する人物が登場しました。
敵が物語から退出することで主人公が成長したり喜んだり悲しんだりするわけです。
言い換えると、敵を排除することがテーマになりがちであり、視聴者も「こいつがいなくなるんだな」と容易に予測でき、それを期待しながら見ることになります。
排除すべきものが明確であるがゆえに、安心して視聴できる一方予定調和やワンパターンなどの飽きに見舞われます。

『ひよっこ』の場合悪者が登場しません。
その代わりに主人公を襲うのは経済不況など自身ではどうにもならない事です。
それゆえ解決ではなく出来事をあるがままに受け入れ「生きるため」「田舎に仕送りするため」に健気に日々を過ごしています。

モデルがいない、目標がない、悪者がいない、というのはつまり我々にとても近いということです。
我々は人生の結果がわかっているわけでもないし、悪者を排除すれば社会的に大成功するわけでもありません。

ここまで書きましたが御託を並べずとも『ひよっこ』を見れば、登場人物の人柄に笑みがこぼれ、社会の状況に現代社会を重ね思いを馳せ、そしてこの世界の豊潤さを再認識することでしょう。

この社会は主人公1人とその他のキャラ、で構成されていません。
みんな生きていて、みんな悩みを抱え、それでもみんな生きています。
誰もがひよっこ。

とても優しい気持ちになれる作品です。
多くの人たちにご覧いただきたいです。

・朝ドラの形式を意識する

他にも、従来の朝ドラは一週間のテーマが決まっていて、月曜の問題を土曜に解決するパターンがメインになります。
『ひよっこ』の場合は月曜日の出来事も次の日やその次の日くらいで解決し、また別の話題に切り替わったりします。
スピード感があり目が離せません。

『ひよっこ』のキーワードとして「笑顔」と「歌声」があります。
ももクロと一緒です(『行くぜっ!怪盗少女』の歌詞を参照)。
笑顔は楽しいだけじゃなく、あるきっかけにより悲しい顔をするのをやめた決意の表れでもあります。
そして歌声はそれだけで仲間感を演出します。
畑仕事の時、乙女寮の食堂、レストランの裏庭、みんなが集まり歌ったり笑ったりします。

「笑顔」と「歌声」
今この社会に必要なことを教えてくれる素晴らしい作品です。

高城れにさん、お誕生日おめでとうございます 


れにちゃん お誕生日おめでとう!

23歳は様々なことに挑戦なさいましたね。
記憶に新しいのは『永野と高城。』ですが、ここでもれにちゃんの本心を聞けたことがとても嬉しかったです。

「ももクロとして活動してても自分ができることはなんだろう、ももクロのためになってるんだろうかって考える時に永野さんに声を掛けてくれて、今までにないものを引き出せてもらえたので嬉しかった」と言うようなことを語られていました。

自信が無くて、だけど期待に応えるためには傷つくことを恐れない。
自身が犠牲になることで誰かが幸せになれれば良いと考えられる人。
あなたがいるだけで、微笑むだけで、話し出すだけで周囲の人たちやファンを幸せな気持ちにしてくれます。

時々心配になるぐらいファンのために思考し行動してしまうあなたですが、それこそが高城れにであると言い切りたい自分もいます。
だから、「れにちゃん無理しないで」などとお願いなどしません。
れにちゃんがれにちゃんとして活動できるように、自身の行動を律すると共に、「紫推しはほんとすごいんだから」といつでも誇ってもらえるようなファンで居たいと思います。


24歳はどんなことが待っているのでしょうね。
永野さんとお笑いの舞台を成功させたのですから、もうどんな人ともコラボできるでしょうね!

ソロ曲の歌声も素敵だし、映画や舞台での演技も素敵だし、れにちゃんが考えていることを本にするのも良いと思うし、旅番組をスタートさせるというのもすごく良いと思います。

どんなことがあっても紫推しのことを想うだけで強くなれると思ってもらえるようにがんばります。
れにちゃんの思うがままに、あるがままに、「これが高城れにだ!」と世間に見せつけて欲しいです。


れにちゃん。24歳まで活動を続けてくれて本当にありがとう!
れにちゃんが好きなだけ活動できるように願ってます。
れにちゃんにとって思い出深い一年になりますように。

高城れにソロコンサートで語られた言葉 


今年の高城れにさんのソロコンサートはとても大切なものとなりました。
過去2回は高城れにさんからファンへの感謝がたくさん詰まった、ファンとしてすごく嬉しいものでした。
ファンのことが好き過ぎて、その想いがあふれ、そんなれにちゃんを目の当たりにしたファンは、今まで以上にれにちゃんへの恩返しを固く誓ったのです。

ですが今年は、ファンへの感謝の他に、とてもとても大切な想いが込められていました。


僕は3月9日を迎えるまで、れにちゃんに対してひとつの疑問を抱いていました。
れにちゃんのような気持ちの優しい、感受性の強い女性なら真っ先に伝えてくれると思っていたのに、何も話してくれなかったからです。
夏菜子ちゃんはバレンタインイベントの場でももクロを代表してお悔やみを述べてくださいました。
杏果ちゃんやしおりんも、直接ではありませんでしたがブログにてコメントしてくれました。
僕自身、哀悼の意はあえて公開しなくても、心の中で静かに想っていればいいのだと考えています。ですがファンとしてれにちゃんの言葉をどうしても聞きたかったし、れにちゃんも絶対言葉にしたいと思ってるはず、と勝手に考えていました。ある意味れにちゃんに助けを求めているようなものです。
この虚無感を深く知りたい。
あれ以来僕の頭の中である学者の言葉が鳴り続けています。
「<世界>はそもそもデタラメである」と。


2月8日。松野莉奈さんが逝去されました。
今でも信じられません。追いかけるほどのファンではありませんでしたが、友人に誘われて一度だけ握手会に参加したことがありました。お顔立ちがとても美しく、身長の高さも相まって高貴さを感じさせられます。ですが性格は年齢よりも幼さがあり、素直で純粋で、誰からも愛される女の子でした。
何度でも言いますが、いまだに信じられません。嘘でもなんでもいいのでまたみんなの前に元気な姿で登場して欲しいです。

こんな状態のまま1ヶ月経過し、れにちゃんのソロコンの日を迎えたのでした。
松野莉奈さんについてコメントしないよう事務所から止められているのかな、などと無駄な勘ぐりをしました。1ヶ月間そのことに触れられないのだから、もうれにちゃんの言葉は無いんだな、と思いました。

ですが違いました。
ソロコンという大切な日に、れにちゃん推しを前にして、温かい気持ちで、あふれ出る悲しみを抱えながら、ゆっくりと言葉にしてくださいました。
直接名前を挙げることはありませんでしたが、想いが込められていると強く感じました。

当たり前のことが当たり前だと思ってはいけないんだ、ということ。
いろんな人と関わってそれを教えられた、ということ。
家に帰ると「おかえり」や「お仕事がんばって」と言ってくれたり、改めて大切にしたいと思ったのはかけがえのない家族、ということ。
朝起きることだってすごいことなんだな、ということ。
日々生きていることはすごいことなんだな、ということ。


その後『3月9日』が歌われました。

瞳を閉じれば松野莉奈さんがまぶたの裏で優しく微笑んでいます。

とても心優しい高城れにさんを推すことができて本当に幸せだと思いました。
れにちゃんはみんなに「生まれてきてくれてありがとう」と言ってくれました。

高城れにさん、生まれてきてくれてありがとう。
あなたがいてくれたからこんな世界でも深く愛せます。

松野莉奈さん、生まれてきてくれてありがとう。
心安らかなる日々を過ごせますように。


感染せよ‼︎ 【『本当によい教育を実現するための覚書』は実現可能か】 

『本当によい教育を実現するための覚書』を拝読しました。

個別指導塾で働く著者が様々な著名人の教育思想を取り入れて、よりよい教育の場を目指すための一冊。

現状の様々な問題点を抽出し、情念をぶつけた文章が現代日本が陥っている深刻な状況を際立たせます。


この問題を打破するために著者が掲げていることを簡単にまとめると「新たな学びの場が必要だ」ということです。

著者が提案する場はとても魅力的です。
こんな場所があれば子供達はのびのびと成長していくことでしょう。

ただ問題点もあります。
問題点を明確にすることで「よりよい教育の場」を目指すための助力になることを願っております。
そして『本当によい教育を実現するための覚書』とこれから記す文章を併読することで、多くの人々が現状の酷さを把握するとともに、今我々に何が必要で何を捨てていくべきかが明確になれば、僕としてはこの上ない喜びです。


では本書の問題点は何か。

それは、「場所が本当に必要なのか」ということです。


著書は本書で協力者を募っており、特に場所を提供してくれる人を募集しています。

著者が人生の指導者、助言者として挙げている宮台真司先生の考え方を借りて反論すると、教室が固定されてしまうことでいじめが発生してしまいます。つまり著者が作りたい場所が池袋辺りに一箇所しか無いという状況自体が、いじめという新たな問題を発生させてしまう可能性があります。

アイドルファンでもある著者には「古参が老害化する」という言い回しでも伝わるかもしれません。


当然これに対し、「現状の満員電車状態のクラス制度とはまったく別種であるためいじめは発生しにくい」という反論もあるでしょう。ただこの一点だけで反対しているわけではありません。

ここで強調したいのは「場所は限定的じゃない方が教育に良いのではないか」ということです。

また、著者が掲げる場は法律の問題をクリアできるのかも疑問で、本書では触れられていませんでした。


著者が目指す学びの場はとても理想的ですが、行きたい子が池袋まで行かなければならないということなど限定的であることを考えると、「よりよい教育を実現するため」にはもっと効果的で魅力的で実現可能な方法があるのではないか、と感じました。

キーワードは著者も挙げている「感染」です。

これは宮台用語で、意味は「スゴイ人に出会い思わず思考や言動を真似してしまうこと」です。
自発性ではなく内発性を刺激できる人物とも説明できます。
自らの利益のために行動する人ではなく、自己を犠牲にしてまで他人のために思わず行動してしまう、そんな人にさせてしまう人物です。


何が言いたいかと言うと、場ではなく著者自身が感染させまくる場として存在すればいいのではないか、という提案です。


場所を限定するのではなく、著者が行く先々で学童保育や学習塾を道場破りしていくのです。
そして近くの市民センターなどでワークショップを開催するのです。
「お前らあんなところにいても無駄どころか害悪でしかねえんだぜ」と。
「俺がもっとおもしろいものを見せてやる」と。

著者に感染した子供達や大人達は考えを改め、家庭や学校での振る舞いが変わっていくでしょう。


そうして著者はまた新たな場所へ去って行くわけです。



これは著者だけへの提言ではなく、すべての大人達への提言でもあります。
自らがスゴイ人物となって子供達の内発性(利他性)を刺激しまくるしか道はありません。


本書により現状認識を深め惨状を知り、著者の情念(本を作ってしまうということがどれだけパワーがいることでしょうか!!)を受け取り、共に「よりよい教育を実現するため」に必要なことが何かを模索していく。
この本はそのために必要な本です。

多くの人々が感染者として覚醒できますように。


ちろうのレイブル日記(『本当によい教育を実現するための覚書』申し込みフォーム)
http://d.hatena.ne.jp/routi/touch/20161222/p1#p1
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ブルドッキングヘッドロックvol28『バカシティ たそがれ編』が持つ批評性 


ブルドッキングヘッドロックvol28『バカシティ』(公演期間2016年11月2日~11月20日)を観劇してきました。
バカシティ公式サイト

『桐島、部活やめるってよ』や『幕が上がる』の脚本としてもお馴染みの喜安浩平さんが主催する劇団の公演なのですが、劇団員の岡山さんと親しくさせていただいたご縁もあり、ぜひ見に行きますとお約束したのでした。
岡山さんとはももクロファン同士として知り合い、『シン・ゴジラ』に衝撃を受けて一緒に2回目を観に行く仲に。『君の名は。』も二人で鑑賞などし、最近も『この世界の片隅に』を鑑賞してきました。

岡山さんから『バカシティ』のチラシをいただき、ご一緒していたれにちゃん推しの友人と共に軽い感じで「あー行きます行きます」みたいな感じで約束しました。

喜安浩平さんと言えばアニメ版『はじめの一歩』の主役の声を担当していて、僕は最初一歩の声の人と『桐島』の脚本家が同じ人だと思いませんでした。珍しい苗字の人が二人いるんだな、と。
なので同一人物だと知った時は衝撃的でした。『はじめの一歩』で泣き、数年後には『桐島』が話題になり、そして僕の大好きなももクロちゃんの主演映画の脚本までなさるとは。
しかも今調べてみたら、個人的に2016年ベスト3に入る『ディストラクション・ベイビーズ』の脚本も真利子監督と共同で手掛けていたなんて!
ちなみに真利子監督はももクロちゃんが出演している映画『NINIFUNI』の監督ですね。
ももクロがつなぐ凄まじいご縁。


そういうこともあり、『バカシティ』を観劇するのは大変楽しみでした。
友人と渋谷で待ち合わせをし、「出演者の友人ということで差し入れとか買っていくべきではないか」などと気付き、きゃーきゃーテンションが上がりながら「岡山さんだから岡山県産のぶどうでいいのではないでしょうか。僕られにちゃん推しだから紫のぶどうで合ってるし」と、何が合ってるのかわかりませんが、高級感漂うぶどうにしました。これならみなさんでパクつけるでしょうし。

そして会場であるアゴラ劇場に行ったのですが、ここって『幕が上がる』で高橋さおりらの先輩が公演を行った場所ではありませんか!
友人は知っていましたが僕は無知なまま生きているので途端にテンションが上がりました。
ここにももクロちゃんや黒木華さんや伊藤沙莉ちゃんや吉岡里帆ちゃんや芳根京子ちゃんが!?
オリザ人形が運ばれたり!!
しかも『バカシティ』を観劇に相楽樹さん(『とと姉ちゃん』の次女役でお馴染み)もここに来てたの!?
アゴラ劇場すごい!!

そしたらテンションが上がり終わりまして、開演まで2時間ぐらいをどうするかという話になり、食事するところを探して歩いていたら渋谷にたどり着きました。そしてご飯食べたら眠くなりました。
「観劇中に寝てしまったらどうしよう」という恐怖に怯えながら会場へ。アゴラ劇場の中はとても狭く、舞台まで手を伸ばせば届きそうな距離です。


『バカシティ たそがれ編』が終わり友人と一番最初に交わした会話が「岡山さん主役じゃん!」でした。
主役への差し入れに「岡山県産の紫のぶどう」という笑えないものを選び、こんな僕らが一番バカじゃないか、という落ちがついたのでした。
観劇後に劇団員さんと交流会があり、岡山さんに「主役だったら最初から言っておいてくださいよ!」と怒りました。
しかも喜安さんや『幕が上がる』のプロデューサーさんらしき方もいらっしゃって、岡山さんのおかげでご挨拶できました。
「バカシティ面白かったです!ももクロちゃんも大好きです!」とこれまたバカみたいな感想でした。


ということで前置きが長くなりましたが、以下『バカシティ たそがれ編』の感想です。
公演のDVDも発売されるかと思いますので、ネタバレを避けたい方は以下読まない方が良いです。
ちなみに相楽樹さんが客演しているのは『1995』というタイトルらしいですよ。




● 『バカシティ たそがれ編』が持つ批評性

落語がモチーフとなっているタイムパラドックスもので、物語の整合性を確かめる暇も無く笑いで圧倒された。
あらすじを言うと、地下アイドルに入れ込む3人の男がいる。そのアイドルからメールで結婚を約束されるのだが、3人とも受け取っていた。その中の1人松本は過去の時間をいじる事でアイドルを独り占めしようとするが、時間警察に追われる身となり、歴史の改変が繰り返されることで物語はあらぬ方向へと進んでいく。

他の公演はもっと静からしいが、初めて見るのが『バカシティ たそがれ編』で良かった。
松本さん役(松本哲也)が素人目に見ても上手なのがわかる。自然体にしか見えないんだけどしっかりおもしろい。もちろん脚本もあるんだろうけど、岡山さんに聞いたらセリフを変えたりもしたそうなので、すごい人なのだろう。
しかも最初のシーンは「これは時間が繰り返されているんだ」と気付くための重要な場面なので、ここに印象的なフレーズを置いておくのはとても効果的だった。
(岡山さんがスマホを使ってるだけでどうかと思ってる、平べったい石でいいじゃん、というようなセリフ。笑えて、かつ、2回目3回目の時に時間が戻ったんだとちゃんとわかる大切な場面)

中盤の時間停止の畳み掛けはくだらなくて最高に笑えました。
「タイムストップ」
「タイムストップストップ」
「タイムストッププレミアムエディション」
など、まさにバカバカしい展開に。

社員旅行のシーンでは劇作家の平田オリザさんが演出する「同時多発会話」が起こるが、すぐに「うるせえな!」と消される。
「本物」と「本物っぽい演劇」と「おもしろい演劇」の区別がなされている気がした。
演劇がより本物に近づくことが良しとされるとしたら、そこにはいわゆる「ドキュメンタリーの壁」と同じ問題が発生してしまう。
つまり「カメラがあるじゃん」ということだ。演劇の場合は「観客がいるじゃん」ということ。

一方で、日常を食い破るほどの凄まじい作品というのは、本物っぽいかどうかなんて瑣末な問題だ。
『ディストラクション・ベイビーズ』を例にすると、主人公を柳楽優弥が演じていて、セリフはほとんど無くケンカしまくる役だ。こんな奴とは普通に生きていて出会えるはずも無く、本物っぽいかどうか判別できない。
でも、凄い。
この映画を見る前と後では日常の景色が違う。
ちょうど『アオイホノオ』の再放送が放映されていた時期でもあり、柳楽優弥のすごさも感じた。

「本物」と「本物っぽい演技」と「凄い演技」というのは全部違うということ。
日常生活で俳優と観客を意識することもなければ、どれだけ本物っぽい演技をしたところで観客は見ているものを演劇と意識せざるを得ない。
どれが一番か二番か、という問題ではなく、それぞれすべて別のもの、ということだ。
その意味で『バカシティ たそがれ編』で「同時多発会話」を否定したのは区別化を宣言したように感じた。


これにつながる問題で、観客は何を見て、何を意識からはずそうとするか、というものがあり、『バカシティ たそがれ編』では大いに唸った。

時を止められ動けなくなった人の顔に水しぶきを掛けると動けるようになる、という設定が明かされる。
人はどんなに我慢してても顔に水しぶきが掛かると思わずまばたきしてしまう、という馬鹿げた理由なのだが、ここが物語の伏線になっている。

劇中、岡山さんは全身汗だくになっている。だが観客は汗だくになっている岡山さんを見て笑わない。なぜなら意識を外すからだ。
日常生活で全身汗だくになって会話してる人は見かけない。岡山さんはあくまで演劇中で動いているから汗だくなのであって、物語の中では汗だくではない、と観劇中は「汗」を意識から外そうとする。

そこへ来て、岡山さんにタイムストップが効かないのは顔が汗で常に濡れているからだ、と明かされるのだ。
今まで見ないようにしていたものが突然目の前に現れる衝撃。
観客全員が「やっぱ汗すごかったよね!」と意識がひとつになり大爆笑に包まれる。

ここも現代演劇への批評のように感じた。
「本物っぽい演技」をしても生理現象までは止められない。
聞いた話では岡山さんは汗を大量にかくために裏で水を飲みまくってたそうですが。


● 「おかしみ」ってなんだろう

「知り合いが出てるから」くらいの軽い気持ちで見に行った演劇でしたが、主役だったし内容も面白かったので観劇できて良かったです。
出演してる女優さんもかわいかったです。

地下アイドルが好きというのは絶対岡山さんをモデルにして作られた脚本だろう、と思った。
地下アイドル役の二見香帆さんは絵恋ちゃんの動画などを見て研究したそうです。

あとバイトの先輩に扮した時間警察役の鳴海由莉さんの「キングダム読んでっから」というセリフで笑いました。ちょうど『キングダム』を最新刊まで読み終えたばかりだったので。


ただタイトルがいまだに謎です。
もっと落語っぽいわかりやすいタイトルでも良かった気がするし、馬鹿な人が登場するわけでもありませんでしたし。

ブルドッキングヘッドロックは「おかしみ」を標榜しているとインタビューに載っていました。
それは「バカ」とは違う気がしました。
メタ的に現代演劇を批評することでも無いでしょう。
むしろ「シティ」という語感にまとわりついているおしゃれさの方に近いのかも知れません。
悲哀さというか、笑うしかない状況というか、そう言ったものが「おかしみ」なのかも知れません。