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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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ドラマ『ひよっこ』に描かれたテーマ 


『ひよっこ』が大好きだ。

歌と笑顔と幸せのお裾分け。
悲惨で不幸な社会の中でキラキラと輝く希望。
とても温かくて、すごく大切なものをもらいました。

誰もが感じているように、この社会は悲惨で不幸で過酷で不公平です。
『ひよっこ』の情景にはこれらが強く描かれることはありませんが、彼らが語る過去や家族背景などを知ると、紛れもなく彼らも僕らと同じように不幸な社会を生きていることがわかります。

『ひよっこ』は、失われる物語であり、獲得する物語であり、再生の物語です。
大切なものを失い、それでもがんばって生き続けることで幸せを分けてもらったり、逆に誰かに幸せをおすそ分けします。
そして元の状態に戻ることは不可能でも、新たな形で再生します。


愛子「神様がいるのかどうか知らないし、いたとしても本当に平等にみんなのこと見てるのかわからないけど。でも、ちゃんと頑張ってないと、神様は気付いてくれない。私はそう思う。」


愛子さん(和久井映見)は戦争で婚約者を亡くしています。
働いていた工場が倒産してしまいますが、自分のことよりも寮生のことを一番に考える姿がみね子(有村架純)の心に響きます。


みね子の叔父さんである宗男(峯田和伸)も要所要所で重要な言葉を伝えます。


宗男「俺は決めたんだ。笑って生きるって」


宗男叔父さんは戦時中、陸軍としてインパール作戦に参加しました。
次々に仲間が死んでいく中、常に死を覚悟していたそうです。
そんな中、敵軍の斥候に見つかり対峙します。お互い動けない膠着状態のまま時が過ぎ、なぜか敵の兵士はにっこり笑ってその場を去ったそうです。

それから宗男叔父さんは相手に笑い返せなかったことに敗北感を覚え、いつでも笑って生きることに決めたのだと語られました。

ビートルズ来日と絡めたこのエピソードはとても印象的で、『ひよっこ』を象徴付けるものでもあったと思います。


そして最終話。宗男の言葉が全てを物語ります。


宗男「勝ったんだよ、勝ったんだ、今、たった今、悲しい出来事に幸せな出会いが勝ったんだ、最高だよ」


失われたものはもう戻ってきません。でも、そのおかげで新しく出会えた人がいます。幸せは様々な形をしています。
元通りにはならなくても、さらに幸せな結果を掴み取ることもできる。

みんなから笑顔と幸せを分け与えられ、みね子自身も関わった人たちを引っ張り上げて救い出す姿は感動的でした。


田舎から上京してきた女の子が東京で必死に働くだけの物語かも知れません。
ですが、人生はそう単純ではないことを僕ら自身が僕らの人生でもって一番わかっています。
みね子は最後僕らに「がんばっぺ!」と言ってくれました。
僕らはみね子と一緒にがんばるんです。
笑顔になるために。悲しい出来事に勝つために。

『ひよっこ』という終わらない物語をこの時代に体験できたことはとても幸福だと思いました。
悲しみは悲しいだけじゃなく、新たな出会いを呼ぶ。
涙とは一旦お別れをして、また涙と会う日まで笑顔で居続ければいいだけ。
何も悲しいことはありません。

みなさんがんばっぺ!
笑って生きてっど!って言ってやりましょう!

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映画『新感染』から韓国を学ぶ 

文句無し。
ハラハラドキドキ、悲しみあり怒りあり、考えさせられる部分もあり。とてもおもしろい映画でした。

ゾンビ映画が苦手な僕でもすごく楽しめました。

韓国の女の子がかわいいのでホラー苦手な僕はそこも助かりました。


クソ野郎がずっとクソ野郎でマジクソ野郎だから怒りが溜まりまくりました。

生存者に対し「こいつは感染してるぞ!」とがなりたてるところなどは、差別問題なども投影されているのでしょう。
悲しいけれどすぐには解決できない難しい問題が表現されている気がしました。

また老姉妹が感染者と生存者で別れてしまった場面で妹が扉を開けてしまいますが、日本で生きていると理解しづらい気がしました。韓国は血縁の絆が強いそうなので、自らが感染者となる決断もあり得るということなのでしょう。

それに彼らは大切な人のために自らを犠牲にします。もうそれが当然のことであるかのように、です。
クソ野郎はずっとクソ野郎なんですけどね。
『内村さまぁ〜ず』のイ・デホ似のプロデューサーに似てる人がかなりかっこいいです。ヒーローです。


ラスト、主人公の男が感染しここで初めて感染者の思考が描かれるんだけど、生まれたばかりの娘を抱く姿はとても優しくて、娘を守り抜いて来た理由がそこに凝縮されていました。
そして感染者となりながら幸福な思い出と共に自殺する素晴らしい演出でした。


父を失った娘は父への哀悼の意を込めて「アロハオエ」を歌い、そのおかげで感染者に間違われず救助されるという、とても練られた構成でした。

大変素晴らしいので多くの方に見ていただきたいです。
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アニメ版『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に無いもの 

体感時間2時間30分。
ほんとに90分しかなかった?

無意味に変なアングルを連発。

不自然な会話。

感情移入できない少年たち。

好きになれないヒロイン。

悲哀もカタルシスもない物語。

この世界の奥深さが微塵も刻み込まれていないアニメーション。

良いところを探す方が難しい。

アニメ版『時をかける少女』と比べればこの映画の出来の悪さが一目瞭然でしょう。


「もしも」の世界に没入していく度に世界が歪む。
だったら変なアングルは序盤は皆無にし、世界が変わる度に増やした方がわかりやすい。

正常な世界に戻った時に主人公の少年が不在なのだったら、もっとわかりやすく描いた方が良い。
(自ら現実世界を放棄したのか、夏休みを脱しきれないのか、好きな人を遠くにやった悲しみから休んでるのか、等)


様々な可能世界のたった一つを今まさに我々は生きている。
「あの時ああしていれば」の「ああしていれば」はもう二度と選択できない。

だからこそたった一つしかない今のこの世界は愛おしいし、そして絶望的なまでに悲しい。
「あの時ああしていれば今頃」と「あの時ああしなかったからこその唯一の今」とが幾重にも幾重にも積み重なっている。

それが『時をかける少女』ではとてもわかりやすく描かれていて、この映画では描かれていない。


この映画を見れば現実はもっと切なく、もっと豊潤で、夏休みはもっと少年を成長させ、もっと後悔させ、もっと愛おしいことを再確認することでしょう。

この世界の奥深さを確かめるためにこの映画の浅はかさを浴びよう。


【追記】

実写版を鑑賞しました。

こちらはタイムリープではなくifもので『スライディングドア』や『チェンジングレーン』と同じジャンルでしょう。

他にもいかにアニメ版が改悪だったのか良くわかりました。

小学生の頃の夏休みだからこそ描けた心の揺らぎがある。

大人にならざるを得ない少女。
離別を知り大人へなるであろう少年。
少年たちの達成されない冒険と、冒険したからこそ見ることができた奇跡のような瞬間。

先生だって打ち上げ花火が丸いか平べったいかなんてわからない。

ただ、下から見た少年と横から見た少年たちとでは丸っきり景色が違う。
それは、大人にならざるを得ない少年と、まだもう少し子供のままでいられる少年たちとの違いでもある。

下から見た打ち上げ花火は平べったいか。
横から見た打ち上げ花火は平べったいか。
それは見た者が体感することなのでしょう。

実写版ジョジョの奇妙な冒険の謎 

「原作レイプ」なんてはしたない言葉は使いませんし、実写化により原作を改変させられたところで原作の素晴らしさが翳ることはありません。
むしろ、原作の輝きはやはり絶対なのだと確信できるでしょう。やはりジョジョという漫画は物凄いのだと。


この映画で原作に興味を持つ方が増えたらとても嬉しいです。



以下ネタバレを含みます。







まず映画としてテンポが悪過ぎます。
セリフの言い方にこだわっているのか、出来事に対するスピードを殺してしまってます。
それが顕著なのが虹村形兆を倒す場面です。
原作では発射されたミサイルをクレイジーDで治すことで形兆にミサイルを撃ち返す展開です。
形兆はバッド・カンパニーへの命令が間に合わず爆撃を喰らいます。
実写版の場合、バッド・カンパニーに「一度出した命令は覆らない」という設定が足され、そのせいで形兆に戻ってくるミサイルへの射撃命令が通らずバッド・カンパニー達はオロオロします(オロオロする兵士たちはかわいかった)。

更には、仗助は康一に「時間を稼いでくれたおかげで」ミサイルを治せた、と言うのです。
体感時間で3分ぐらいしゃべってた気がしますが、この間延びした演出は映画として爽快感を失ってました。


ラストはなんとシアーハートアタックに形兆は殺されてしまいます。
口の中にいる爆弾を見て「ザ・ハンド使って取り出せよ」と多くの原作ファンが思ったことでしょう。
シアーハートアタックは原作では体温に近づくと爆発するので、形兆の身体に1分以上いたのは取り出す絶好のチャンスだったのに。
しかもシアーハートアタックを削って消滅させれば本体の左手を無くせたのに。
億泰は最大のチャンスを逃しました。

シアーハートアタックはその場にいる人全てを爆破してから本体に戻るものだと思うのですが、本体はどうやって形兆だけを判別し弓と矢と形兆を始末し、他の3人を残して戻っていったのか疑問です。


他にも、アクアネックレスに追い詰められた状況で自身のスタンド能力を大きな声で公表する承太郎や、バッド・カンパニーごときに勝てないアンジェロなど、不思議な点がちらほら。
屋外は海外で撮影されたそうで、BGMも西洋の雰囲気なのでまったく日本らしさがありません。
「普段生活してる隣人が実は…」のようなゾワゾワ感も一切無く遠い国のお話のようでした。

あと人型のスタンドは半透明にしないで欲しかったです。


原作を知らない人がこの映画を観て、映画として楽しめたのか疑問です。

2章も絶対見たいと思わせる映画でした。

映画『獣道』の宗教 

承認を求める者から与える者へ



以下映画『獣道』のネタバレを含みます。




あえて描かなかったのかも知れないが、宗教の教義と教祖の逮捕理由を描いて欲しかった。

少女時代、彼女が幸福だったのは絶対的な存在に承認されていたからだった。
それゆえ周囲の信者も一目を置く。

ラストこれが逆転する。
教祖だった男はアナンダのマネージャーになり、アナンダは彼女の魅力で一目置かれる存在となった。

彼女がアナンダである場面は3つある。

最初は少女時代の宗教施設。
ここへは親に捨てられ入信した。

次は中学校に転校した時。
ここへは宗教施設を奪われ来た。

最後は人気AV女優。
全てを失った果てに到達した。


そう、彼女は失われていく度にステージを上げていく。

一目で凄い(ヤバい)存在とわかる亮太。見るからにヤバいヤンキーが一瞬で亮太を認めたり、優等生の少女が一瞬で惚れたりする場面でも強調されている。
その亮太が愛衣に惹かれるのは、愛衣が教祖となる存在だからだ。


お互いにビンタしながらも激しく求め合うシーンは明らかにキリスト教をモチーフにしている。
頬をぶつ相手ごと愛するのだ。


親に捨てられ、彼氏に捨てられ、一度埋葬され、胸をさらけ出してまで守りたかった優しい擬似父にも捨てられ、処女を失い、何も無くなった果てにAV女優として皆を赦し救う存在となる。


承認を求め続けることで全てを失い、全てを失ったことで承認を与える存在となる。

伊藤沙莉無くしては成立しない素晴らしい映画。
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