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実存浮遊

映画やアイドルなどの文化評論。良い社会になるために必要な事を模索し書き続けます。

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アニメ版『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に無いもの 

体感時間2時間30分。
ほんとに90分しかなかった?

無意味に変なアングルを連発。

不自然な会話。

感情移入できない少年たち。

好きになれないヒロイン。

悲哀もカタルシスもない物語。

この世界の奥深さが微塵も刻み込まれていないアニメーション。

良いところを探す方が難しい。

アニメ版『時をかける少女』と比べればこの映画の出来の悪さが一目瞭然でしょう。


「もしも」の世界に没入していく度に世界が歪む。
だったら変なアングルは序盤は皆無にし、世界が変わる度に増やした方がわかりやすい。

正常な世界に戻った時に主人公の少年が不在なのだったら、もっとわかりやすく描いた方が良い。
(自ら現実世界を放棄したのか、夏休みを脱しきれないのか、好きな人を遠くにやった悲しみから休んでるのか、等)


様々な可能世界のたった一つを今まさに我々は生きている。
「あの時ああしていれば」の「ああしていれば」はもう二度と選択できない。

だからこそたった一つしかない今のこの世界は愛おしいし、そして絶望的なまでに悲しい。
「あの時ああしていれば今頃」と「あの時ああしなかったからこその唯一の今」とが幾重にも幾重にも積み重なっている。

それが『時をかける少女』ではとてもわかりやすく描かれていて、この映画では描かれていない。


この映画を見れば現実はもっと切なく、もっと豊潤で、夏休みはもっと少年を成長させ、もっと後悔させ、もっと愛おしいことを再確認することでしょう。

この世界の奥深さを確かめるためにこの映画の浅はかさを浴びよう。


【追記】

実写版を鑑賞しました。

こちらはタイムリープではなくifもので『スライディングドア』や『チェンジングレーン』と同じジャンルでしょう。

他にもいかにアニメ版が改悪だったのか良くわかりました。

小学生の頃の夏休みだからこそ描けた心の揺らぎがある。

大人にならざるを得ない少女。
離別を知り大人へなるであろう少年。
少年たちの達成されない冒険と、冒険したからこそ見ることができた奇跡のような瞬間。

先生だって打ち上げ花火が丸いか平べったいかなんてわからない。

ただ、下から見た少年と横から見た少年たちとでは丸っきり景色が違う。
それは、大人にならざるを得ない少年と、まだもう少し子供のままでいられる少年たちとの違いでもある。

下から見た打ち上げ花火は平べったいか。
横から見た打ち上げ花火は平べったいか。
それは見た者が体感することなのでしょう。

実写版ジョジョの奇妙な冒険の謎 

「原作レイプ」なんてはしたない言葉は使いませんし、実写化により原作を改変させられたところで原作の素晴らしさが翳ることはありません。
むしろ、原作の輝きはやはり絶対なのだと確信できるでしょう。やはりジョジョという漫画は物凄いのだと。


この映画で原作に興味を持つ方が増えたらとても嬉しいです。



以下ネタバレを含みます。







まず映画としてテンポが悪過ぎます。
セリフの言い方にこだわっているのか、出来事に対するスピードを殺してしまってます。
それが顕著なのが虹村形兆を倒す場面です。
原作では発射されたミサイルをクレイジーDで治すことで形兆にミサイルを撃ち返す展開です。
形兆はバッド・カンパニーへの命令が間に合わず爆撃を喰らいます。
実写版の場合、バッド・カンパニーに「一度出した命令は覆らない」という設定が足され、そのせいで形兆に戻ってくるミサイルへの射撃命令が通らずバッド・カンパニー達はオロオロします(オロオロする兵士たちはかわいかった)。

更には、仗助は康一に「時間を稼いでくれたおかげで」ミサイルを治せた、と言うのです。
体感時間で3分ぐらいしゃべってた気がしますが、この間延びした演出は映画として爽快感を失ってました。


ラストはなんとシアーハートアタックに形兆は殺されてしまいます。
口の中にいる爆弾を見て「ザ・ハンド使って取り出せよ」と多くの原作ファンが思ったことでしょう。
シアーハートアタックは原作では体温に近づくと爆発するので、形兆の身体に1分以上いたのは取り出す絶好のチャンスだったのに。
しかもシアーハートアタックを削って消滅させれば本体の左手を無くせたのに。
億泰は最大のチャンスを逃しました。

シアーハートアタックはその場にいる人全てを爆破してから本体に戻るものだと思うのですが、本体はどうやって形兆だけを判別し弓と矢と形兆を始末し、他の3人を残して戻っていったのか疑問です。


他にも、アクアネックレスに追い詰められた状況で自身のスタンド能力を大きな声で公表する承太郎や、バッド・カンパニーごときに勝てないアンジェロなど、不思議な点がちらほら。
屋外は海外で撮影されたそうで、BGMも西洋の雰囲気なのでまったく日本らしさがありません。
「普段生活してる隣人が実は…」のようなゾワゾワ感も一切無く遠い国のお話のようでした。

あと人型のスタンドは半透明にしないで欲しかったです。


原作を知らない人がこの映画を観て、映画として楽しめたのか疑問です。

2章も絶対見たいと思わせる映画でした。

映画『獣道』の宗教 

承認を求める者から与える者へ



以下映画『獣道』のネタバレを含みます。




あえて描かなかったのかも知れないが、宗教の教義と教祖の逮捕理由を描いて欲しかった。

少女時代、彼女が幸福だったのは絶対的な存在に承認されていたからだった。
それゆえ周囲の信者も一目を置く。

ラストこれが逆転する。
教祖だった男はアナンダのマネージャーになり、アナンダは彼女の魅力で一目置かれる存在となった。

彼女がアナンダである場面は3つある。

最初は少女時代の宗教施設。
ここへは親に捨てられ入信した。

次は中学校に転校した時。
ここへは宗教施設を奪われ来た。

最後は人気AV女優。
全てを失った果てに到達した。


そう、彼女は失われていく度にステージを上げていく。

一目で凄い(ヤバい)存在とわかる亮太。見るからにヤバいヤンキーが一瞬で亮太を認めたり、優等生の少女が一瞬で惚れたりする場面でも強調されている。
その亮太が愛衣に惹かれるのは、愛衣が教祖となる存在だからだ。


お互いにビンタしながらも激しく求め合うシーンは明らかにキリスト教をモチーフにしている。
頬をぶつ相手ごと愛するのだ。


親に捨てられ、彼氏に捨てられ、一度埋葬され、胸をさらけ出してまで守りたかった優しい擬似父にも捨てられ、処女を失い、何も無くなった果てにAV女優として皆を赦し救う存在となる。


承認を求め続けることで全てを失い、全てを失ったことで承認を与える存在となる。

伊藤沙莉無くしては成立しない素晴らしい映画。

『ひよっこ』がいかに素晴らしいか 

朝ドラ『ひよっこ』が素晴らし過ぎる。
『あまちゃん』ブームを知り途中から見出し、その後ずっと朝ドラを見てますが、『ひよっこ』が一番素晴らしいです。

これまでの主人公と違い、モデルになる人物がおらず、そして目指すべき目標もありません。
そして大きな特徴と悪者が登場しません。

・モデルがいない

前回の『べっぴんさん』や次回の『わろてんか』はモデルになる女性実業家がいます。
それゆえあらかじめ結末を予想できます。
なので全話見なければならないと気負わずに済みます。

『ひよっこ』は失踪した父親を探すという理由はありますが、ベースはがんばり屋さんの女の子が田舎から上京していろんな人たちと出会い笑顔になる、というものです。
漫画のジャンルで「日常系」というのがありますがそれに近いと思います。

・目標がない

「ベビー服の会社を興すぞ」「お笑い事務所を興すぞ」などの高い目標が無い『ひよっこ』。
強いて挙げるとしたら「田舎に仕送りする」というものです。
毎日を笑顔を忘れず生きていて、それで周りも笑顔になり、助け合って暮らしている。
父親を探しに上京しましたが、何も手がかりが無く、目撃情報があった近くの土地で働いているという状況です。
「いつかきっと会える」と信じていますが、毎日父親探しのために奔走してる、という状態ではありません。
その代わりにいつも心の中で父ちゃんに語りかけています。その姿は、東京にいる理由を忘れないよう必死に日々に刻みつけているように映ります。

・悪者がいない

かつての朝ドラの場合、主人公を邪魔する人物が登場しました。
敵が物語から退出することで主人公が成長したり喜んだり悲しんだりするわけです。
言い換えると、敵を排除することがテーマになりがちであり、視聴者も「こいつがいなくなるんだな」と容易に予測でき、それを期待しながら見ることになります。
排除すべきものが明確であるがゆえに、安心して視聴できる一方予定調和やワンパターンなどの飽きに見舞われます。

『ひよっこ』の場合悪者が登場しません。
その代わりに主人公を襲うのは経済不況など自身ではどうにもならない事です。
それゆえ解決ではなく出来事をあるがままに受け入れ「生きるため」「田舎に仕送りするため」に健気に日々を過ごしています。

モデルがいない、目標がない、悪者がいない、というのはつまり我々にとても近いということです。
我々は人生の結果がわかっているわけでもないし、悪者を排除すれば社会的に大成功するわけでもありません。

ここまで書きましたが御託を並べずとも『ひよっこ』を見れば、登場人物の人柄に笑みがこぼれ、社会の状況に現代社会を重ね思いを馳せ、そしてこの世界の豊潤さを再認識することでしょう。

この社会は主人公1人とその他のキャラ、で構成されていません。
みんな生きていて、みんな悩みを抱え、それでもみんな生きています。
誰もがひよっこ。

とても優しい気持ちになれる作品です。
多くの人たちにご覧いただきたいです。

・朝ドラの形式を意識する

他にも、従来の朝ドラは一週間のテーマが決まっていて、月曜の問題を土曜に解決するパターンがメインになります。
『ひよっこ』の場合は月曜日の出来事も次の日やその次の日くらいで解決し、また別の話題に切り替わったりします。
スピード感があり目が離せません。

『ひよっこ』のキーワードとして「笑顔」と「歌声」があります。
ももクロと一緒です(『行くぜっ!怪盗少女』の歌詞を参照)。
笑顔は楽しいだけじゃなく、あるきっかけにより悲しい顔をするのをやめた決意の表れでもあります。
そして歌声はそれだけで仲間感を演出します。
畑仕事の時、乙女寮の食堂、レストランの裏庭、みんなが集まり歌ったり笑ったりします。

「笑顔」と「歌声」
今この社会に必要なことを教えてくれる素晴らしい作品です。

高城れにさん、お誕生日おめでとうございます 


れにちゃん お誕生日おめでとう!

23歳は様々なことに挑戦なさいましたね。
記憶に新しいのは『永野と高城。』ですが、ここでもれにちゃんの本心を聞けたことがとても嬉しかったです。

「ももクロとして活動してても自分ができることはなんだろう、ももクロのためになってるんだろうかって考える時に永野さんに声を掛けてくれて、今までにないものを引き出せてもらえたので嬉しかった」と言うようなことを語られていました。

自信が無くて、だけど期待に応えるためには傷つくことを恐れない。
自身が犠牲になることで誰かが幸せになれれば良いと考えられる人。
あなたがいるだけで、微笑むだけで、話し出すだけで周囲の人たちやファンを幸せな気持ちにしてくれます。

時々心配になるぐらいファンのために思考し行動してしまうあなたですが、それこそが高城れにであると言い切りたい自分もいます。
だから、「れにちゃん無理しないで」などとお願いなどしません。
れにちゃんがれにちゃんとして活動できるように、自身の行動を律すると共に、「紫推しはほんとすごいんだから」といつでも誇ってもらえるようなファンで居たいと思います。


24歳はどんなことが待っているのでしょうね。
永野さんとお笑いの舞台を成功させたのですから、もうどんな人ともコラボできるでしょうね!

ソロ曲の歌声も素敵だし、映画や舞台での演技も素敵だし、れにちゃんが考えていることを本にするのも良いと思うし、旅番組をスタートさせるというのもすごく良いと思います。

どんなことがあっても紫推しのことを想うだけで強くなれると思ってもらえるようにがんばります。
れにちゃんの思うがままに、あるがままに、「これが高城れにだ!」と世間に見せつけて欲しいです。


れにちゃん。24歳まで活動を続けてくれて本当にありがとう!
れにちゃんが好きなだけ活動できるように願ってます。
れにちゃんにとって思い出深い一年になりますように。

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